2012年07月16日

何度目かのエルミタージュ展

ルーベンス《ローマの慈愛(キモンとペロ)》新美の大エルミタージュ展に行ってきた(実験的にHPを張ることにしてみる)。割りと会期ギリギリである。こうした大美術館から持ってきたものとしてはありがちだが,美術史全体からジャンルも何もなく持ってきたという感じはとても強い。そもそも展覧会のサブタイトルからして「西欧絵画の400年」であるが,この400年は1600年から現代ではなく,1500年から1900年であり,最後はマティスで締める形になっている。

しかしまあ,ブツの質自体は悪くなかった。誰しもが知っている作品は無かったものの,美術ファンならとりあえず文句の出ないレベルには整っているし,画家レベルであればティツィアーノ,ルーベンス,ドラクロワ,ルノワール,そしてマティスといった面々は一応そろっている。また,知名度をもう1ランク落としたところでは,むしろ美術ファンとしては見たいところが見れた感が強い。ソフォニスバ・アングィソーラ,ヤン・ステーン,ユベール・ロベール,ヴィジェ=ルブラン,風景画家のジョゼフ・ヴェルネ,ライト・オブ・ダービー,近代ではヴィンターハルターとそうそうたるメンバーである。狙ってやったのならすごいし,これなら評判も良かろう。

一応の個別評としていくつか。まず,ルーベンスの《ローマの慈愛(キモンとペロ)》,今回の画像である。この作品は餓死の刑に処された父親に娘が授乳して生き長らえさせたという感動的な話なのだが,どうしても邪な目線でしか見れない。画像自体もそうなのだが,設定もまたあまりにも倒錯的で,どう考えてもエロいでしょうこれは。よりによって肉々しいルーベンスが描くもんだから余計に。この後マウリッツハイス展,ベルリン美術館展でも見ることになるヤン・ステーンの《結婚の契約》。猥雑な庶民の描写に定評のある画家だが,「ヤン・ステーン的家庭」という言い回しもあるらしい。ポジティブにしろネガティブにしろ意味のよくわかる言い回しである。この絵もあからさまなできちゃった結婚を迫る男と嫌がる相手の両親という,ヤン・ステーンと組めば鬼に金棒なテーマ。テーブルに置かれた割れた卵がとても象徴的にやっちゃった感を演出していたのが印象的な絵画であった。見たい方はぐぐればすぐに出てくる。

ジャン=バティスト・グルーズの《わがまま坊や》。母親に与えられた食事に嫌いなものが入っていたらしく,こっそり犬に与えている。母親は気づいており,半ばほほえましく半ばあきれて「困った子ねぇ」とでも言いたげな表情をしていた。珍しいテーマでなかなか印象深い。子供の好き嫌いは250年前からなんら変わっていない。ヴィジェ=ルブランの自画像。これはヴィジェ=ルブラン展で見たもの。今回二度目という絵画がいくつかあったが,長らく日本にいたということだろうか。エルミタージュならそれだけ長期間出てても困らないだろうし。ジョゼフ・ヴェルネの《パレルモ港の入り口,月光》。月光が強い,美しい風景画。やはりジョゼフ・ヴェルネはとても良い,好きだ。

ユベール・ロベール《古代ローマの公衆浴場跡》。見ている2,3分の間に,周囲の観賞客がこれを指して「テルマエ・ロマエだ」というのを5回くらい聞いた。映画の効果はすごい。ただ,雑談に混じる古代ローマ知識が大体間違っており,しかも自慢するのが男で聞かされるのが女性という光景が散見されて閉口した。いや,紀元前後のローマはこんな廃墟じゃないから。ジョシュア・レノルズの《ウェヌスの帯を解くクピド》。これもエロい。ウェヌスが腕で片目を隠しつつ,もう片目で鑑賞者に挑発的な視線を向けている。で,帯をほどいているのが息子のクピドというのがまた,こう,ね。

最後にマティスの《赤い部屋》。さすがにこれだけ巨大な作品で赤ベタ塗りをやられるとインパクトがある。好きか嫌いかで言われると微妙なところだがマティスらしい作品であり,本展の最後として,美術史の終着地の一つとしてもふさわしかろう。


表題について。エルミタージュ展とルーヴル展はやたらと多い印象。常設展に入りきらないから,貸し出す方も積極的なんだろうけど。


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