2012年09月06日
書評『西洋美学史』小田部胤久著,東京大学出版会
約一ヶ月間,仲間内でtwitter読書会をやっていた本である。togetterにまとめられているので,それらと参加者のブックレビューのリンクを張っておく。
初回:はじめに,1章(プラトン),2章(アリストテレス),3章(プロティノス)
2回目:4章(アウグスティヌス),5章(トマス=アクィナス)
3回目:6章(ライプニッツ),7章(ヴィーコ),8章(ヤング)
4回目:9章(ヒューム),10章(レッシング)
5回目:ドイツ観念論回:11章(カント),12章(シラー),13章(シュレーゲル)
6回目:ドイツ観念論回2:14章(シェリング),15章(ヘーゲル)
7回目:最終回:16章(ハンスリック),17章(ハイデガー),18章(ダントー)
tieckPの感想(読書メーター)
シノハラユウキさんのブックレビュー(logical cypher scape)
ja_bra_af_cuさんの読書会の補足と余談(Sound, Language, and Human)
読書会を離れた全般的な感想として。ヘーゲルから最後までの4章以外は,章立てこそ主題に立てられた哲学者の登場時代順となっているものの,比較的全時代を通じて通用するトピックが挙げられており,そのテーマに言及した哲学者は時代を問わずその章で扱われている。つまり,時代順のように見えて実はテーマ別という,やや不思議な構成をとっているのが本書であった。各章のテーマ設定については,参加者の一人シノハラユウキ(@sakstyle)さんのブックレビューにまとまっているので,そちらをご参照いただきたい。実はこうした構成をとっているがゆえに,多様な言及を行った哲学者は章を飛び越えて何度も登場する。カントとシュレーゲル,シェリング,そして何より自分の章を持っていないのにもかかわらずガーダマーがやたらと何度も登場するのはそのためである。また,逆に言ってヘーゲルから後ろ4章は「西洋的な芸術概念の終焉」がテーマとして通底している章であり,時系列的にしかまとめようがなかったのであろう。
個人的な好みで言えばテーマ別よりも完全時代順のほうが好きではあるが,今回読んでみて,美学はテーマが非常に多岐に渡るので,このような構成にしなければ逆に煩雑になるのだろうということはよくわかった。逆に言って,過去に登場したトピックがかなり時代を隔てて再登場するというのは他の学問でなかなか見ない,美学のおもしろい点だと思う。また,そのトピックの内容の変更点が,その哲学者(美学者)本人の性向によるものか,時代に伴う変化によるものか,というのを考えるのはとてもおもしろかった。美学というよりは哲学全体に言えることではあるのだが,そこに普遍性を求められても現代の目線から言うと例外があるので成り立たない理屈というのは割りと多かったように思えた。世界の広がりは,哲学の理論に大きな影響がある。
一方で,「それは本当に同一テーマか?」という強引な話題転換が多く,ちょっとついていきづらいところは多かった。より多くの美学者(とその理論)を出すため,概説書としての使命を果たすために仕方がなかったのだろうなという著者の苦労が透けて見えるところである。同様の現象として,章題の人物よりも別の美学者のほうがより多く紙面がとられていた章がいくつかあり,本書の構成の困難さをうかがわせた。ライプニッツの章はバウムガルテンに,ハイデガーの章はメルロ=ポンティにのっとられている。
西洋美学史
著者:小田部 胤久
販売元:東京大学出版会
(2009-05-27)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る
あとは,読書会を通じて得られた感想として。とりとめもなく。togetter見ながら読んでもらえるとよい。
初回:はじめに,1章(プラトン),2章(アリストテレス),3章(プロティノス)
2回目:4章(アウグスティヌス),5章(トマス=アクィナス)
3回目:6章(ライプニッツ),7章(ヴィーコ),8章(ヤング)
4回目:9章(ヒューム),10章(レッシング)
5回目:ドイツ観念論回:11章(カント),12章(シラー),13章(シュレーゲル)
6回目:ドイツ観念論回2:14章(シェリング),15章(ヘーゲル)
7回目:最終回:16章(ハンスリック),17章(ハイデガー),18章(ダントー)
tieckPの感想(読書メーター)
シノハラユウキさんのブックレビュー(logical cypher scape)
ja_bra_af_cuさんの読書会の補足と余談(Sound, Language, and Human)
読書会を離れた全般的な感想として。ヘーゲルから最後までの4章以外は,章立てこそ主題に立てられた哲学者の登場時代順となっているものの,比較的全時代を通じて通用するトピックが挙げられており,そのテーマに言及した哲学者は時代を問わずその章で扱われている。つまり,時代順のように見えて実はテーマ別という,やや不思議な構成をとっているのが本書であった。各章のテーマ設定については,参加者の一人シノハラユウキ(@sakstyle)さんのブックレビューにまとまっているので,そちらをご参照いただきたい。実はこうした構成をとっているがゆえに,多様な言及を行った哲学者は章を飛び越えて何度も登場する。カントとシュレーゲル,シェリング,そして何より自分の章を持っていないのにもかかわらずガーダマーがやたらと何度も登場するのはそのためである。また,逆に言ってヘーゲルから後ろ4章は「西洋的な芸術概念の終焉」がテーマとして通底している章であり,時系列的にしかまとめようがなかったのであろう。
個人的な好みで言えばテーマ別よりも完全時代順のほうが好きではあるが,今回読んでみて,美学はテーマが非常に多岐に渡るので,このような構成にしなければ逆に煩雑になるのだろうということはよくわかった。逆に言って,過去に登場したトピックがかなり時代を隔てて再登場するというのは他の学問でなかなか見ない,美学のおもしろい点だと思う。また,そのトピックの内容の変更点が,その哲学者(美学者)本人の性向によるものか,時代に伴う変化によるものか,というのを考えるのはとてもおもしろかった。美学というよりは哲学全体に言えることではあるのだが,そこに普遍性を求められても現代の目線から言うと例外があるので成り立たない理屈というのは割りと多かったように思えた。世界の広がりは,哲学の理論に大きな影響がある。
一方で,「それは本当に同一テーマか?」という強引な話題転換が多く,ちょっとついていきづらいところは多かった。より多くの美学者(とその理論)を出すため,概説書としての使命を果たすために仕方がなかったのだろうなという著者の苦労が透けて見えるところである。同様の現象として,章題の人物よりも別の美学者のほうがより多く紙面がとられていた章がいくつかあり,本書の構成の困難さをうかがわせた。ライプニッツの章はバウムガルテンに,ハイデガーの章はメルロ=ポンティにのっとられている。
西洋美学史著者:小田部 胤久
販売元:東京大学出版会
(2009-05-27)
販売元:Amazon.co.jp
クチコミを見る
あとは,読書会を通じて得られた感想として。とりとめもなく。togetter見ながら読んでもらえるとよい。
はじめに:家族的類似説については使いやすい概念なので積極的に使って行きたい。togetterのほうにまとめられているが,美少女ゲーム(エロゲー)という括りの問題に一石を投じることができるのではないかなと。過去に,誰かこの方面から切り込んだ人いなかったのかな。
2章:じゃぶさんのブックレビューにもあったが,西洋美学はやたらと普遍性や真理と芸術の関係性にこだわるところがあるなと思った。「芸術が哲学の道具にして証書」(byシェリング)という考え方さえあり。この辺は美術史側からのアプローチだと出てこない部分なので新鮮だった。/「思いがけない事象をしっくり来るようにつなぎあわせるのが”筋”で,そのように編まれたのが”物語”」という考え方はとてもしっくり来た。これも今後積極的に使っていきたい。
3章:形相と質料の二元論的分離は美術史上では避けて通れないルネサンス期の最重要事項で,その後の美術史でも延々と引きずられるのだが,音楽や文学では全然そうでもないというのは割りと大きなカルチャーショックであった。/個人的には「質料が形相に優先する(形相の規定に影響を与えている)」という思想の持ち主で,本書であればゼンパーかヴェルフリンあたりが一番近いと思う。形相至上主義の新プラトン主義はそこまでしっくり来るわけではない。/新プラトン主義とマニ教とグノーシス主義の違い的な話もあったのだが,あまりにも美学から話がそれるのでしなかった覚えが。
6章:聴覚は高級感覚か低級感覚か,というのは興味深い話であった。/「抽象性自体が,人によって感覚か知覚か違うのかもしれない」というのは今回最大の発見。
7章:トピカ的な人間と,クリティカ的な人間というのはおそらくあって,自分はクリティカ側の人間ではあるのだろうなと。このあと,某人と仲間内の分類について話して盛り上がっていた。/ただ,弁論術的な言い回しは嫌いじゃないというか,最終的に言論が説得力を持つかどうかは真実性というよりは言い回し・レトリックの持つ説得力ではあるのだろうなと。無論のことながら,詭弁に陥らないように注意する必要はある。どういう論理構成が一番わかりやすいか,最重要ポイントを文章全体のどこに配置すべきか,というのはブログを書く上で,常にある程度意識している事項。
9章:個人的には権利問題と言われるとばすばすオッカムのカミソリで切りたくなるので,多分本質的には哲学向いてないんだと思う。ときどき無性に「で?」と言いたくなることが。
10章:ヴェルフリンにしろグリーンバーグにしろ,美術というジャンル自身が持つ特異性に注目してこうした様式論になったのかな,とは思った。自分自身「基本的にはそのジャンルが持つ特異性を生かし,得意なことをやるべき」という考え方なので,相性は良い。/レッシングは「芸術の目的はどのジャンルでも同じだが,ジャンルによって手段は違う」のに対し,グリーンバーグは「ジャンルによって目的も違う」と述べていて,自分にとってはそこはなんとも言えない,とつぶやいているが,ここは本当にそう思う。うーん,芸術全体に普遍的な目標があるような気もするしないような気もする。/「逆に言って,他のジャンルで「技を隠す」から「技を示す」に切り替わったとか,そういう歴史的事象はあったのだろうか。」とは言ってみたものの,これは多分無いなと後から気づいた。再現性に特化してしまった美術特有の現象だったんだろうなー。
11章:受容層の増加による規範となる常識の崩壊,作品数の増加・多様化により質的な上下が単線的ではなくなったこと。これらが,批評を規範批評から作品の個別批評に移っていった,というのは今回の発見であった。
14章:togetterを見ると,ここでも前近代人の視野の狭い普遍性の要求に切れている自分がいるw。いや,昔の人にそれを求めるのはお門違いなのは重々承知の上でして。
15章:tieckPの言っている「誰か、芸術音痴の哲学者と芸術に詳しい哲学者で思想にどういう差がでるか調べてくだしあ。前者にカントとヘーゲル、後者にルソーとニーチェとアドルノでお願いします。」は本当に気になるので,誰か。
17章:「「宗教のための芸術」が終わったので「人間のための芸術」の時代が来たと思ったら,「芸術のための芸術」の時代が来て,芸術の非人間性が強調されてしまった。直接の芸術終焉論ではないけれども話の方向が終焉論的で,ヘーゲルとダントーの間に入ってるのがよくわかる章。」というのは,我ながらなかなかいいまとめなので,このフレーズも有効活用していきたい。/togetter上ではあまり話題にならなかったけど芸術の神聖性というのは大事で,まさにこの点が娯楽と芸術を分けるところだろうなと。
2章:じゃぶさんのブックレビューにもあったが,西洋美学はやたらと普遍性や真理と芸術の関係性にこだわるところがあるなと思った。「芸術が哲学の道具にして証書」(byシェリング)という考え方さえあり。この辺は美術史側からのアプローチだと出てこない部分なので新鮮だった。/「思いがけない事象をしっくり来るようにつなぎあわせるのが”筋”で,そのように編まれたのが”物語”」という考え方はとてもしっくり来た。これも今後積極的に使っていきたい。
3章:形相と質料の二元論的分離は美術史上では避けて通れないルネサンス期の最重要事項で,その後の美術史でも延々と引きずられるのだが,音楽や文学では全然そうでもないというのは割りと大きなカルチャーショックであった。/個人的には「質料が形相に優先する(形相の規定に影響を与えている)」という思想の持ち主で,本書であればゼンパーかヴェルフリンあたりが一番近いと思う。形相至上主義の新プラトン主義はそこまでしっくり来るわけではない。/新プラトン主義とマニ教とグノーシス主義の違い的な話もあったのだが,あまりにも美学から話がそれるのでしなかった覚えが。
6章:聴覚は高級感覚か低級感覚か,というのは興味深い話であった。/「抽象性自体が,人によって感覚か知覚か違うのかもしれない」というのは今回最大の発見。
7章:トピカ的な人間と,クリティカ的な人間というのはおそらくあって,自分はクリティカ側の人間ではあるのだろうなと。このあと,某人と仲間内の分類について話して盛り上がっていた。/ただ,弁論術的な言い回しは嫌いじゃないというか,最終的に言論が説得力を持つかどうかは真実性というよりは言い回し・レトリックの持つ説得力ではあるのだろうなと。無論のことながら,詭弁に陥らないように注意する必要はある。どういう論理構成が一番わかりやすいか,最重要ポイントを文章全体のどこに配置すべきか,というのはブログを書く上で,常にある程度意識している事項。
9章:個人的には権利問題と言われるとばすばすオッカムのカミソリで切りたくなるので,多分本質的には哲学向いてないんだと思う。ときどき無性に「で?」と言いたくなることが。
10章:ヴェルフリンにしろグリーンバーグにしろ,美術というジャンル自身が持つ特異性に注目してこうした様式論になったのかな,とは思った。自分自身「基本的にはそのジャンルが持つ特異性を生かし,得意なことをやるべき」という考え方なので,相性は良い。/レッシングは「芸術の目的はどのジャンルでも同じだが,ジャンルによって手段は違う」のに対し,グリーンバーグは「ジャンルによって目的も違う」と述べていて,自分にとってはそこはなんとも言えない,とつぶやいているが,ここは本当にそう思う。うーん,芸術全体に普遍的な目標があるような気もするしないような気もする。/「逆に言って,他のジャンルで「技を隠す」から「技を示す」に切り替わったとか,そういう歴史的事象はあったのだろうか。」とは言ってみたものの,これは多分無いなと後から気づいた。再現性に特化してしまった美術特有の現象だったんだろうなー。
11章:受容層の増加による規範となる常識の崩壊,作品数の増加・多様化により質的な上下が単線的ではなくなったこと。これらが,批評を規範批評から作品の個別批評に移っていった,というのは今回の発見であった。
14章:togetterを見ると,ここでも前近代人の視野の狭い普遍性の要求に切れている自分がいるw。いや,昔の人にそれを求めるのはお門違いなのは重々承知の上でして。
15章:tieckPの言っている「誰か、芸術音痴の哲学者と芸術に詳しい哲学者で思想にどういう差がでるか調べてくだしあ。前者にカントとヘーゲル、後者にルソーとニーチェとアドルノでお願いします。」は本当に気になるので,誰か。
17章:「「宗教のための芸術」が終わったので「人間のための芸術」の時代が来たと思ったら,「芸術のための芸術」の時代が来て,芸術の非人間性が強調されてしまった。直接の芸術終焉論ではないけれども話の方向が終焉論的で,ヘーゲルとダントーの間に入ってるのがよくわかる章。」というのは,我ながらなかなかいいまとめなので,このフレーズも有効活用していきたい。/togetter上ではあまり話題にならなかったけど芸術の神聖性というのは大事で,まさにこの点が娯楽と芸術を分けるところだろうなと。
Posted by dg_law at 19:00│Comments(0)