2012年10月02日

日和見も巨匠らしいか

work_pic2文化村のレーピン展に行ってきた。この展覧会は以前のトレチャコフ美術館展が好評だったがゆえに企画されたらしく,であればあの展覧会を見てもっとロシア絵画が見たいと思っていたので,とても喜ばしいことである。行ったかいがあった。前回はクラムスコイにシーシキンにレーピンとオールスター感漂う感じであったが,今回はレーピン縛りである。必然,展示作品の多くは風俗画と肖像画であった。

イリヤ・レーピンは1844年生まれ,19世紀のロシアを代表する画家である。あえて分類するならばアカデミーと自然主義の間くらいに入るのであろうが,ちょうど1870年の半ば頃にパリに滞在しており,印象派にも好感触を得ているようにやや筆触分割がなされている部分もある。見方によってはコウモリ的というか日和見的ではあるのだが,アカデミーに属していながら当時のロシア画壇の革新派「移動派」にも属しており,移動派を一つの様式として見た場合,レーピンもしばしばここに分類されている。ただし,当時の高名な批評家には,やはりこの日和見的な行動を非難されていたようだ。意外なことに没年は1930年,すなわちロシア革命を乗り切ってスターリン時代まで生き残っており,しかも失脚していない。自画像を見るといかついダンディなおっさんなのだが,人付き合いは良く,世渡りもうまかったらしい。美術以外の交友関係にはムソルグスキーとトルストイがおり,彼らの肖像画も今回来ていた。トルストイのほうは他の画家にも肖像画があるが,ムソルグスキーのものはレーピンのもの以外を見たことがない。

とはいえ様式論は彼の場合あまり意味をなさず,ともかく卓越した人間の描写が光り,その意味ではやはりアカデミー的な実直な表現力が一番目立つ。若い頃はレンブラントにかぶれていたようだが,言われてみるととりわけ肖像画にその影響は色濃く見られる。扱って題材も多種多様で,歴史画,肖像画から風俗画まで何でも描いたし,比較的速筆だったようで作品数も多い。肖像画は自らが属した上流階級の人物が多いが,一方で風俗画は「移動派」らしく,下層階級に属する人々を描いたものが多い。どのジャンルのものも評価が高いが,結局のところそれはレーピン個人に由来する抜群の描写力,迫真性であって,ジャンルや題材の妙が所以ではないだろう。本当にうまい肖像画では迫真性以上にその人の内面が現れてくるというが,レーピンのものはまさにそうである。

今回の一枚は《思いがけなく》というタイトルの一枚で,ナロードニキを描いたものだと推測される。レーピンのナロードニキを描いたものだと《ナロードニキの逮捕》が有名だが,この作品もなかなかに過激である。一方で,「逮捕」にしろこの作品にしろそうだが,レーピン自身の政治思想は現れていないどころか,一見しようが沈思しようが,ナロードニキが批判されているのかどうかすらわからない。ただ,淡々とこの1シーンが迫真性をもって描写されているだけであり,寒気さえ覚える。キリスト教絵画の伝統に則れば「放浪息子」の変形のようにも見え,であればドストエフスキーの『悪霊』にも似た雰囲気を感じる,というのが私の正直な感想だ。


帰りがけにミュージアムショップを物色していたら,外語大の生徒らしき女性二人の話が聞こえ,「あーこの本沼キョンだー」「こっちは亀ちゃんだ」と話しており,彼(女)らはそういうあだ名なのかと,妙に新鮮であった。



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この記事へのコメント
ぬ,沼キョンに亀ちゃん……なんと恐れ多いw
Posted by mukke at 2012年10月02日 22:59
すごい先生でも,授業で週一回会う程度の学生だと,このくらいの親近感ということなんでしょうね。
実際のところ,自分(ら)も駒場の先生方にはいろいろあだ名で呼んでいたので,振り返るに人のことは言えませんw
Posted by DG-Law at 2012年10月03日 10:50