2012年10月13日
「入試問題の正解(解答例・講評)は公開されるべきか」について
・入試問題の正解は公開されるべきか? (Togetter)
これは論点が多岐にわたるので,じっくりと。私はTogetterの大勢の意見と同様に大学入試の正解(解答例・採点基準・講評)は基本的に公開されるべきと考えている。その理由について以下に3つ挙げる。
1.最大の理由として,入試の透明性確保のため。
→ Togetter中段にある「入試の場合、特に論述問題は、公表されていないルールを手探りで探しながらゲームに参加しているようなもの」というのは本当にうまいことおっしゃる,という感じなのだが,このような現状があるから。入試が筆記試験でなされるのは不透明性の低さ,公平性の確保という観点からであるが,その筆記試験の採点基準が不明瞭なのはメリットを減らしている。最難関国公立・私立大の問題だと,指導者間で解答が大きく割れることもあり,しかもそれぞれに一理あるので,完全な正解例は大学側でしか把握されていない,という現状はどの程度理解されているのか。
2.出題ミスを減らすため。
→ これもTogetter序盤に「出題ミスを見つけるのが目的なら悲しい」「トップの大学がそんなんになると終わりかな?」というやりとりがあるが,現実的に話すと少なくとも難関大学の社会科はミスだらけである。世界史についてはこのブログで検証している(→ 受験世界史悪問・難問・奇問集 ver.2012 その1(上智大・慶應大),(早稲田大)その2)。悲しいが,とっくの昔に終わっているとも言える。
→ 一つ擁護すると,受験生のレベルが高く標準的な問題を出題しても差がつかないため,難問を出題せざるを得ないという大学側の事情はある。練られた難問というのは作題が難しく,ちょっと手を抜くと簡単に悪問,そして出題ミスにつながってしまう。また,論述問題のほうが難問かつ良問は作りやすいが,マーク式・短答記述はさらに作題が困難になる。しかし,当然ながらそれが悪問・出題ミスを乱発してもよいという完全な免罪符にはならない。
→ また,上に挙げた悪問集を見ていただければ分かる通り,難問化させるためではなく明らかな手抜きの結果としての悪問・出題ミスがあまりにも多い。しかも,これも悪問集で書いているが,多くの悪問・出題ミスの指摘に対し大学側はあまり謝罪・訂正をしない(少なくとも社会科の場合)。Togetter末尾にあるが,「論述問題はともかく,私大のマーク式の問題など「問題ミスではないか?」と指摘しても,黙殺される場合が多い。言い訳する大学はまだやる気のある大学。全国模試なら完全にアウトのレベル,というか,全国模試なら検討会議の段階で改善してますが。」は本当にその通りすぎて。これらの失態には,大学の教育機関としての姿勢を疑う。しかし,現実としてこのような不誠実がまかり通っている。
3.採点の姿勢自体がアドミッション・ポリシーの体現にかかわるから。
→ Togetterにも出てきている意見「入試問題はアドミッションポリシーを体現しているべき」というのは全面的に同意する。アドミッション・ポリシーとは入学者受入れの方針のことで,現在重視されている事項であり,それだけに今なら大概の大学でHPで公開している。無論のことながら大学入試とは一般入試(筆記試験)だけではないので,推薦や,まんまなAO入試もあればセンター利用もある。ゆえに,アドミッション・ポリシーが必ずしも一般入試だけを指した内容になっているわけではないものの,一般入試の内容はアドミッション・ポリシーの方針に沿ったものであるべきだ。
→ ほしい人材に沿った入試問題を出題してほしいと心から思うが,記述式の問題の場合,採点基準そのものがアドミッション・ポリシーの体現になるという観点は忘れられがちではあると思う。たとえば,Togetterでも出ているが,受験数学の範囲を超えた解法を採点するか否かなんてのはその大学のアドミッションポリシーを如実に示しているわけで。漢字・年号・計算ミスの減点具合も大学によって大きく異なり,姿勢の違いが見えておもしろいところだろう。この観点において,採点基準や解答例の公開は大学側にとっても有益であると考える。
・その他の論点について
何を公開するべきか?ということについて。マーク式は単純である。最低限,正答一覧はつべこべ言わずに公開して欲しい。採点講評もあればなお良い。一方,記述式(論述)の場合,解答の多様性が失われる危惧は確かに存在するので,確かに「正答(模範解答)」の非公開もありうる。やるのであれば採点基準,そして採点講評という形になるだろう。無難なのは採点講評で,大学側で考えて公開/非公開のラインを設定できる。言及したくない問題については言及せずに済む。逆に作題者の意図と受験生の解答の乖離が激しかった場合はそこに字数を費やせば良い。出題ミスや悪問の指摘に対しても反論の場が与えられる(大概の場合は平謝りしか無いだろうけど)。
デメリットとして。こちらで指摘されていることはもっともで,正答や採点基準を公開すれば間違いなくクレーマーは増えるし,その結果として入試の「安全化」という残念な現象は起きうる。採点基準公開の関係上,突飛でおもしろい問題は出しづらくなる。このデメリットの解決法は難しいが,「明白な出題ミス以外の問い合わせは一切返答しない」とするか,やはり採点講評の公開に留めるかあたりが落とし所になるような気はする。
これは論点が多岐にわたるので,じっくりと。私はTogetterの大勢の意見と同様に大学入試の正解(解答例・採点基準・講評)は基本的に公開されるべきと考えている。その理由について以下に3つ挙げる。
1.最大の理由として,入試の透明性確保のため。
→ Togetter中段にある「入試の場合、特に論述問題は、公表されていないルールを手探りで探しながらゲームに参加しているようなもの」というのは本当にうまいことおっしゃる,という感じなのだが,このような現状があるから。入試が筆記試験でなされるのは不透明性の低さ,公平性の確保という観点からであるが,その筆記試験の採点基準が不明瞭なのはメリットを減らしている。最難関国公立・私立大の問題だと,指導者間で解答が大きく割れることもあり,しかもそれぞれに一理あるので,完全な正解例は大学側でしか把握されていない,という現状はどの程度理解されているのか。
2.出題ミスを減らすため。
→ これもTogetter序盤に「出題ミスを見つけるのが目的なら悲しい」「トップの大学がそんなんになると終わりかな?」というやりとりがあるが,現実的に話すと少なくとも難関大学の社会科はミスだらけである。世界史についてはこのブログで検証している(→ 受験世界史悪問・難問・奇問集 ver.2012 その1(上智大・慶應大),(早稲田大)その2)。悲しいが,とっくの昔に終わっているとも言える。
→ 一つ擁護すると,受験生のレベルが高く標準的な問題を出題しても差がつかないため,難問を出題せざるを得ないという大学側の事情はある。練られた難問というのは作題が難しく,ちょっと手を抜くと簡単に悪問,そして出題ミスにつながってしまう。また,論述問題のほうが難問かつ良問は作りやすいが,マーク式・短答記述はさらに作題が困難になる。しかし,当然ながらそれが悪問・出題ミスを乱発してもよいという完全な免罪符にはならない。
→ また,上に挙げた悪問集を見ていただければ分かる通り,難問化させるためではなく明らかな手抜きの結果としての悪問・出題ミスがあまりにも多い。しかも,これも悪問集で書いているが,多くの悪問・出題ミスの指摘に対し大学側はあまり謝罪・訂正をしない(少なくとも社会科の場合)。Togetter末尾にあるが,「論述問題はともかく,私大のマーク式の問題など「問題ミスではないか?」と指摘しても,黙殺される場合が多い。言い訳する大学はまだやる気のある大学。全国模試なら完全にアウトのレベル,というか,全国模試なら検討会議の段階で改善してますが。」は本当にその通りすぎて。これらの失態には,大学の教育機関としての姿勢を疑う。しかし,現実としてこのような不誠実がまかり通っている。
3.採点の姿勢自体がアドミッション・ポリシーの体現にかかわるから。
→ Togetterにも出てきている意見「入試問題はアドミッションポリシーを体現しているべき」というのは全面的に同意する。アドミッション・ポリシーとは入学者受入れの方針のことで,現在重視されている事項であり,それだけに今なら大概の大学でHPで公開している。無論のことながら大学入試とは一般入試(筆記試験)だけではないので,推薦や,まんまなAO入試もあればセンター利用もある。ゆえに,アドミッション・ポリシーが必ずしも一般入試だけを指した内容になっているわけではないものの,一般入試の内容はアドミッション・ポリシーの方針に沿ったものであるべきだ。
→ ほしい人材に沿った入試問題を出題してほしいと心から思うが,記述式の問題の場合,採点基準そのものがアドミッション・ポリシーの体現になるという観点は忘れられがちではあると思う。たとえば,Togetterでも出ているが,受験数学の範囲を超えた解法を採点するか否かなんてのはその大学のアドミッションポリシーを如実に示しているわけで。漢字・年号・計算ミスの減点具合も大学によって大きく異なり,姿勢の違いが見えておもしろいところだろう。この観点において,採点基準や解答例の公開は大学側にとっても有益であると考える。
・その他の論点について
何を公開するべきか?ということについて。マーク式は単純である。最低限,正答一覧はつべこべ言わずに公開して欲しい。採点講評もあればなお良い。一方,記述式(論述)の場合,解答の多様性が失われる危惧は確かに存在するので,確かに「正答(模範解答)」の非公開もありうる。やるのであれば採点基準,そして採点講評という形になるだろう。無難なのは採点講評で,大学側で考えて公開/非公開のラインを設定できる。言及したくない問題については言及せずに済む。逆に作題者の意図と受験生の解答の乖離が激しかった場合はそこに字数を費やせば良い。出題ミスや悪問の指摘に対しても反論の場が与えられる(大概の場合は平謝りしか無いだろうけど)。
デメリットとして。こちらで指摘されていることはもっともで,正答や採点基準を公開すれば間違いなくクレーマーは増えるし,その結果として入試の「安全化」という残念な現象は起きうる。採点基準公開の関係上,突飛でおもしろい問題は出しづらくなる。このデメリットの解決法は難しいが,「明白な出題ミス以外の問い合わせは一切返答しない」とするか,やはり採点講評の公開に留めるかあたりが落とし所になるような気はする。
Posted by dg_law at 23:39│Comments(0)│