2012年10月17日

屁をこいて失敗して出家する

酒伝童子絵巻(狩野元信)サントリー美術館の「御伽草子」展に行ってきた。鎌倉時代から江戸時代にかけての本邦の物語をめぐる展覧会である。必然,絵巻物が展示の大半を占める。ただし,タイトル通りの御伽草子しかないわけではなく,物語全般を扱っているため鼠草子絵巻や百鬼夜行絵巻なども展示されていた。

主要に取り上げられていた物語は浦島太郎と酒呑童子である。とりわけ酒呑童子を描いた作品は,数自体が多いこともあり今回の展覧会でもかなり多く展示されていた。お陰で頼政公も大暴れである(画像は狩野元信による)。一方,頼光の冒険譚は全く取り上げられていなかった。御伽草子から漏れた影響がこんなところに。そして,この2つに限ったことではないが,バリエーションが多いなということは改めて感じた。「これ」という原典があって成立した物語群ではなく,「これ」という物語が整理されるまでに(それが江戸時代としても)かなり時間がかかっているので,こうした事態になったのだろう。登場人物の立ち位置や話のオチが全く正反対だったりすることもあるので,どうしてこうなった感が強い。

御伽草子のような諸物語が成立したのは鎌倉時代から室町時代にかけてのことで,これは政治の主体が公家から武家に移り変わったこと,商工業が発展して民衆の活力が増してきたこと,そして下克上の風潮が現れてきたことに起因する,と説明されていた。すなわち,恋愛劇よりも活劇であり,難解な思想よりもわかりやすい説話である。元をたどれば『日本書紀』にいきつく浦島太郎はやや例外的としても,酒呑童子はなるほどいかにも武家が好む話であり,ものぐさ太郎や一寸法師は完全に成り上がりのストーリーである。恋愛要素はないわけではないが,「恋愛劇」というよりは美女に一目惚れ的なものが多く,機微に触れたものではない。こうした特徴の最たるものが圧倒的な下品さで,ご先祖様たち屁好きすぎるだろと。屁で妙音が出せるようになって成り上がるとかどういう話だよ。

多種多様な物語がある一方で,よく言えば中世らしい,悪く言えば中世の発想の限界か,どうしてもオチが偏る。とりあえず何かあれば出家する。まあ,知ってた。高校で古文の授業を受けてても同じ事を思ったもんな。現実でも都合悪くなると出家するとはいえ,物語でもとりあえず爆発オチのノリで出家する。出家すれば全部丸く収まる。ここは平安文学からまったく変わらないところで,本邦における仏教の重さやら都合の良さやらに感じ入るところである。途中からサントリー美術館の学芸員も吹っ切れたのか面倒になったのかしてキャプションをつけていたのではないかと思うのだが,「〜〜があって,出家する。」とキャプションの文体が統一されていたのがとても印象的であった。


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この記事へのコメント
はじめまして。
「御伽草子」展の感想を検索して、たどり着きました。
私も、出家オチと、その心情に至るまでの描写の乏しさが気になったのですが、逆にそれらがあの展示を面白くしていたなーと思いました。
Posted by あー。 at 2012年10月23日 00:56
はじめまして。
出家オチについては,学芸員の側でも重ね芸にして笑いをとりに行っていたのではないかと思います。
展示の工夫としては十分ありかなーと。
Posted by DG-Law at 2012年10月23日 01:45