2013年03月10日

−絶対王政と革命−(2013一橋大世界史第2問)

2013年一橋大世界史第2問

さて,一橋大である。ひどく長い問題文だが,要するに,1787年の名士会による三部会開催要求が,革命にあたるか反乱にあたるか考察し,ディベート風に両論並立で答えなさいという要求だ。副題兼ヒントとして,絶対王政の成立による国王と貴族の変化,及びフランス革命のスローガンを参考にしろという留意事項がついている。

この問題の最大の特異点は「考察しなさい」の一言である。「論じなさい」はありうるが,「考察しなさい」はちょっと見たことがなかった。たとえば今年の東大も語尾が「論じなさい」だが,必要な歴史用語の名前とその説明を組み合わせれば,”立論”できてしまうように作問されている。ただし,その組み合わせるべき情報の取捨選択力と,文章構成力は極めて高度な部類のものが求められている。普段の一橋の問題も,方向性は違うが必要な能力は似たようなものだ。

が,この一橋の問題はすごい。これが「絶対王政の性質について説明しなさい」なら,合格するような受験生は解答できたはずだ。「フランス革命の歴史的意義について論じなさい」だったとしても,巨大すぎるテーマだが,筆が止まるということは無かったであろう。が,「なんでも”説明”してやる/論じてやる」という心構えのほとんどの受験生は,この問題を見てさぞかし困惑したに違いない。一見すると,立論の道具がほとんどないからだ。

知識だけで考えれば受験世界史範囲内でなんとか解答可能であるあたり,巧妙な問題でもある。副題兼ヒントも,武士の情けか,とても良いところに提供されている。そして,受験生の困惑を横に置いておけば,非常におもしろい問題である。歴史理解とは用語や年号の丸暗記ではなく,事象に対する理解力でもなく,時代ごとの特徴を説明できる能力だとする理想主義には賛同したい。が,それが大学入試で問えるかどうかは別問題であって,ひとまず現下の受験生には無茶ぶりではなかったかという懸念はぬぐえない。

というわけでこの問題,絶対王政とフランス革命に対する理解さえあれば,受験生的な知識がなくても解ける。そういう意味では,受験生的な解答作成マインドがないほうがとっかかりやすいかもしれない。以下に私なりの解答解説を掲載しておくので,腕に自信のある方は挑戦してみて欲しい。なお,私の解答が正しいとは限らない。



いろいろな考え方があると思うが,絶対王政の性質に対する理解は必要で,かつ共通の基盤になる。絶対王政の性質については,以前このブログで書いたことがある。偶然にもこの記事が本問題解説の準備稿になってしまったところはある。
→ 絶対王政について(nix in desertis)

「長すぎて読めない」方向けに要約するならば,要するに絶対王政とは表面的な語の感覚と異なり,むしろ専制君主よりも権力は大きくないこと。その構造は,時代の遺物である貴族と,成長する市民のバランサーとして国王が君臨する形であることが押さえられていれば問題ない。

ところで,ルイ16世を啓蒙専制君主として見る向きがある。つまり,上からの改革によって国家の近代化をなそうとした君主,というわけだ。その具体的な行動が貴族に対する課税であり,つまり特権の剥奪を意味したということは前出の記事でも書いた通りだ。これは絶対王政の否定につながり,かつ国王権力の拡大になるから,なるほど”啓蒙”で”専制”と見ることもできるだろう。ルイ16世という国王本人が,絶対王政の限界を悟っていたのである。彼自身からして革命的であった。この点,問題文では一切の記述がない。これがこの問題の嫌らしいところである。

してみると,問題になるのはこれに対する貴族の動きである。彼らは「名士会」が招集され,一方的な承認を要求されるとこれを拒否し,「三部会」の復活を求めた。恒常的な参政権を要求したわけだ。事実,三部会はこの2年後に招集され,貴族たちは主体的に課税案を否決しようとした。この貴族の動きが「革命」か「反乱」かを考察せよというのが問題の要求であるが,それも当然である。そもそもこの要求の解釈が,そのまま革命か反乱かの分岐点になるからだ。

革命とは政治・社会上の大きな構造転換を指す。ゆえに,三部会の復活が実現した場合を大きな政治上の転換点と考えれば,これは「革命」である。ただし,この判断はかなり面倒な問題をはらむ。なぜならこの構造転換は,全く逆の2つの方向に解釈可能だからだ。まず,イギリスの清教徒革命を150年遅れで追う動きと見なすのであれば,この議会復活はフランス革命同様に”進歩的”な動きと言えるだろう。一方,封建的特権の温存・王権の弱体化を目指す動きとして見るなら,この動きは”反動的”であり,反革命(counterrevolution),つまり中世への逆戻りとも見なしうる。反革命は革命のうちに入らないという立場であれば,後述の事情とは別に,貴族の動きは「反乱」に区分することもできる。

なぜ同じ「革命」と見なす向きなのに,このようなことが起こりうるのか。それは英仏の歴史が全く異なっていたのにもかかわらず,”近代”という到達点自体はほぼ同じというややこしさが原因であろう。フランスの絶対王政では三部会が1615年に解散したが,イギリスの絶対王政は議会が温存された。結果として,確かにイギリスは絶対王政が打破されて議会主権が確立されたが,そもそもイギリスの清教徒革命も発端は課税問題であり,さかのぼってマグナ=カルタが「(封建的)特権」として持ち出されてスタートしたのである。それがいつの間にやら世界史を揺るがす大事件に発展したのが一つの歴史のおもしろみだとは思う。清教徒革命は進歩的だと見なして当然だというのは,クロムウェルの独裁や名誉革命まで踏まえた上での結果論でしかない。ついでに言うと,この点を持ち出して「清教徒革命・名誉革命は市民革命ではない」とする解釈もあり,近年有力で,”市民革命”という概念自体が近年教科書から消えかかっている。

一方,「反乱」と見なすのはより単純でよい。革命のハードルを上げればいい話なのだ。確かに三部会の招集は,進歩的か反動的かの判断を留保すれば,政体の変化にかかわる話ではあるかもしれない。しかしそれは「国王の存在」自体や「封建的特権の存在」自体,もしくは「社団国家」という社会体制自体の改廃に踏みこんだものではない,という見方をすれば,革命と呼ぶには値しない。

清教徒革命は国王処刑に至ったし,名誉革命は国王の追放・交替を含んでいる。君主制の廃止という点ではアメリカ独立革命も同じで,フランス革命以前に生じた革命は何かしら国王の身柄をどうにかしているのである。さらに言えば名誉革命後は漸進的ながら封建的特権の撤廃が進んだし,アメリカ独立革命が啓蒙思想的要素にあふれているのは今更言うまでもない。さて,三部会を復活させた貴族たちに,貴族共和制の確立やルイ16世の更迭までの意図があっただろうか。確証はないが,まず間違いなく”否”である。三部会での貴族は自らの特権を返上したか。これは史実を見ても否である。三部会の招集には,マグナ=カルタに比するような論拠があったか,これも厳しいし,啓蒙思想的な裏付けがあったかという観点で考えても苦しい。

以上から,解答の基本路線には,以下の2つのパターンがある。

1.「革命」とは近代市民社会・国民国家の成立を目指すものであると定義すると,貴族の動きは反動的であるから,「反乱」でしかない。一方,「革命」とは何かしらの政体の変化全般と見なすなら,王権の制限を求める動きには違いがないので,貴族の動きもまた「革命」である。駿台はこちらのパターンである。東進の解答例1も基本的にこちらのパターンなのだが,貴族の動きの反動性の理屈としてなんとマルクス主義を持ち出している。さすがにそれはちょっと……
2.「革命」とは大きな政治・社会構造の転換であるから,身分制や社団国家の構造には踏みこんでいない貴族の動きは「反乱」でしかない。しかし,それでも貴族の動きは絶対王政の打倒には違いなく,後の大革命の端緒となったから,これは「革命」と見なせる。代ゼミと河合は基本的にこちらのパターンだ。河合は双方政治体制の変動ではあるが,貴族の動きは社会体制の変動にはなっていない,とまとめている。東進の解答例2は一応こちらに入るのだと思うが,「貴族の動きは第三身分に希望を与え」って史実なんですか。1も2もなんだかなぁ。

で,なんとか1の要素も2の要素も含めようとして,割と迷走した感じの私の解答例が以下である。


絶対王政は封建的遺制にしがみつく貴族層と成長する市民層のバランスの上で国王が君臨する政治体制である。しかしルイ16世はフランスの財政難から,啓蒙専制的な上からの改革を志し,封建的特権に踏みこんで貴族への課税を試みた。これに対する貴族の三部会の復活という要求は,絶対王政への挑戦であり,また王権の弱体化と中世的な国王と貴族の関係の回復を目指すものとも考えられるから,1787年の貴族の動きは清教徒革命と同様に「革命」と見なしうる。しかし,貴族の動きは君主制や身分制自体には触れていない。一方1789年以降の革命は啓蒙思想に基づき,『第三身分とは何か』や人権宣言で主張されたように,身分制の否定や人権の確立,封建的特権廃止に踏みこみ,近代市民社会の成立を目指した。さらに急進化すると君主制をも廃止して共和政の成立に至った。このようにより根本的な体制転換を目指したものと比較すると,貴族の動きは「反乱」と見なされる。(400字)

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この記事へのコメント
問題文には「革命をどのようなものと定義すれば....」という条件がついていました。
解答の中にも反映させるべきなのでは?
Posted by ゆうすけ at 2013年03月12日 00:58
実はもう一つ作った答案例には冒頭に「革命とは政治・社会上の大きな構造転換であれば」と入れてたんですが,自明すぎるかなと思ってやめたんですよ。

そうですね,明示的に答案に盛り込んだほうが,採点官には親切だったかもしれません。
Posted by DG-Law at 2013年03月12日 02:40