2013年03月29日

英国王のスピーチ

ジョージ6世というと暗黒王のイメージしかないのは某ゲームのせい,というか大英帝国騒乱記のせいだが,史実のジョージ6世は立派な人物であった。そんな英国王を描いた名作の映画として名高いのが本作である。

ジョージ6世は吃音であった。どもるのもそうだが,それ以上にそもそも言葉が出てこないのである。それも多くの人前やラジオの前になると,途端にひどくなる。しかしその症状故に,現代であれば心因性のものと想像がつくが,当時の医療水準にあっては予想がつかないのも仕方のない話であった。数々の言語障害の医者にあたるが,全く成果の出ないジョージ6世とそれを心配する妻であったが,ある日オーストラリア出身,かつあからさまに風体の胡散臭い医者ライオネルに出会う。彼が吃音の原因は心因性であるということを見抜き,治療にあたることになった。この医者が吃音を改善させることになるとは,当時の夫妻には想像つかなかったであろう。そうして吃音は改善されていき,最後の第二次世界大戦を告げるスピーチでは一度もつまらずに終わる,という筋書きである。

治療に並行して,ジョージ6世の即位過程も描かれる。歴史好きの多くは知っていることだが,彼は次男であり,当初は後継者として扱われていなかった。しかし彼の兄エドワード8世は人妻に恋してしまい,当然そのことは国教会の首長でもある英国王として不適格とされてしまう。「王冠を賭けた恋」と言われたこの事件は,結局エドワードの退位で幕を下ろす。結果的にお鉢が回ってきたのがジョージ6世であった。史実でも彼は自分には向かないと言っていたそうだが,この映画でも再三自分が国王の器ではないことを妻に漏らしている。しかし,妻やライオネルに励まされて次第に国王としての自信をつけていく。本作が描いたテーマは,一つが平民(医者)と国王の対等な友情の物語であり,もう一つは国王の器というものであろう。立憲君主制下で,「君臨すれども統治せず」の国王はいかにあるべきか。父王ジョージ5世は「いまや国王は道化だ」とし,国民の機嫌を取り続けなければ生き残れない,とジョージ6世に諭していた。兄のエドワード8世はそんな損な役回りをかなぐりすてて退位した。それでもジョージ6世の示した道は心で国民を導く者としての国王の姿であった。この姿をスピーチの成功と重ね合わせて見せたことで,この映画は成功したと言える。

本作はかなりの部分で史実に沿っているが,Wikipediaにもあるようにいくつかの部分で史実と異なる。映画ではライオネルにかかった期間はかなり短く設定されているが,史実では開戦のスピーチの時点ですでに10年来の付き合いであった。また,本作でのチャーチルはジョージ6世に即位を促しているが,当時の保守党は党全体としてエドワード8世の退位に慎重であり,最終的に決断したボールドウィンも苦渋の選択であったと思われる。ついでに言えばボールドウィンは首相を辞任した際にジョージ6世に「ヒトラーは開戦を望んでいる,戦争は避けられない」と語っているが,実際にはその時点でのイギリスはいまだ宥和政策を継続する意志であり,ボールドウィンの後継ネヴィル=チェンバレンがミュンヘン会談を主導したのは有名な話だ。しかし,本作ではミュンヘン会談の話は一切出てこず,むしろジョージ6世がヒトラーの演説を見て「彼は演説がうまい」とうらやましそうに感想を一言述べているのが,唯一のヒトラーの登場シーンである。しかも即位後もジョージ6世にアドバイスするのは海軍大臣となったチャーチルであって首相ではないので,本作におけるチェンバレンの影は極めて薄い。歴史に疎いものが見たら,相当にイギリス史を誤解しそうではある。

無論のことながらこのシーンには,演説で国民を扇動する,伝統と正統性を欠いた独裁者の姿と,朴訥でも誠実でかつ伝統を背負った英国王という対比の演出である。また,ただでさえ2時間ギリギリに詰め込んだのに,この上ミュンヘン会談だのを入れて戦争への足音が近づいてくるシーンなんて入れたら,映画が2時間半の長さになってしまう等の事情もわかっているので,文句を言っているわけではないことを一応書いておく。



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