2013年04月11日
『三国志 7・8巻』宮城谷昌光著,文春文庫
実は最も書くべきことは前回の書評に書いてしまっている。8巻でとうとう劉備が死ぬことになるが,これによって本書の頂上は過ぎてしまったように思う。
劉備は捨てに捨てて曹操の対極を行った。彼の徳はそれゆえに高まったものであるが,これは次の当たり前ことをも意味する。持たぬゆえに,物理的な意味では曹操に勝てぬのだ。劉備が彼自身の正義を貫きつつも野望を達成するには,自らの徳の源泉自体を捨てて物理的な所領と軍事力を手に入れる必要があった。この指針を示したのが諸葛亮であったのだろう。だからこそ,劉備をわかりすぎている関羽と張飛は,決して諸葛亮と親しくならなかったし,劉備自身も次第に徳を失っていく。最後には暗愚な息子への愛情をも捨てられず,これを指して「劉備の一生には創意も工夫もなかった。ただし,それをつらぬいたことで,凡庸さをも突き破ったのである。が,曹操の有為に対して劉備の無為は,秘めた徳というべき玄徳に達したか、どうか。」と来る,宮城谷三国志の冷酷なまでの人物評と文章の美しさに,ページをめくる手が止まるほどしびれた。
劉備の直接的な死因は夷陵の戦いといってよいと思うが,夷陵の戦いの原因は関羽の独断専行であった。呉が裏切らなければ,という話であるのはもちろんだが,同盟軍といえど南郡(江陵)の食糧を勝手に利用した時点で呉の憤慨は予想できたことであったし,呉の領土からの食糧略奪がなければ樊城(襄陽)を落とせなかったのであればやはりそれは無謀な計画だったと言わざるをえない。史実でもなぜに関羽が独断専行したのか大きな疑問点であったが,その理由として本書が挙げる「劉備が失った徳を,義兄弟が取り戻そうとした。そのために曹操と戦うという大義が必要であった」というのはそれなりに強い説得力があった。関羽は半ば死地に赴くつもりであった,とするのは踏み込みすぎであろうか。死して関羽は劉備への敬愛を示したのだ。
一方,曹操の死は淡々としたものであった。あくまで正統派な英雄だったということであろう。ちょっとおもしろいのは,本書の曹丕はほとんど暗君と言っていい状態であることだ。確かに彼にそういう要素はあるが,一般的なかかれ方よりもかなり悪しざまであるように思う。この理由はどうやら9巻にまわされるようなのでそちらに期待したい。ところで,本書は小説の三国志にしては珍しく九品官人法に触れており,曹操の実力主義から安定した家柄・貴族主義への転換点として評価(というよりも批判)している。この点は好感を持った。確かに,小説としての三国志の主流ではない事象だが,ある種の「三国志」の終わりの始まりであり,唐まで続く中国社会の基盤となった制度であるので,本来は触れない方がおかしい。
また,本書の孫権は一貫して胡散臭い人物として描かれている。確かに呉の外交的立ち回りを見るとその通りなのだが,これは呉の立ち回りであって孫権の立ち回りではないのでは,という気はする。この孫権の描かれ方の理由も,今後出てくるのだろうか。
三国志〈第7巻〉 (文春文庫) [文庫]
著者:宮城谷 昌光
出版:文藝春秋
(2011-10-07)
三国志 第八巻 (文春文庫) [文庫]
著者:宮城谷 昌光
出版:文藝春秋
(2012-10-10)
劉備は捨てに捨てて曹操の対極を行った。彼の徳はそれゆえに高まったものであるが,これは次の当たり前ことをも意味する。持たぬゆえに,物理的な意味では曹操に勝てぬのだ。劉備が彼自身の正義を貫きつつも野望を達成するには,自らの徳の源泉自体を捨てて物理的な所領と軍事力を手に入れる必要があった。この指針を示したのが諸葛亮であったのだろう。だからこそ,劉備をわかりすぎている関羽と張飛は,決して諸葛亮と親しくならなかったし,劉備自身も次第に徳を失っていく。最後には暗愚な息子への愛情をも捨てられず,これを指して「劉備の一生には創意も工夫もなかった。ただし,それをつらぬいたことで,凡庸さをも突き破ったのである。が,曹操の有為に対して劉備の無為は,秘めた徳というべき玄徳に達したか、どうか。」と来る,宮城谷三国志の冷酷なまでの人物評と文章の美しさに,ページをめくる手が止まるほどしびれた。
劉備の直接的な死因は夷陵の戦いといってよいと思うが,夷陵の戦いの原因は関羽の独断専行であった。呉が裏切らなければ,という話であるのはもちろんだが,同盟軍といえど南郡(江陵)の食糧を勝手に利用した時点で呉の憤慨は予想できたことであったし,呉の領土からの食糧略奪がなければ樊城(襄陽)を落とせなかったのであればやはりそれは無謀な計画だったと言わざるをえない。史実でもなぜに関羽が独断専行したのか大きな疑問点であったが,その理由として本書が挙げる「劉備が失った徳を,義兄弟が取り戻そうとした。そのために曹操と戦うという大義が必要であった」というのはそれなりに強い説得力があった。関羽は半ば死地に赴くつもりであった,とするのは踏み込みすぎであろうか。死して関羽は劉備への敬愛を示したのだ。
一方,曹操の死は淡々としたものであった。あくまで正統派な英雄だったということであろう。ちょっとおもしろいのは,本書の曹丕はほとんど暗君と言っていい状態であることだ。確かに彼にそういう要素はあるが,一般的なかかれ方よりもかなり悪しざまであるように思う。この理由はどうやら9巻にまわされるようなのでそちらに期待したい。ところで,本書は小説の三国志にしては珍しく九品官人法に触れており,曹操の実力主義から安定した家柄・貴族主義への転換点として評価(というよりも批判)している。この点は好感を持った。確かに,小説としての三国志の主流ではない事象だが,ある種の「三国志」の終わりの始まりであり,唐まで続く中国社会の基盤となった制度であるので,本来は触れない方がおかしい。
また,本書の孫権は一貫して胡散臭い人物として描かれている。確かに呉の外交的立ち回りを見るとその通りなのだが,これは呉の立ち回りであって孫権の立ち回りではないのでは,という気はする。この孫権の描かれ方の理由も,今後出てくるのだろうか。
三国志〈第7巻〉 (文春文庫) [文庫]
著者:宮城谷 昌光
出版:文藝春秋
(2011-10-07)
三国志 第八巻 (文春文庫) [文庫]
著者:宮城谷 昌光
出版:文藝春秋
(2012-10-10)
Posted by dg_law at 22:30│Comments(0)│