2013年04月24日

おばさん顔でもかわいい絵

ミュシャ《サロン・デ・サン ミュシャ展》森美術館のミュシャ展に行ってきた。人気だろうなとは思っていたが,実際に入場待ちが1時間弱で,さすがにそこまでは予期していなかった。恐るべしミュシャである。作品数は約240点で,かなりボリュームがあった。

作品展示の順番はおおよそミュシャの制作順に沿っており,前半がサラ・ベルナールとの出会いと出世,そして売れっ子の作家としての活躍。後半が民族主義に目覚めてからの油彩画である。作品リストを持ち帰るのを忘れてしまったのでわからなくなったが(図録は買った),割合は7:3くらいではなかったか。前半の作品群については,有名な作品がぼちぼち多く来ていた。《ジスモンダ》《JOB》はミュシャの作品の中でもトップクラスの知名度ではないかと思う。あとはVic好きとして今回の画像は欠かせない(その原因)。これらを含めた有名作品がおおよそ見られただけでも行ったかいはあった。これらは広告ゆえに一点一点がわりと大きく,そして広告故に実際の大きさは重要だ。そのあたりを確かめるだけに意義深い。

今回の同行者に突発的な参加者がいて,美術は全く知らないという方であったが,それがミュシャだったのが僥倖であった。彼には「100年前の萌え絵」と紹介したが,”だいたいあってた”と思う。その上でどのへんがそう見えるか考えてみると,アール・ヌーヴォー自体がそうだが,やはり曲線の多様とデフォルメの妙であろう。草花や髪が丸くなることで女性のかわいさが強調されている。服や髪型は仰々しいが,逆に人間部分はのっぺりかつすっきりしており,デフォルメされているかのような印象を受ける。このあたりがかわいいは正義状態にしている所以ではなかろうか。あとはまあ,おばさん顔なんだけどかわいいというのは貴重だという指摘は一応しておきたい。一方,よく見ると濃い顔の作品はいくつかあり,そういった作品からはあまり萌えを感じなかった。デフォルメ感が足りない。

ついでに言えば配色の問題で,髪の色や枠の模様パターンで金色が多用されており,それらが浮き出て見える代わりに人間部分が沈み込んで見える。このことで人間部分の飾り立てられている感が強調され,一層華やかに見える。金色が遠近感を潰すということで徹底的に嫌われたのがルネサンス。人間と背景を明確に分けて背景をぼやかすのが古典主義なら,人間も背景も同じように描いて「死体」となじられたのが印象派。そのいずれの教訓も経てたどり着いたのが世紀末芸術と,歴史を鑑みるになかなか感慨深い。特に金色の多用はクリムトを連想させたが,今回の展覧会で掲示されていた年表を見ると,二人は1898年のウィーンでばっちり会っている。強い影響関係を指摘するような事実ではないが,とても納得は行った。


さて,後半の展示はスラヴ叙事詩に至る作品群である。ミュシャとしては人気がない部類だ。この展覧会はそのような世評を覆す目的が無いわけではないらしい。が,やはりチェコナショナリズムに目覚めてからのミュシャの作品は質が落ちると思う。そもそも,時期的には前半にあたる時期に描かれた油彩画も見たがこれもカラーリトグラフに比べると首をひねる腕前のもので,独創性に欠けていて平凡である。これが民族主義に目覚めてから腕が上がっているなら美談なのだが,そうでもないから評価は辛くなる。テーマ設定も抽象的でひとりよがりなところを感じる。今言ってもしょうがないが,これなら彼は変わらずカラーリトグラフで儲け続けて,その資金を政治家に献金したほうが早道だったのではないか,とさえ思う。私自身も親民族主義で,当時のチェコの状況を考えるに「自分の本業で力になりたい」と考える気持ちはよくわかるのだが,一方で冷静な評価を下すと民族主義は横に置いといて欲しかったかなぁと思う。



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