2013年05月14日

主権国家と国民国家

某所で「国民国家という統治システムはウェストファリア条約のときに原型が整った」という文章を読み,それはどこの別世界だよと思ったのだが,本題でなかったこともあって,自分以外特に誰からもツッコミが入っていなかった。冷静に考えるとえらい錯誤である。「国民国家というのは国境線を持ち、常備軍と官僚群を備え、言語や宗教や生活習慣や伝統文化を共有する国民たちがそこに帰属意識を持っている共同体のこと」と国民国家を定義しているわりに,「以後400年ほど国際政治の基本単位であった」と書いているから,この方は主権国家と国民国家を取り違えているように見える。それほど長くなく,この記述に関して思うところを書いておく。

言うまでもないが,ウェストファリア条約で成立したのは主権国家体制という国際秩序であり,はじめは西欧だけであったのが,西欧の世界進出とともに20世紀初頭までに全世界に広まっていったものだ。1648年にウェストファリア条約が締結された時点で,西欧に国民国家が存在したかと言われるとほとんどの歴史家は首を傾げるところだろう。当時の西欧国家は絶対王政の政体を取っており,社会体制としては国民国家ではなく社団国家であったからだ(絶対王政・社団国家については手前味噌ながら過去記事を参照のこと)。

ウェストファリア条約によって封建社会的な,国境や権力の所在の曖昧な領域は消滅し,主権を持つものと持たざるものが強制的にすぱっと分けられ,ある領主は一社団に据え置かれた一方で,ある領主は突然国家元首と認定された。そうして超小国から大国までが,権利の上では平等な国際秩序が(少なくとも形式上は)成立したのである。だからこそ「社団国家」の成立と「主権国家(体制)」の成立はほぼ同期するのであり,この観点から言えば王権は政府と同化することで国内唯一の主権となったのだから,”絶対”王政というネーミングは正しい。そして,だからこそウェストファリア条約は”国家なのかそうでない連合体なのか判然としない”ことがアイデンティティとなっていた神聖ローマ帝国にとって,「国家としての死亡証明書」だったのである。これが国民国家では意味がまるで通じない。

ついでに言うと,封建社会から絶対王政(社団国家)への移行・主権国家体制の”完成”がウェストファリア条約であって,移行期自体はもっとその手前である。おおよそ百年戦争,イタリア戦争がそれぞれの端緒であると言ってそれほど異論は出まい。その意味で,冒頭の文は「原型が整った」の部分もおかしく,誤りが二重である。無論,「ウェストファリア条約によって国民国家が完成した」でも十分におかしい。

一方,国民国家は(西欧においては)社団国家の発展形態であるから,当然ウェストファリア条約よりも後代になる。社会形態なんてものは明確に何年からこうだ,と切り替わるものではないから,すぱっと切ることは難しいが,アメリカ独立とフランス革命,産業革命がそろってゆっくりと切り替わっていったとして,これも異論はほとんどあるまい。確認のため定義を書いておくが,社団国家では国家(政府)と国民の間に社団という中間団体が入り込み,国家が国民を把握しきっておらず,そもそも国民の範囲も曖昧であった。これに対し,国民国家は社団を排し,国家が国民を直接把握している状態を指す。逆に言って国民は国家への帰属意識を持っている。

最後に,再度冒頭の元記事の方の定義を検討しておく。「(国民国家というのは)国境線を持ち、」→これは主権国家のこと。「常備軍と官僚群を備え、」→これは中央集権的な国家であれば多くで共通する事象。「言語や宗教や生活習慣や伝統文化を共有する国民たちがそこに帰属意識を持っている共同体のこと」→この辺は国民国家の定義と言っていい。要するに最後の部分を言いたかったがためにいろいろ盛ったはいいけれど,最初の「国境線を持ち」の起源から思わずウェストファリア条約のことを挿入してしまったのではなかろうか。あとは国民国家の前提として主権国家の存在があるとして,ウェストファリア条約を国民国家の原型が整った瞬間としたのかもしれない。が,これも絶対王政を無視した言葉の使い方であって,適切ではない。

なお,元記事の本題は「グローバリズムが国民国家を壊す」という話題である。この記事では元記事の本題の話はスルーした。それゆえにリンクも張っていないが,どうしても読みたい方はこの記事の引用部分でぐぐればすぐに出てくるのではないかと思う。