2013年05月29日

『文明崩壊(ジャレド・ダイアモンド)』で気になったところ

書評自体はこちら。私の指摘が合っているという自信もあまりないので,正誤表というよりは「ひとまず私が気になったところ」を列挙しておいた。読者からのさらなる指摘を待ちたい。論がひっくり返りかねないものから定訳でないものの指摘まで,とりあえず並べておいた。ページ数は文庫版に準拠,第三刷で見ている。引用文中の強調は全てブログ主による。


上巻
p.39 「ギリシアのミュケナイ文明や青銅時代地中海沿岸社会の滅亡と”海の人”の侵入」
→ 定訳は”海の民”である。というよりも海の人という表記は初めて見た。この表記で,途端に本書の訳に対する信用が下がったのだが,上巻ではこの種の翻訳ミスが意外と少なかった。


p.358 「ヴァイキング自身の言語(古ノルド語)でも,呼び名の語源となった”ヴィーキンガー”という単語は”襲撃者”を意味する」
→ 自分の言語学は全くの専門外だが,ヴァイキングの語源は古ノルド語の「入り江」を意味するヴィーク(Vik)を語源とするのが一般的な学説のはず。

p.370 「一〇六六年は,ヴァイキングによる襲撃が終焉を迎えた年としても知られる」
→ 要するにノルマン朝イングランド成立をもってヴァイキング襲撃の終焉としているわけだが,両シチリア王国の建国(1130年)は……それは遠すぎるとしても,ロベール・ギスカールとその弟ルッジェーロによるシチリア征服が11世紀末なので,そこまではヴァイキングの征服活動に含めるのが一般的ではないか。
→ もっとも,本書はその数ページ前でヴァイキングのイタリア進出に極めて短いながら触れているので,この段落を書く際にすっぽ抜けただけではないかと思う。

p.401 「写真15 紀元1300年ごろ,ノルウェー人がグリーンランド東入植地のフヴァルセーに建築した石造りの教会」
→ どう考えても紀元後である。文庫版にこんなひどい誤植が残ってるとは思わなかった。

p.540 「シーグリズ・ビョルンドッター」
→ これも自分はアイスランド語に詳しくないという前提で。中世アイスランド人の名前だが,この表記はひどい。中世と現代に発音の差はあるだろうということを鑑みても,せめて現代の発音に近いものにしておくべきで。dottirと綴るんだから”ドッター”はなかろう。この場合は「ビョルンドッティル」や「ビョルンドゥフティル」あたりが適切ではないか。
→ あと,この女性人名のみならず本書全体で勘違いされているっぽいのだが,ビョルンドッティルは姓ではなく父称である。姓のように扱って書いてはいけない。



下巻
p.48〜70
→ 日本を扱った章だが,全体的にかなり苦しい。江戸幕府の日本が17世紀後半以降飢饉が多発するようになった理由を森林伐採による環境破壊に求めていながら,一方で崩壊せずに250年続いた理由を森林管理・人口調整をするようになったからとしている。これだけ読むと筋は通っているのだが,一通り日本史をやった人なら違和感を覚えるはずだ。
→ 一つずつやっていく。18世紀以降,森林管理をするようになってから飢饉の多発が止まったかというと,全くと言ってそうではない。むしろ18世紀後半になるほど多くなっていき,最大の被害が出たのは天明の大飢饉(1782〜84)。原因は気候の寒冷化と火山の噴火。まさに本書のテーマの一つ,非人為による環境変動に当てはまるはずだが,本書はこの点を全く指摘していない。意図的に無視しているのにせよ勘違いにせよ,これは大問題だ。幕府による森林管理自体はあった施策だと思うが,本書の指摘するような治水的意味合いは強くなかっただろう。
→ もう一つ,人口調整は確かにそうした面もなくはないもので,本書の「江戸時代の出生率の上昇と下降が,米価の上昇と下降に連動している」という指摘はまあそうだろうと思う。が,どちらかというと江戸時代の人口成長が2700万人付近で停滞した原因は経済統制と鎖国による社会矛盾の増大が原因であるはずだ。結果として農村人口が大量に都市に流入するも,劣悪な環境下で都市は平均寿命が極端に下がり,結果として人口が一定以上に増えなかったといういびつな構造である。鎖国と米本位の経済体制をやめれば状況は大きく変わっていただろう。

p.50 「平和と繁栄は,日本の人口と経済を一気に押し上げた。戦国時代の終わりから一世紀のうちに,以下に挙げるさまざまな要因がうまく重なり合って,人口が倍増した。平和な世が続いたこと,(中略)二種類の生産性の高い作物(ジャガイモとサツマイモ)の新たな伝来によって農業の生産力が向上したこと,(後略)」
→ サツマイモの伝来は確かに1600年頃ながら,普及は18世紀の享保の改革以降なので外れる。ジャガイモも同じで,伝来は1600年頃だが普及は18世紀に入ってから。サツマイモのほうは青木昆陽の有名なエピソードじゃないか?
→ ちなみに同様の勘違いはしばしば起こる。日本同様,中国も清朝の康煕帝から乾隆帝までの約150年間(1661〜1796)で急激に人口が増加し,その原因として新大陸産の救荒作物が挙げられる。これ自体は事実だが,そのジャガイモ,サツマイモが伝播したのは清代ではなく明末にあたる。そもそも,ヨーロッパでも16世紀に伝播してすぐには普及していない。結局伝播から普及までは時間がかかる,という話で。

p.59 「(森林を破壊する)農業への圧力を緩和するため,(食糧生産が多角化され)魚介類やアイヌとの貿易で得た食料への依存を増やしたことだ。」
→ これも勘違いではないかと思う。食料生産の多角化は幕府が望んだものではなく,単純に経済成長による産業発展の結果であるはずだ。そもそも幕府としては実質的な貨幣を果たす米の増産が第一であったはずで,一部有力な藩が藩政改革の一環で商品作物の専売はしていたものの,主導は商人や富農であった。これにより農村に貨幣経済が浸透して自作農の没落・貧富の差の拡大が発生し,江戸の農村社会が不安定になっていく。そりゃ耕す田畑の無い貧農の次男坊三男坊は都会へ出ますわな。で,その多くは若いうちに死んで,江戸時代の人口”安定”に寄与するわけだ。
→ さらに草木灰から金肥(魚粉)への肥料転換が指摘されており,これ自体は事実だ。しかし,これも森林破壊防止というよりは単純にそのほうがよく育ったからではなかったかと思う。金肥は高価だったので,綿花など高価で採算の取れるものにしか使われなかったはずだが,うろ覚えなので誰かに補足を頼みたい。なお,草木灰利用の普及は江戸初期ではなく鎌倉時代だったはずなので,いずれにせよ草木灰を江戸時代の森林破壊の要因と見なすのは苦しいのではないか。

p.60 「十七世紀末には,木の代替燃料として,石炭の利用が始まった」
→ 確かに石炭利用の開始はそのあたりだが,急激に普及したかというとそうでも……臭いで嫌われて地元の北九州以外では流通しなかったはずである。薪炭不足が原因なので,指摘自体は正しいものの,森林管理の一環といえるほど大規模ではなかったかと思う。

p.66 「(日本の)南西部は亜熱帯気候,北部は温帯気候に属するが」
→ これはひどい。すぐ確認できるんだから誰か指摘してやれよ。北海道のみ冷帯,本州他大部分は温帯,そして南西諸島・小笠原諸島のみ亜熱帯に属する。今ぐぐったら「北東北も冷帯とする」説も見つけてしまったが,いずれにせよ南西部が亜熱帯はありえない。


p.121 「フランス領サン・ドミング」
→ フランス語なんだからサン・ドマングが定訳では。


以下は「追記 アンコールの章」の記述。

p.472 「現カンボジアに位置する”扶南”という土地で」
→ 扶南は確かにクメール人の王朝だが,場所は現ベトナム南部のメコン川デルタ地帯を中心とするので,「現カンボジアに位置する」と言い切っていいかどうかは怪しい。私的には苦しいと思う。また,この場所に関する問題はp.475の項でも取り上げる。

p.475 「東隣りの南ベトナムのチャム族」
→ これは個人差があるので,人によっては誤解でもなんでもないと言うかもしれない。というか,「南ベトナムに位置したチャンパー」と書いてある歴史の本は多数あるので。ただ,厳密に言えばチャンパーが存在したのはベトナム中部(もしくは中南部)のはずである。(Wikipedia:チャンパーの版図
→ どういうことかと言えば前項にも書いた通り,現ベトナム南部は長らくクメール人の居住地で,これをベトナムの王朝が征服したのは黎朝の18世紀頃のことになる。この征服以前の現南ベトナムは”当時はベトナムではなかった”と見るなら,確かにチャンパーが南ベトナムで,ベトナム人の王朝(李朝・陳朝)があったのが北ベトナム,ということになる。
→ ただし,私はこの見方に同意できない。なぜなら,この観点で平等を期すならば,チャンパーが存在した地域は「チャンパー」としか表現できないはずで,現北ベトナムだけを指してベトナムと言うべきである。にもかかわらずチャンパーを”当時の南ベトナム”と言ってしまうのは「チャム人は将来的にベトナムに吸収されて少数民族に転落するのだから過去に遡及して無視しても良い。ただし,クメール人は現在カンボジアという独立国家を持っているのだから配慮すべき」という浅慮が透けて見えるからだ。
→ 話がややこしくなるので,現在の諸国の版図を基準にすべきで,少なくとも陳朝・黎朝によるチャンパー侵略が始まる以前のベトナムは「ハノイ王朝があるのが北部,チャンパーがあるのが中部,クメール人居住地域が南部」でよいのではないか。
→ もっとも,この著者,もしくは訳者がどういう意識でチャンパーを南ベトナムとしたのか,推測できないが。ただし,本書のp.484に「ベトナムは1700年代にメコン・デルタをクメール人から奪った」という記述があるので,史実は押さえているようだ。

p.476 「(前近代の人口高密度都市の代表例として)七世紀のバグダッド」
→ これもひどい。バグダードの建設はアッバース朝二代目カリフ:マンスールによるもので,アッバース朝の建国自体が750年なのだから七世紀は絶対にありえない。

p.477 「十三世紀ミャンマーのバガン
→ パガン朝の首都を指しているならパガンが正しい。BとPの見間違えはなさそうなので,パとバか。


この記事へのコメント
>シーグリズ・ビョルンドッター
中世の音でも「ドッター」は有り得ないですね。せめて慣用表記の「ドッティル」にしてほしいものです。

ご存じかもですが,以下の論文がアイスランド語の日本語表記について検討していて興味深いです。
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/44299
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/44968
この部分は,圧縮されて『ゲルマン語入門』(三省堂,2012年)にも収録されてますね。

訳語に関しては原著者の責任ではないのですが,もうちょっとちゃんとしてほしいものですよね。様々な時代・地域のことを扱っている以上,こういうミスは仕方ないことではあるのですけれど……。

全然関係ないですが,以前見かけた最高に笑える固有名詞の翻訳ミスは,某政治思想の本におけるポーランドの国民的詩人「ミッキーウィッツ」というものでした。なにそのフロリダか浦安にいそうな名前……
Posted by mukke at 2013年05月29日 18:17
補足ありがとうございます。
外国語には本当に疎いもので,助かります。
ということはひょっとして,ビョルンも本来はビョルトンってことですかね?>たとえば,「r+{l/n}」では中間に[d]が挿入される
アイスランド語難しい……

東欧系の言語は,Mukkeさんの過去記事で何度か取り上げられてましたが,馴染みの薄い人が多いこともありそういうの多そうですねw>ミッキーウィッツ
凝りすぎても読みづらいカタカナの羅列になるからやめましょう的は意見もなくはないですが,「英語っぽい読み」はさすがにちょっと違和感が……とは,いろいろ読んでて思います。
Posted by DG-Law at 2013年05月30日 02:09
>外国語
僕もたとえば文章読めとか正確に発音してみろとかいわれたら困りますが,要するに東欧キャラを自分の創作で出したかったので,「なるべく現地語に忠実にカタカナ転写できるようになる」ことだけを目標に色々な言語の入門書の最初の方だけを読み囓りましたw

>ビョルン
上で挙げた論文の(1)5-6頁には「ビェルトン」って書いてありますね。北ノルマン語の綴りと音との関係は複雑怪奇ですわ……。まあ英語ほどではないのかもしれませんがw

>凝りすぎても
ここなんですよねー。ウクライナ語の転写とかすごく考えてしまいます。「フメリニツキー」とロシア語で書くべきかウクライナ語で「フメリヌィツィクィイ」と書くべきかという……
Posted by mukke at 2013年05月30日 22:40