2013年06月26日
キングダム・オブ・ヘブン
十字軍時代を扱った話。第三回十字軍の直前,サラディンによって退潮に向かう十字軍国家を描いている。史実は主人公のバリアン・オブ・イベリンを中心とした部分のみ大きく書き換えられており,塩野七生の『十字軍物語』の2巻でも史実との違いが大きく取り上げられていた。その本が今私の手元にないので確認ができないのが辛いところだが,割りと悪くない評価であったように思う。まあ,塩野七生自身こうした史実改変は多く行なっているので,悪くは書けまい。そういえば,私がボードゥアン4世の存在を知ったのも塩野七生の『十字軍物語』だが,知らずにこの映画を見ていたら大変に驚いていたことだろう。
物語の本筋は置いておくとして,十字軍時代の西欧の雰囲気はよく出ている映画だと思う。バリアンが西欧を出てパレスチナに到着するまでの描き方を見て感心した。当時の西欧は食糧増産・産業発展が著しく進んだ一方で,深刻なマルサスの罠を抱えており,人口の排出先が必要であった。とりわけ騎士の次男坊・三男坊は継ぐべき土地がなく,騎士甲冑は買えるがこのままでは領地に居場所がなくなるという状態であったから,腕っ節で土地を奪える十字軍やレコンキスタ,東方植民はうってつけであった。もちろん庶民でも状況は同じである。中にはバリアンのように,集落での居場所がなくなったから,という動機で行ったものも多かった。バリアンがまさにそうであったように,聖地に行けば宗教的にも救われると信じながらの移動であったに違いない。
ところが,イタリアに着いたあたりから様子が変わる。実際のパレスチナでは戦争なんてしていないのである。一攫千金の土地であることには変わりないが,それは”商人にとっての”という頭文字がつくのであった。ムスリムとの交流,特に東方の物産(絹織物や香辛料)を媒介した交易は莫大な利益を生んだ。作中でも市場がとても賑わっている様子がよく描かれていた。皮肉にも十字軍の最大の成果は東方貿易の拡大であり,聖地を手に入れたというよりは,交易拠点としての沿岸都市を手に入れたのが大きな価値を持つようになってしまった。無論,巡礼もキリスト教徒にとって重要な要素であった。だから,何も考える必要のない庶民であれば,念願の巡礼を済ませ,ついでに市場を楽しんで帰っていくことだろう。ひょっとしたら地元では十字軍に対する寄付なんかをして,異教徒は殺せ!なんて調子良く叫んでいるのかもしれない。
しかし,バリアンのように鋭い人間がこのような状況に直面すると,どうしてもこう考えてしまうのである。十字軍とは何か,聖地とは一体何なのか。バリアンは一度「無」だ,という結論に至る。それでも彼はイェルサレム王国の名門イベリン家の新当主である。騎士としてあるべき道を信じながら進んだ先は……というところまで至る,史実に沿った話の誘導が非常に巧みであった。なるほど,これはこういう設定を施したバリアンでなければ,主人公が務まるまい。最初から聖地にいる騎士では,そうした疑問を抱くまい。西欧側のことを知らず,ムスリムとの奇妙な共存が所与のものであるので,比較対象がなく悩む余地がないのである。最初から騎士であっても困る。完全に戦いに来たことになってしまうので,やはり悩む余地がない。急造の騎士としてパレスチナに降り立ったからこそ,バリアンは視聴者に違和感を与えず,思う存分悩むことができた。これは設定の勝利だろう。
バリアンが最後に得た結論についてはネタバレになってしまうので隠しておく。単純に戦争が派手で,物語もおもしろいので歴史とか何も考えずに楽しめてしまうのだが,むしろそういう映画だと思われて敬遠されているなら悲しいことだ。どうせならこの辺の時代背景も含めて楽しめると良いと思う。というか,今amazonやyahoo映画のレビューを読んだら「バリアンの動機付けが駆け足すぎてイミフ」という評をいくつか見たので,やっぱりそれなりの予習が必要かもしれない。
キングダム・オブ・ヘブン(ディレクターズ・カット) [Blu-ray] [Blu-ray]
出演:オーランド・ブルーム
出版:20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
(2012-09-05)
物語の本筋は置いておくとして,十字軍時代の西欧の雰囲気はよく出ている映画だと思う。バリアンが西欧を出てパレスチナに到着するまでの描き方を見て感心した。当時の西欧は食糧増産・産業発展が著しく進んだ一方で,深刻なマルサスの罠を抱えており,人口の排出先が必要であった。とりわけ騎士の次男坊・三男坊は継ぐべき土地がなく,騎士甲冑は買えるがこのままでは領地に居場所がなくなるという状態であったから,腕っ節で土地を奪える十字軍やレコンキスタ,東方植民はうってつけであった。もちろん庶民でも状況は同じである。中にはバリアンのように,集落での居場所がなくなったから,という動機で行ったものも多かった。バリアンがまさにそうであったように,聖地に行けば宗教的にも救われると信じながらの移動であったに違いない。
ところが,イタリアに着いたあたりから様子が変わる。実際のパレスチナでは戦争なんてしていないのである。一攫千金の土地であることには変わりないが,それは”商人にとっての”という頭文字がつくのであった。ムスリムとの交流,特に東方の物産(絹織物や香辛料)を媒介した交易は莫大な利益を生んだ。作中でも市場がとても賑わっている様子がよく描かれていた。皮肉にも十字軍の最大の成果は東方貿易の拡大であり,聖地を手に入れたというよりは,交易拠点としての沿岸都市を手に入れたのが大きな価値を持つようになってしまった。無論,巡礼もキリスト教徒にとって重要な要素であった。だから,何も考える必要のない庶民であれば,念願の巡礼を済ませ,ついでに市場を楽しんで帰っていくことだろう。ひょっとしたら地元では十字軍に対する寄付なんかをして,異教徒は殺せ!なんて調子良く叫んでいるのかもしれない。
しかし,バリアンのように鋭い人間がこのような状況に直面すると,どうしてもこう考えてしまうのである。十字軍とは何か,聖地とは一体何なのか。バリアンは一度「無」だ,という結論に至る。それでも彼はイェルサレム王国の名門イベリン家の新当主である。騎士としてあるべき道を信じながら進んだ先は……というところまで至る,史実に沿った話の誘導が非常に巧みであった。なるほど,これはこういう設定を施したバリアンでなければ,主人公が務まるまい。最初から聖地にいる騎士では,そうした疑問を抱くまい。西欧側のことを知らず,ムスリムとの奇妙な共存が所与のものであるので,比較対象がなく悩む余地がないのである。最初から騎士であっても困る。完全に戦いに来たことになってしまうので,やはり悩む余地がない。急造の騎士としてパレスチナに降り立ったからこそ,バリアンは視聴者に違和感を与えず,思う存分悩むことができた。これは設定の勝利だろう。
バリアンが最後に得た結論についてはネタバレになってしまうので隠しておく。単純に戦争が派手で,物語もおもしろいので歴史とか何も考えずに楽しめてしまうのだが,むしろそういう映画だと思われて敬遠されているなら悲しいことだ。どうせならこの辺の時代背景も含めて楽しめると良いと思う。というか,今amazonやyahoo映画のレビューを読んだら「バリアンの動機付けが駆け足すぎてイミフ」という評をいくつか見たので,やっぱりそれなりの予習が必要かもしれない。
キングダム・オブ・ヘブン(ディレクターズ・カット) [Blu-ray] [Blu-ray]
出演:オーランド・ブルーム
出版:20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
(2012-09-05)
最後にイェルサレム降伏交渉で,バリアンはサラディンにエルサレムの価値とは何か,と問う。サラディンは一度は「無だ」と答える。が,その後に「だが,全てだ」と付け加える。そうなのだ。「無」ではないのである。確かに,信仰心がなければ争いは起きなかったかもしれない。だが,それは人間的といえるだろうか。中世世界である。キリスト教徒とムスリムが混在するパレスチナの地で。聖地の価値を否定したまま終わっては,本作は最後で何も意外性がない落ちをつけてしまった,凡作になるところであった。ここで「全てだ」とひっくり返したからこそ,本作はやはり名作であると思う。天の王国はイェルサレムにはなく,心の中にあることを悟った主人公はフランスに帰ったが,このサラディンとのやり取りがなければ,心の中にあることも悟れず,虚無をさまよったのではないか。
Posted by dg_law at 14:00│Comments(0)│