2013年07月09日
美術批評家としての夏目漱石
芸大で開催されていた夏目漱石展に行ってきた。相変わらず会期ギリギリに行って会期終わってから報告する仕様だが,予定が詰まっていたから仕方がない。これで追いついたので,次回からはマシになるのではないかと思う。
さて,珍しい形の展覧会であった。夏目漱石の文業を追いつつ,彼の作中に登場した絵画やイメージソースになった絵画,はたまた彼が展評を書いている展覧会に出品されていた作品を集めて,夏目漱石の審美眼を追う展覧会となっていた。私が夏目漱石で読んだのは,お恥ずかしながら数は少ない。その意味でこの展覧会を十全に楽しむだけの準備が私の側にあったかと言われると返答に窮してしまうところで,実際読んでから行かないと厳しい箇所は何箇所かあった。まあこれは私が悪い。とはいえ楽しめた展覧会であったのもまた確かで,企画の勝利ではないかと思う。国民作家,漱石の視点を追うというのはそれ自体が楽しいことであった。
漱石の書いた小説中に登場する絵画やイメージソースの側では,まず『吾輩は猫である』に焦点が当たっていた。この作品では冒頭にいきなりアンドレア・デル・サルトが話題に出てくる。読んだのが随分昔なので記憶に全くないが,そうらしい。そこでは美学の教授が「アンドレア・デル・サルトが,自然は師である,と言った」という嘘を主人公につく,という展開なのだが,自然は万物の師と言ったのはジョットかだれかであって,実際のところ自然を模範とするのはルネサンスの思想なので,嘘ではあっても迫真性の高い嘘である。夏目漱石はむろんのことながら,その辺を知ってて真実味のある嘘にしたのだろう。もっとも,明治の大衆がどこまで理解できたかは疑問である。また,『猫』の装丁が展示されていた。デザインしたのは友人の版画家,橋口五葉である。これを使ったTシャツが売っていたので思わず買ってしまった。背に「I am a cat」と書いてあって夏目漱石とは書いてないので,背中から見るとわけが分からない仕様になっているのがとても気に入っている。
その他の作品では『坊っちゃん』に出てくるターナー,『ロンドン塔』のイメージソースになったとされるミレイやウォーターハウス,『三四郎』に出てくるグルーズ,『門』の酒井抱一など。特にラファエロ前派はちょうど1900年頃にロンドンへ留学していた夏目漱石にとって,イギリスのほぼ同時代人であり,刺激は強かったであろう。こうして見ると確かに夏目漱石の作品群には多くの美術作品が登場する。まったくそういう意識で読んでいなかったし,そもそも読んだ数が多くないのでとても新鮮であった。笑ったのが,「夏目漱石が作中で登場させたけど実在しない架空の作品」が再現されて展示されていたことで,しかもさすがにそれっぽいものが作られていた。見た目は黒田清輝だったり酒井抱一だったりするのに,どうみても状態が新しすぎるし,よく見ると真筆にしては違う点がある,そこで制作年を見ると「2013」とか書いてあるギャップといえばたまらず,笑わずにはいられない。これも一種の二次創作か。わざわざこの展覧会のために作ったのであれば金のかかった道楽ではあるが,十分元は取れていると思う。芸大側の企画か東京新聞側の企画化は知らないが,企画者は讃えられて良い。
漱石の見た同時代美術では,漱石が書いた展評とともに作品が展示されていた。若者を励ます意図もあってか,大家に対しては厳しく,若者に対しては甘い評がつけられていた。が,必ずしも見る目があったかというとそうでもなく,漱石が辛口をつけた作品が賞を取っていたり現代で高評価だったりするからおもしろい。この辺は見る目というよりも漱石の好みという問題も大いにあろう。さらに,漱石本人が描いた絵も展示されていた(今回の画像)。主に山水画で,しかも青緑山水である。こう言ってはなんだが,山水画に限れば意外とうまいものだった。
さて,珍しい形の展覧会であった。夏目漱石の文業を追いつつ,彼の作中に登場した絵画やイメージソースになった絵画,はたまた彼が展評を書いている展覧会に出品されていた作品を集めて,夏目漱石の審美眼を追う展覧会となっていた。私が夏目漱石で読んだのは,お恥ずかしながら数は少ない。その意味でこの展覧会を十全に楽しむだけの準備が私の側にあったかと言われると返答に窮してしまうところで,実際読んでから行かないと厳しい箇所は何箇所かあった。まあこれは私が悪い。とはいえ楽しめた展覧会であったのもまた確かで,企画の勝利ではないかと思う。国民作家,漱石の視点を追うというのはそれ自体が楽しいことであった。
漱石の書いた小説中に登場する絵画やイメージソースの側では,まず『吾輩は猫である』に焦点が当たっていた。この作品では冒頭にいきなりアンドレア・デル・サルトが話題に出てくる。読んだのが随分昔なので記憶に全くないが,そうらしい。そこでは美学の教授が「アンドレア・デル・サルトが,自然は師である,と言った」という嘘を主人公につく,という展開なのだが,自然は万物の師と言ったのはジョットかだれかであって,実際のところ自然を模範とするのはルネサンスの思想なので,嘘ではあっても迫真性の高い嘘である。夏目漱石はむろんのことながら,その辺を知ってて真実味のある嘘にしたのだろう。もっとも,明治の大衆がどこまで理解できたかは疑問である。また,『猫』の装丁が展示されていた。デザインしたのは友人の版画家,橋口五葉である。これを使ったTシャツが売っていたので思わず買ってしまった。背に「I am a cat」と書いてあって夏目漱石とは書いてないので,背中から見るとわけが分からない仕様になっているのがとても気に入っている。
その他の作品では『坊っちゃん』に出てくるターナー,『ロンドン塔』のイメージソースになったとされるミレイやウォーターハウス,『三四郎』に出てくるグルーズ,『門』の酒井抱一など。特にラファエロ前派はちょうど1900年頃にロンドンへ留学していた夏目漱石にとって,イギリスのほぼ同時代人であり,刺激は強かったであろう。こうして見ると確かに夏目漱石の作品群には多くの美術作品が登場する。まったくそういう意識で読んでいなかったし,そもそも読んだ数が多くないのでとても新鮮であった。笑ったのが,「夏目漱石が作中で登場させたけど実在しない架空の作品」が再現されて展示されていたことで,しかもさすがにそれっぽいものが作られていた。見た目は黒田清輝だったり酒井抱一だったりするのに,どうみても状態が新しすぎるし,よく見ると真筆にしては違う点がある,そこで制作年を見ると「2013」とか書いてあるギャップといえばたまらず,笑わずにはいられない。これも一種の二次創作か。わざわざこの展覧会のために作ったのであれば金のかかった道楽ではあるが,十分元は取れていると思う。芸大側の企画か東京新聞側の企画化は知らないが,企画者は讃えられて良い。
漱石の見た同時代美術では,漱石が書いた展評とともに作品が展示されていた。若者を励ます意図もあってか,大家に対しては厳しく,若者に対しては甘い評がつけられていた。が,必ずしも見る目があったかというとそうでもなく,漱石が辛口をつけた作品が賞を取っていたり現代で高評価だったりするからおもしろい。この辺は見る目というよりも漱石の好みという問題も大いにあろう。さらに,漱石本人が描いた絵も展示されていた(今回の画像)。主に山水画で,しかも青緑山水である。こう言ってはなんだが,山水画に限れば意外とうまいものだった。
Posted by dg_law at 00:55│Comments(0)│