2013年07月21日
勉強できた子あるある
・勉強できた子あるある(togetter)
→ 途中まで「あるある」と思って読んでいたのだが,途中から似て非なるものが混在してきた印象。まとめ主であり最初に提唱した人が一番しっくり来る「あるある」ネタを出していた。ナードあるあるや,まじめ系クズあるある,友人少ない子あるあるではない点に注意したい。
→ 私自身は,特にいじめられもしなかったし,友人も多く,楽しい小中学校生活ではあった。ついでに言うと高校・大学でも特に落ちぶれてもいない(だからこそあの大学まで行けたわけですが)。それでも勉強できた子特有の後ろめたさは大きく,これだけ共有する人がいるというのは,今更ながら心強い。
あまりにも共感したので,一言ずつコメントを入れたい。ここに列挙したようなものが,真に勉強できた子あるあるなのだと思う。太字は特に共感の強いもの。
1.好奇心の強い子
>「小学生時代のあだ名が「博士」的な名前」
>「国語の教科書はもらった日に読破」「社会科と理科の資料集が大好き。4月のうちに全部読んじゃう。」
>「親の教育方針がいいと思われがちだけど別に勉強に関してうるさく言われたことはない 」
>「成績を親にほめられたことがない、親が勉強しなさいと言わなかった」
もらったものは即読む。4・5月辺りは読書がはかどってとても良かった。で,上2つがあるからこその下2つかな,と。勉強得意な子は,小中学校にあっては要するに”知的好奇心の強い子”であって,勉強を強制されていた故という子は多くなかったと思う。私自身,親に勉強しろと強制された記憶は全くない。「やる子はほっといてもやるのよ」とは母の弁だが,そこは両親の教育に強く感謝している。この点,高校や大学の友人たちに聞いても大体同じ反応が返ってくる。曰く,勉強はほとんど強制されなかった,と。
>「のび太やカツオにいつまで経っても感情移入が出来ない。とりわけ夏休み最終日モノ回において。」
>「家で予習、宿題はやりたくないので、授業中や空いた時間になんとしても終わらせて置き勉。」
宿題もパズル感覚で解くので抵抗がない。また,遊ぶのはそれはそれで好きなので,宿題とかいう束縛はさっさと消滅して欲しかった,というのもあり,下の発想に行き着く。が,そこで「遊びたいんだったら,宿題とかやらなければいいんじゃね?提出する必要なくね?」という発想に行き着かない,中途半端なまじめさも”勉強できた子あるある”の一つではないかと。ただし,夏休みの宿題は美術の宿題のポスターやら書道の宿題やらが生き残って,意外と8月下旬までかかってた記憶も。
>「教科書を先読みしているので授業ですることがない。」
>「授業がつまんないので、机の下に隠した本を読んでる。で、隣の席の子に告げ口される。」
4月中に全部読み終えてしまったお前が悪い,という話ではあるのだが。進度が遅いのは標準的な子に合わせているからしょうがない,ということは頭で理解しているので文句は言わないが,だったら我々の暇つぶしも黙認してほしいところであった。
>「だいたいいつも、定期テストの時間の1/3くらいで解き終えてしまって、残りの時間やることがなかった。」
>「テストが早く終わって教室でてもいいよーも言われても、みんながまだやってるので出にくくてまだやってるフリをする 」
これも授業と同様で,標準的な子に合わせたテストなのだから,時間が余るのは仕方がない話であるが,暇なものは暇なのだ。何もできないのにぼけーっとさせられるのは,とりわけ小学生には苦痛である。小学校テストの残り時間は,学級文庫に備え付けの本・漫画はテスト時間中でも読んでよかったことになっていた。そこで漫画日本の歴史(小学館)を何周も読んでいた。あれと『信長の野望』(光栄)が私の歴史の原体験であった。また,小6のときの担任の先生は理解があり,解き終わったら次の単元のテストくれたり,全部終わったら中学レベルの宿題くれたりしたので,とても助かった。ああいう先生に出会えたのは幸運であった。
>「いまだに小学校のテストでの先生の理不尽なバツを根に持っている」
あるあるwwwwwww。ネット上で見かける不可解な採点に,自分でも驚くほど怒りを覚えるのはこの辺が原因じゃないか。理屈で詰められれば当然納得するし,これが勉強以外のことであれば「世の中そういうこともある」と納得できるだけの小賢しさもある。でも勉強での理不尽だけは絶対に譲れないし執念深い。そういう人種。
>「もういい加減中年なのに、センター試験の問題が新聞に掲載されると解いてみる」
年々,世界史と日本史以外は点数が下がっており,順調に衰えている。
2.周囲の友人たちと理不尽な大人たち
>「体育できた子に比べてとにかく自慢しにくい。近所のおばちゃんや親戚にほめられても必ず謙遜しないといけないあの微妙な雰囲気がちょっとトラウマ。」
>「学生時代、勉強出来ることを自慢しても煙たがられ、謙遜しても嫌味ととられどうしたらよいか分からなくなった」
これな。どないせいっちゅうねんと,心の中で何度思ったことか。要するにテストで良い点とること自体が絶対悪ということを悟るまでにそう時間はかからなかった。この風潮こそ勉強できた子をまじめ系クズに落としていく強い要因の一つだったのではないか,と今は考えている。
>「手先が不器用とか運動神経が鈍いとか生活の知恵的なことで知らないことがあるとか…があると、大喜びで「世の中、テストの勉強だけじゃないんだぞ!」と、どや顔で説教始める人に何度ウンザリさせられたか…」
そんなことは知ってんだよ,と。自分が勉強できなかったルサンチマンなのかなんなのかしらないが,憂さを子供で晴らす大人は絶滅すべき。
>「本当はテストの点数を見せるのに何の抵抗もないが、まわりに合わせて隠す。」
>「「勉強なんて楽しいの?」と聞かれ「いや別に楽しくはないけど」と答えるが「バスケだろうが野球だろうが書道だろうがピアノだろうが、うまく出来るものは楽しいしうまく出来ないものは楽しくないっていうだけだよ」と心の中では思っている。」
>「通知表もらうのが憂鬱なふりは一応したものの、割と楽しみだった。」
得意なものに集中できたり,褒められたりしたら素直に嬉しいのは真理。嫌いな振りをしたり憂鬱な振りをするあたりが,小中学生らしい未熟な社会性で,今考えるとほほえましい。
>「勉強できない同級生の親に「○○ちゃんはどうしてそんなにお出来になるの?一日何時間も勉強してるんでしょーねっ!」と敵意を込めて言われる度に「遺伝です」と答えたい衝動をおさえていた 」
実際のところ,敵意を込めて言われた経験は無かった気がするが,こういう内容のことを言われたこと自体は何度もあった。大体,(学校の科目の勉強としては)本当に”一日も何時間も勉強して”いないので,謙遜抜きで「してません」としか言いようがないのだが,それを言うのも空気的にはばかられ,しかしそれ以外のリアクションも思いつかないのが小中学生レベルである。
>「自分は全教科ちゃんと勉強してるのに、時折現れる得意な教科しか勉強しない奴に(数学だけとか歴史だけとか)科目別一位をとられるのは納得がいかない。」
別に納得行かないことはなかったのだが,それでそいつが「DGさんに勝った」とか自慢されると,さすがに「そのりくつはおかしい」と俺の中のドラえもんが言い出したわけだ。その辺の心の狭さもまた,いかにも小中学生らしい。
>「テストの点が悪くてへこんでいたら、「何点だったの?」と答案をひったくられたあげく「全然悪くないじゃん!」とキレられ、おちおち嘆くこともできない。」
そうそう。そりゃ平均点50点なんだから80点は良い数字かもしれないが,俺の中では95点の予定だったんだよ,的な。
3.その他
>「進研ゼミのパンフレット見ながら、100点取れたぐらいで好きな子に振り向かれたり親に褒められたりするなら苦労しねーって思う」
あの漫画の一番の不自然さは,急激に成績が上がるところでも,「あ,これ進研ゼミで出たやつだ!」でもなく,そこである。100点とれたらフラグが立つのは進研ゼミの漫画と恋愛SLGだけ。
>「レベルの高い学校に進学して周りに自分より頭のいい子ができてほっとする」「高校大学入って自分よりできる人がゴロゴロいて、埋れて安心する。」
これは本当にある。某J高校に入って1年の1学期を過ごしたときの安心感と言えば。
>「どうせ何人かの生徒が間違えたあと、最後に答えを言わされることが分かっているから、授業中に手を挙げる必要はなかった」
で,しかも先生の側の都合(授業の構成・通信簿の「積極性」の項目の存在etc)も知っているので,手を挙げても当てない先生をdisれないジレンマ。本当に小賢しい小中学生である。この歳になってみると,こういう小賢しさもまた子供らしさの一つであって,かわいいと思えるようになった。のだが,前述のような理不尽な大人からすると,かわいく見えないのであろう。
>「テレビで東大出身の人が「どちらの大学?」と聞かれ「一応東大です」と言うと「一応とか言ってんじゃねえよ」とdisられる場面をよく観るが、小さいころからの癖でどうしても「一応」とつけてしまう卑屈をこじらせた感覚がちょっとわかるのでdisれない。」
あるあるwwwwwwwww。もはや「一応」が東大の枕詞と化している。
>「今時の子ども向けアニメ見てると、たまごっちのまめっちは、基本、真面目でお勉強もできるいい子だし、ドキドキプリキュアもしっかり者で成績優秀のいい子とお嬢様ないい子が、あまりフィルターなく描かれてるし、ようやくそのタイプがdisられない時代が来たかと、ひそかに胸熱になる。…これはあるある?(^^;;」
時代が変わってきたのかなぁ。だとしたらいいことだよね。
最後にちょっとまじめな話を。「運動出来る子が出来ない子をバカにするのは許容されるのに、勉強出来る子が出来ない子をバカにするのが許容されなかったのは納得できない」はまじめな話,教育の問題として是正されるべきだ。「勉強しないのが正義な風潮」は本当に日本の学校教育にとっての害悪だ(った)と思う。そりゃ歪みますよ。これが浮き上がり問題とコンボになってしまっているから,余計に重症化したのではないか。勉強は好奇心の強い子供にとって遊びの延長であり,そうした子供が勉強を好きだと胸を張って言える社会であってほしい。
→ 途中まで「あるある」と思って読んでいたのだが,途中から似て非なるものが混在してきた印象。まとめ主であり最初に提唱した人が一番しっくり来る「あるある」ネタを出していた。ナードあるあるや,まじめ系クズあるある,友人少ない子あるあるではない点に注意したい。
→ 私自身は,特にいじめられもしなかったし,友人も多く,楽しい小中学校生活ではあった。ついでに言うと高校・大学でも特に落ちぶれてもいない(だからこそあの大学まで行けたわけですが)。それでも勉強できた子特有の後ろめたさは大きく,これだけ共有する人がいるというのは,今更ながら心強い。
あまりにも共感したので,一言ずつコメントを入れたい。ここに列挙したようなものが,真に勉強できた子あるあるなのだと思う。太字は特に共感の強いもの。
1.好奇心の強い子
>「小学生時代のあだ名が「博士」的な名前」
>「国語の教科書はもらった日に読破」「社会科と理科の資料集が大好き。4月のうちに全部読んじゃう。」
>「親の教育方針がいいと思われがちだけど別に勉強に関してうるさく言われたことはない 」
>「成績を親にほめられたことがない、親が勉強しなさいと言わなかった」
もらったものは即読む。4・5月辺りは読書がはかどってとても良かった。で,上2つがあるからこその下2つかな,と。勉強得意な子は,小中学校にあっては要するに”知的好奇心の強い子”であって,勉強を強制されていた故という子は多くなかったと思う。私自身,親に勉強しろと強制された記憶は全くない。「やる子はほっといてもやるのよ」とは母の弁だが,そこは両親の教育に強く感謝している。この点,高校や大学の友人たちに聞いても大体同じ反応が返ってくる。曰く,勉強はほとんど強制されなかった,と。
>「のび太やカツオにいつまで経っても感情移入が出来ない。とりわけ夏休み最終日モノ回において。」
>「家で予習、宿題はやりたくないので、授業中や空いた時間になんとしても終わらせて置き勉。」
宿題もパズル感覚で解くので抵抗がない。また,遊ぶのはそれはそれで好きなので,宿題とかいう束縛はさっさと消滅して欲しかった,というのもあり,下の発想に行き着く。が,そこで「遊びたいんだったら,宿題とかやらなければいいんじゃね?提出する必要なくね?」という発想に行き着かない,中途半端なまじめさも”勉強できた子あるある”の一つではないかと。ただし,夏休みの宿題は美術の宿題のポスターやら書道の宿題やらが生き残って,意外と8月下旬までかかってた記憶も。
>「教科書を先読みしているので授業ですることがない。」
>「授業がつまんないので、机の下に隠した本を読んでる。で、隣の席の子に告げ口される。」
4月中に全部読み終えてしまったお前が悪い,という話ではあるのだが。進度が遅いのは標準的な子に合わせているからしょうがない,ということは頭で理解しているので文句は言わないが,だったら我々の暇つぶしも黙認してほしいところであった。
>「だいたいいつも、定期テストの時間の1/3くらいで解き終えてしまって、残りの時間やることがなかった。」
>「テストが早く終わって教室でてもいいよーも言われても、みんながまだやってるので出にくくてまだやってるフリをする 」
これも授業と同様で,標準的な子に合わせたテストなのだから,時間が余るのは仕方がない話であるが,暇なものは暇なのだ。何もできないのにぼけーっとさせられるのは,とりわけ小学生には苦痛である。小学校テストの残り時間は,学級文庫に備え付けの本・漫画はテスト時間中でも読んでよかったことになっていた。そこで漫画日本の歴史(小学館)を何周も読んでいた。あれと『信長の野望』(光栄)が私の歴史の原体験であった。また,小6のときの担任の先生は理解があり,解き終わったら次の単元のテストくれたり,全部終わったら中学レベルの宿題くれたりしたので,とても助かった。ああいう先生に出会えたのは幸運であった。
>「いまだに小学校のテストでの先生の理不尽なバツを根に持っている」
あるあるwwwwwww。ネット上で見かける不可解な採点に,自分でも驚くほど怒りを覚えるのはこの辺が原因じゃないか。理屈で詰められれば当然納得するし,これが勉強以外のことであれば「世の中そういうこともある」と納得できるだけの小賢しさもある。でも勉強での理不尽だけは絶対に譲れないし執念深い。そういう人種。
>「もういい加減中年なのに、センター試験の問題が新聞に掲載されると解いてみる」
年々,世界史と日本史以外は点数が下がっており,順調に衰えている。
2.周囲の友人たちと理不尽な大人たち
>「体育できた子に比べてとにかく自慢しにくい。近所のおばちゃんや親戚にほめられても必ず謙遜しないといけないあの微妙な雰囲気がちょっとトラウマ。」
>「学生時代、勉強出来ることを自慢しても煙たがられ、謙遜しても嫌味ととられどうしたらよいか分からなくなった」
これな。どないせいっちゅうねんと,心の中で何度思ったことか。要するにテストで良い点とること自体が絶対悪ということを悟るまでにそう時間はかからなかった。この風潮こそ勉強できた子をまじめ系クズに落としていく強い要因の一つだったのではないか,と今は考えている。
>「手先が不器用とか運動神経が鈍いとか生活の知恵的なことで知らないことがあるとか…があると、大喜びで「世の中、テストの勉強だけじゃないんだぞ!」と、どや顔で説教始める人に何度ウンザリさせられたか…」
そんなことは知ってんだよ,と。自分が勉強できなかったルサンチマンなのかなんなのかしらないが,憂さを子供で晴らす大人は絶滅すべき。
>「本当はテストの点数を見せるのに何の抵抗もないが、まわりに合わせて隠す。」
>「「勉強なんて楽しいの?」と聞かれ「いや別に楽しくはないけど」と答えるが「バスケだろうが野球だろうが書道だろうがピアノだろうが、うまく出来るものは楽しいしうまく出来ないものは楽しくないっていうだけだよ」と心の中では思っている。」
>「通知表もらうのが憂鬱なふりは一応したものの、割と楽しみだった。」
得意なものに集中できたり,褒められたりしたら素直に嬉しいのは真理。嫌いな振りをしたり憂鬱な振りをするあたりが,小中学生らしい未熟な社会性で,今考えるとほほえましい。
>「勉強できない同級生の親に「○○ちゃんはどうしてそんなにお出来になるの?一日何時間も勉強してるんでしょーねっ!」と敵意を込めて言われる度に「遺伝です」と答えたい衝動をおさえていた 」
実際のところ,敵意を込めて言われた経験は無かった気がするが,こういう内容のことを言われたこと自体は何度もあった。大体,(学校の科目の勉強としては)本当に”一日も何時間も勉強して”いないので,謙遜抜きで「してません」としか言いようがないのだが,それを言うのも空気的にはばかられ,しかしそれ以外のリアクションも思いつかないのが小中学生レベルである。
>「自分は全教科ちゃんと勉強してるのに、時折現れる得意な教科しか勉強しない奴に(数学だけとか歴史だけとか)科目別一位をとられるのは納得がいかない。」
別に納得行かないことはなかったのだが,それでそいつが「DGさんに勝った」とか自慢されると,さすがに「そのりくつはおかしい」と俺の中のドラえもんが言い出したわけだ。その辺の心の狭さもまた,いかにも小中学生らしい。
>「テストの点が悪くてへこんでいたら、「何点だったの?」と答案をひったくられたあげく「全然悪くないじゃん!」とキレられ、おちおち嘆くこともできない。」
そうそう。そりゃ平均点50点なんだから80点は良い数字かもしれないが,俺の中では95点の予定だったんだよ,的な。
3.その他
>「進研ゼミのパンフレット見ながら、100点取れたぐらいで好きな子に振り向かれたり親に褒められたりするなら苦労しねーって思う」
あの漫画の一番の不自然さは,急激に成績が上がるところでも,「あ,これ進研ゼミで出たやつだ!」でもなく,そこである。100点とれたらフラグが立つのは進研ゼミの漫画と恋愛SLGだけ。
>「レベルの高い学校に進学して周りに自分より頭のいい子ができてほっとする」「高校大学入って自分よりできる人がゴロゴロいて、埋れて安心する。」
これは本当にある。某J高校に入って1年の1学期を過ごしたときの安心感と言えば。
>「どうせ何人かの生徒が間違えたあと、最後に答えを言わされることが分かっているから、授業中に手を挙げる必要はなかった」
で,しかも先生の側の都合(授業の構成・通信簿の「積極性」の項目の存在etc)も知っているので,手を挙げても当てない先生をdisれないジレンマ。本当に小賢しい小中学生である。この歳になってみると,こういう小賢しさもまた子供らしさの一つであって,かわいいと思えるようになった。のだが,前述のような理不尽な大人からすると,かわいく見えないのであろう。
>「テレビで東大出身の人が「どちらの大学?」と聞かれ「一応東大です」と言うと「一応とか言ってんじゃねえよ」とdisられる場面をよく観るが、小さいころからの癖でどうしても「一応」とつけてしまう卑屈をこじらせた感覚がちょっとわかるのでdisれない。」
あるあるwwwwwwwww。もはや「一応」が東大の枕詞と化している。
>「今時の子ども向けアニメ見てると、たまごっちのまめっちは、基本、真面目でお勉強もできるいい子だし、ドキドキプリキュアもしっかり者で成績優秀のいい子とお嬢様ないい子が、あまりフィルターなく描かれてるし、ようやくそのタイプがdisられない時代が来たかと、ひそかに胸熱になる。…これはあるある?(^^;;」
時代が変わってきたのかなぁ。だとしたらいいことだよね。
最後にちょっとまじめな話を。「運動出来る子が出来ない子をバカにするのは許容されるのに、勉強出来る子が出来ない子をバカにするのが許容されなかったのは納得できない」はまじめな話,教育の問題として是正されるべきだ。「勉強しないのが正義な風潮」は本当に日本の学校教育にとっての害悪だ(った)と思う。そりゃ歪みますよ。これが浮き上がり問題とコンボになってしまっているから,余計に重症化したのではないか。勉強は好奇心の強い子供にとって遊びの延長であり,そうした子供が勉強を好きだと胸を張って言える社会であってほしい。
Posted by dg_law at 00:19│Comments(11)
この記事へのトラックバック
DG-Lawさんの以下のエントリが面白かったので,「勉強ができなかったけどできた子」としての感想を提示してみたい。 nix in desertis:勉強できた子あるある 「勉強ができなかったけどできた子」ってのはどういう区分かというと,上記事でも触れられている「時折現れる
[教育]「勉強ができた子」と「特定科目に特化したオタク」の立ち位置の違いについて考えた【Danas je lep dan.】at 2013年08月08日 01:07
この記事へのコメント
まじめ系屑あるあるというか、「勉強(だけ)できた屑(本人はまじめなつもり)あるある」でしょ。
少なくともこういう事を言って溜飲を下げた気になってるのは結局、「自分は勉強しかできなかった」のを「勉強ができたから叩かれた」と自己憐憫と同類憐れんでいるだけだ。
>「進研ゼミのパンフレット見ながら、100点取れたぐらいで好きな子に振り向かれたり親に褒められたりするなら苦労しねーって思う」
大抵友達やヒロインと一緒に入ってるって話だからね。
ここまでいえば察しが付くでしょ
>勉強出来ることを自慢しても煙たがられ、謙遜しても嫌味ととられどうしたらよいか分からなくなった」
これな。どないせいっちゅうねんと,心の中で何度思ったことか。要するにテストで良い点とること自体が絶対悪ということを悟るまでにそう時間はかからなかった
>先ず思いつくのは解らない子に教えてあげること
自慢は勿論、無意味な謙りも解らない子にとっては何の役にも立ってないからね。
そして解らない子に説明できるくらいになって初めて解っていると言える。
>「運動出来る子が出来ない子をバカにするのは許容されるのに、勉強出来る子が出来ない子をバカにするのが許容されなかったのは納得できない」
ぶっちゃけね、そういうところが「あんたら」が嫌われる原因なんだよね。
まず発想が後ろ向き過ぎる、そして本当にそうなのかとね。
運動だけ出来た子、運動も勉強もできなかった子はどうなのかね?
逆に運動も勉強もできなかった子は?
こういう問いかけが成立する時点で、「運動は出来なかった子」なんだろうけどね。
勉強ができたから虐められてるって考えてる時点で「勉強はできたかもしれないがバカ」もしくは単に性格がひん曲がってるだけ
そりゃ嫌われるわ
少なくともこういう事を言って溜飲を下げた気になってるのは結局、「自分は勉強しかできなかった」のを「勉強ができたから叩かれた」と自己憐憫と同類憐れんでいるだけだ。
>「進研ゼミのパンフレット見ながら、100点取れたぐらいで好きな子に振り向かれたり親に褒められたりするなら苦労しねーって思う」
大抵友達やヒロインと一緒に入ってるって話だからね。
ここまでいえば察しが付くでしょ
>勉強出来ることを自慢しても煙たがられ、謙遜しても嫌味ととられどうしたらよいか分からなくなった」
これな。どないせいっちゅうねんと,心の中で何度思ったことか。要するにテストで良い点とること自体が絶対悪ということを悟るまでにそう時間はかからなかった
>先ず思いつくのは解らない子に教えてあげること
自慢は勿論、無意味な謙りも解らない子にとっては何の役にも立ってないからね。
そして解らない子に説明できるくらいになって初めて解っていると言える。
>「運動出来る子が出来ない子をバカにするのは許容されるのに、勉強出来る子が出来ない子をバカにするのが許容されなかったのは納得できない」
ぶっちゃけね、そういうところが「あんたら」が嫌われる原因なんだよね。
まず発想が後ろ向き過ぎる、そして本当にそうなのかとね。
運動だけ出来た子、運動も勉強もできなかった子はどうなのかね?
逆に運動も勉強もできなかった子は?
こういう問いかけが成立する時点で、「運動は出来なかった子」なんだろうけどね。
勉強ができたから虐められてるって考えてる時点で「勉強はできたかもしれないがバカ」もしくは単に性格がひん曲がってるだけ
そりゃ嫌われるわ
Posted by an at 2013年08月03日 05:09
えー,なぜに冒頭に書いたことを無視されるのですかね。
別に僕らも友人関係は普通だったわけです(少なくとも僕は)。
その中で,「勉強だけが得意な子」がなぜ特殊な視線を浴びるのか,特に,ある種の一部の大人から。「勉強」にまつわることが原因で。
これが他のこと,それこそ性格の悪さに起因する事情なら,嫌われるのは自明ですから,その人に反論の余地は無いでしょう。が,「勉強ができる」という,本来プラスになるべき要因で部分的な蔑視を浴びたのはなぜか。
理由がまあそういう風潮があるから,という推論なわけです。
確かに説明をはしょったところはありますが,別段,全面的に嫌われていたとか浮いてたという主張をする気はないし,記事中でもしてないはずなんですが,どこの文脈を読んだんですか。
>先ず思いつくのは解らない子に教えてあげること
>自慢は勿論、無意味な謙りも解らない子にとっては何の役にも立ってないからね。
>そして解らない子に説明できるくらいになって初めて解っていると言える。
これ何の解決にもなってないですよね。これで解決するとしたら,それはぼっち問題であって,勉強できた子の問題ではないですよ。
これは「自分の学力に対して,何かしらの態度表明を求められる場面」での話です。自分から誇りに行くこともへりくだりに行くこともしませんよ。
分からない子に教えてあげた経験は,おそらく多くの「勉強できた子」が共有していると思いますが(一つ増やしてくれてありがとうございます)。少なくとも私は小中高通して無数にあります。
「教えられるようになって初めて理解できたと言える」なんて訓辞も,我々は耳タコですよ。
別に僕らも友人関係は普通だったわけです(少なくとも僕は)。
その中で,「勉強だけが得意な子」がなぜ特殊な視線を浴びるのか,特に,ある種の一部の大人から。「勉強」にまつわることが原因で。
これが他のこと,それこそ性格の悪さに起因する事情なら,嫌われるのは自明ですから,その人に反論の余地は無いでしょう。が,「勉強ができる」という,本来プラスになるべき要因で部分的な蔑視を浴びたのはなぜか。
理由がまあそういう風潮があるから,という推論なわけです。
確かに説明をはしょったところはありますが,別段,全面的に嫌われていたとか浮いてたという主張をする気はないし,記事中でもしてないはずなんですが,どこの文脈を読んだんですか。
>先ず思いつくのは解らない子に教えてあげること
>自慢は勿論、無意味な謙りも解らない子にとっては何の役にも立ってないからね。
>そして解らない子に説明できるくらいになって初めて解っていると言える。
これ何の解決にもなってないですよね。これで解決するとしたら,それはぼっち問題であって,勉強できた子の問題ではないですよ。
これは「自分の学力に対して,何かしらの態度表明を求められる場面」での話です。自分から誇りに行くこともへりくだりに行くこともしませんよ。
分からない子に教えてあげた経験は,おそらく多くの「勉強できた子」が共有していると思いますが(一つ増やしてくれてありがとうございます)。少なくとも私は小中高通して無数にあります。
「教えられるようになって初めて理解できたと言える」なんて訓辞も,我々は耳タコですよ。
Posted by DG-Law at 2013年08月03日 09:52
>運動だけ出来た子、運動も勉強もできなかった子はどうなのかね?
「誰にだってルサンチマンや劣等感はある」のは真理ですが,そういう話はしていません。
これは勉強できた子間に共有される感情の話であって,運動だけできた子間で共有される感情があるなら,そっちのコミュニティで共有すればいいんじゃないですか。
>勉強ができたから虐められてるって考えてる時点で「勉強はできたかもしれないがバカ」もしくは単に性格がひん曲がってるだけ
>そりゃ嫌われるわ
繰り返しになりますが,いじめられてもいなければ,嫌われてもいなかったわけです。「他の分野で優秀な場合は,少なくともそれが蔑視の原因になることはないが,なぜ勉強だけがそうなるのか」というのが話の骨子です。「明確に勉強だけができたことに起因する特殊な視線」という実感があるからこそ,このような論立てになる。原因が能力によるものか性格によるものか,くらいわかりますよ。
ぼっち系あるあるでもいじめられっ子あるあるでもない。確かに,元ネタのtogetterにはそういう系のあるある話も混ざっていて迷走しています。それで不満だから,ここに抜粋したわけです。
全体として記事読めてませんよね?ご再読を願います。このブログの管理人として。
それでもまだ反論があるなら,このコメント欄にて応答します。
「誰にだってルサンチマンや劣等感はある」のは真理ですが,そういう話はしていません。
これは勉強できた子間に共有される感情の話であって,運動だけできた子間で共有される感情があるなら,そっちのコミュニティで共有すればいいんじゃないですか。
>勉強ができたから虐められてるって考えてる時点で「勉強はできたかもしれないがバカ」もしくは単に性格がひん曲がってるだけ
>そりゃ嫌われるわ
繰り返しになりますが,いじめられてもいなければ,嫌われてもいなかったわけです。「他の分野で優秀な場合は,少なくともそれが蔑視の原因になることはないが,なぜ勉強だけがそうなるのか」というのが話の骨子です。「明確に勉強だけができたことに起因する特殊な視線」という実感があるからこそ,このような論立てになる。原因が能力によるものか性格によるものか,くらいわかりますよ。
ぼっち系あるあるでもいじめられっ子あるあるでもない。確かに,元ネタのtogetterにはそういう系のあるある話も混ざっていて迷走しています。それで不満だから,ここに抜粋したわけです。
全体として記事読めてませんよね?ご再読を願います。このブログの管理人として。
それでもまだ反論があるなら,このコメント欄にて応答します。
Posted by DG-Law at 2013年08月03日 09:54
勉強ができる子と運動ができる子の扱いの差は、
「運動ができる子は運動会や部活の大会などでチームに貢献するから他の子にも恩恵があるが、勉強は基本、チームで競わない」
ってのもあるかなぁと思います。
俺は高校から進学校で、そこではテストの平均点や最高点をクラスごとに競ってたんですよ。で、勉強ができる子はリスペクトされていました。勉強にも、運動会や部活の大会みたいに、クラスや学校に利益(栄誉?)を還元するシステムがあったら多少違うのかなぁと思います。
まぁ、感情的な問題も大きいでしょうから、そういうシステムだけで直るとは思いませんが。
「運動ができる子は運動会や部活の大会などでチームに貢献するから他の子にも恩恵があるが、勉強は基本、チームで競わない」
ってのもあるかなぁと思います。
俺は高校から進学校で、そこではテストの平均点や最高点をクラスごとに競ってたんですよ。で、勉強ができる子はリスペクトされていました。勉強にも、運動会や部活の大会みたいに、クラスや学校に利益(栄誉?)を還元するシステムがあったら多少違うのかなぁと思います。
まぁ、感情的な問題も大きいでしょうから、そういうシステムだけで直るとは思いませんが。
Posted by ぽんすけ at 2013年08月08日 22:13
>ぽんすけさん
>勉強ができる子と運動ができる子の扱いの差は、〜〜
これは一つありそうですね。
上のコメントでも出てますが,せいぜいわかりやすく教えるくらいのことしかできないですからね……
ただまあ,うちの中学は「運動も勉強もできる子」もおおよそ記事内のような体験をしていたはずなので,それはそれ,これはこれかもしれません。
>俺は高校から進学校で〜〜
そういうのがあると俄然燃えますね。
うちも進学校でしたが,勉強でクラス対抗的なものはありませんでした。高校でもクラス対抗はやっぱりスポーツ系の行事でした。ただし,明確に息抜きだったので,運動音痴としても悪い行事ではありませんでしたが。
>勉強ができる子と運動ができる子の扱いの差は、〜〜
これは一つありそうですね。
上のコメントでも出てますが,せいぜいわかりやすく教えるくらいのことしかできないですからね……
ただまあ,うちの中学は「運動も勉強もできる子」もおおよそ記事内のような体験をしていたはずなので,それはそれ,これはこれかもしれません。
>俺は高校から進学校で〜〜
そういうのがあると俄然燃えますね。
うちも進学校でしたが,勉強でクラス対抗的なものはありませんでした。高校でもクラス対抗はやっぱりスポーツ系の行事でした。ただし,明確に息抜きだったので,運動音痴としても悪い行事ではありませんでしたが。
Posted by DG-Law at 2013年08月09日 03:05
おじさんになってわかったことは(社会人になってしばらくしてわかったことかな?)、あれだけ周りに勉強ができることを隠してきたけど、自分よりも勉強もできるのはざらにいるし、そのうえスポーツもできて、更に人間としても尊敬ができる人っていうのがいっぱいいるってこと。
小さいころに知っていたら楽だったんだろうなぁ。。。
小さいころに知っていたら楽だったんだろうなぁ。。。
Posted by えふ at 2013年08月15日 23:03
「上には上がいる」体験は,都会だと早めに経験しやすいかもしれませんね。
>小さいころに知っていたら楽だったんだろうなぁ。。。
それとこれとは別問題というか,「上には上にいる」ことを知っていると,余計にギャップに苦しむことになるかも……
>小さいころに知っていたら楽だったんだろうなぁ。。。
それとこれとは別問題というか,「上には上にいる」ことを知っていると,余計にギャップに苦しむことになるかも……
Posted by DG-Law at 2013年08月16日 09:46
親に妬まれて、図鑑・本・提出物もろもろを捨てられたってのはないのね。う〜ん、あるあるの趣旨とは違うな。虐待か・・・。
Posted by day at 2014年11月10日 16:06
それはおそらく「あるある」ではなく,かなり少数な事例ではないかと。
dayさん本人の体験なら,ご愁傷さまです……
まじめな話,虐待の一種だと思います。
dayさん本人の体験なら,ご愁傷さまです……
まじめな話,虐待の一種だと思います。
Posted by DG-Law at 2014年11月10日 23:00
このあるあるを始めた前川ヤスタカさんが「勉強できる子卑屈化社会」という本を出されたようですよ。
Posted by 勉強できた子 at 2016年12月23日 07:41
情報ありがとうございます。
そのうち読むかもしれないリストに積んでおきます。
そのうち読むかもしれないリストに積んでおきます。
Posted by DG-Law at 2016年12月23日 15:42