2013年09月11日

『ネギま!』に対する私的落穂拾い

赤松健の新連載が始まった。この新連載は期待を持って読んでいるが,それは『ネギま!』の終わり方と無関係ではない。実はこのネタ,『ネギま!』が終わったタイミングで書こうと思っていたのだが,タイミングを逃して「次の連載が始まった時に」と思ってメモ書きのまま寝かせていたものであった。しかし結果オーライというべきか,新連載が『ネギま!』につながっているなら,むしろ今書いてしまうのが正解である。

私にとって赤松健は,途中まで人生に多大なる影響力を持っていた漫画家であった。『ラブひな』は,『シスプリ』と並んで私がこの道に入る原因であったし,『ラブひな』の影響で受検する大学も決まった。そして入った大学では『ネギま!』の影響を受けて第三外国語はラテン語にした。もっとも,ラテン語はほとんど身にならなかったが。なお,古代ギリシア語は授業1回目を受けた瞬間「ギリシア文字覚えられねぇ!」と気づいて早々に撤退した。そんな『ネギま!』ではあるが,少なくない人がそうであるように,魔法世界編が長すぎて飽きてしまった。単行本換算で,30巻あたりの頃には半ば惰性で読んでいた。15巻くらいまでの熱の入れ方とはえらい違いである。

赤松健作品の何が良かったかといえば,ひなた荘の恐ろしいまでの居心地の良さであって,麻帆良にも同じことが言えた。そして,その居心地が良すぎる空間ゆえに次第にネタが詰まっていき,作品後半には遠出が多くなる。そして遠出が多くなるとなぜかバトルも増える。バトル展開そのものはおもしろい回が多いが,それにより他の要素が出てこなくなるのが冷める原因であった。この点,バトルそのものが悪くないだけに悔しい部分であった。

『AI止ま』と『ラブひな』から「妹が出ると赤松健は終わる」という法則がささやかれており,この法則は『ラブひな』連載終了後に赤松健本人が肯定していた。ゆえに『ネギま!』でもそうなるのではないかと言われていたが,結局妹は登場しなかった。ただし,アーニャを無理やりカウントするなら実はそう間違っていない。要するに妹とは過去を連れてくる存在であって,赤松健作品は過去が物語に追いつくと終わりへ向かうのである。『ネギま!』は最後の遠出,魔法世界編が長すぎて違和感があるだけで,魔法世界編が麻帆良からの最後の遠出には違いないのだ。ちなみに,『ラブひな』も可奈子が登場すると終わりに向かったのは確かだが,実際には登場後もけっこう長く続いている。

『ネギま!』は,この魔法世界編が長すぎたこと,それだけがこの作品の欠点であった。魔法世界編の1回で全てを解決しようとしたことが間違いであった。1回で全てを解決させるためにバトルは多くなり,ドラゴンボールもびっくりの超インフレが起こり,バトルにかかわらない生徒は文字通りの戦力外通告となり,バランスを崩した。ネギ君は途中で一度,麻帆良に帰ってくるべきだったのだ。何がなんでも。父親探しは二度に分け,魔法世界の危機も二回目に行ったときに起きることにするだけでも相当違ったはずである。それが作品の質を高める事にもなり,延命にもなった。私は全く触れてこなかったが,何度もアニメ化したりまさかのリアルドラマ化だったりといろいろあったが,あれらの企画も私が触れないような企画ではなく,ちゃんと練り上げるだけの時間も気力も生まれたのではないか。何があって,あれだけの性急な展開と結末を良しとしたのか。ひょっとして赤松健本人が飽きていたのではないかという勘ぐりさえできてしまう。『ラブひな』の「いつでも帰ってこられる場所,永遠の竜宮城」を示した,あの完璧な最終回に比べると悲しくなってくる。


そこへ来て,今回の新連載である。何が新しいって「居場所を作らない」「最初からバトル」だ。連載回数と遠出の距離とバトル展開偏重が比例していたのは『ラブひな』も『ネギま!』も同じで,だったら最初から偏りきってしまったところからスタートしようと。さすがは赤松健というか,すばらしく自己分析していると思う。しかも完全新作ではなく,明らかに投げっぱなした『ネギま!』の補遺ときたらテンションが上がらないはずはない。「ああ,やっぱり赤松健も投げっぱなしたの気にしてたんだな」と思えただけでも割りと喜んでる自分がいて,むしろ『ネギま!』への愛着に気づいてしまった。魔法世界編の後半,あんなに惰性で読んでたのに,私も現金なものである。いやむしろ,惰性で読んでたからこそ,投げっぱなした伏線と一緒に”熱”も取り返してくれるという期待感が強いからか。

いずれにせよ,水曜日の楽しみが一つ増えた。「居心地のいい場所のない」初の赤松健作品,楽しんで読んでいこうと思う。


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