2013年11月30日
一人ロマン主義全部(ターナー展)
都美のターナー展に行ってきた。水彩画中心ではあったが,なかなか豪華で量もあり,満足のいくものであった。
ターナーというと,表題にした通り,一人でロマン主義を一通りやってしまったという印象がある。ロマン主義と一括りにはするものの,実際の中身は多種多様だ。これはロマン主義という言葉の多義性もあるが,何より「筆致・主題のどちらかが古典主義からもロココからも外れてたらロマン主義」みたいなところはあり,これが雑多になっている原因である。C.D.フリードリヒは,筆致はパリッパリの古典主義だが,主題が崇高に寄りすぎているのでロマン主義だ。一方ドラクロワは主題が比較的古典的でも,筆致が全く外れているのでやっぱりロマン主義である。
こんな人為的な分類無意味なんじゃないかと言いたくなるような状況だが,ひるがえって,ターナーはどっちも描ける。というよりも,最初は主題が崇高なだけであったが,歳をとっていくにつれて次第に筆致が荒れていき,むしろそっちの意味合いでのロマン主義のほうが強くなっていく。美術の教科書に載っている代表作《雨・蒸気・速度 グレート・ウェスタン鉄道》は非常に印象深い作品だが,あれは1844年,60歳を超えてすでに老境を迎えた時期の作品なのだ。あれに比べると,若い頃の風景画の筆致はずいぶん古典的である。しかしその風景画はあくまで崇高で,やはり古典的ではない。この辺の一人ロマン主義体現が,ターナーという画家の人生を概観したときのおもしろさであろう。
このことはもう一つの豊かな観点を与える。ロマン主義は後世に,主題の自由さという点では象徴主義に影響を与え,筆致の自由さという点では印象派につながっていく。美術史的なインパクトでは後者のほうが強いが,その印象派を予感させるような筆致の大胆さが,老境になって登場するというのはおもしろい。ターナーが亡くなったのは1851年のこと。《印象―日の出》はその約20年後のことだ。そして今回の展覧会を見て思ったのは,ターナーの晩年の作品は,印象派はおろかもはや抽象表現主義に近いほど激しいということだ。当時「未完成」という批判があったそうだが,それもそうだろう。《雨・蒸気・速度》は,あれで筆致を整えたほうだったのだ。実は,筆触分割の発明者モネも,晩年はどんどん筆致が荒れていき,カンディンスキーと見まごうばかりの表現になっていく。ここで《松林図屏風》を思い出すに,人間枯れると筆致は逆に荒れるのか,と考えさせられてしまった。ついでにどうでもいいことを言うと,この晩年のターナーを擁護したのがラスキンであり,ラスキンにとってはこれが美術評論家としての最初の大きな仕事であった。その後ラスキンはラファエロ前派やアーツ・アンド・クラフツ運動の擁護者となって論壇を駆け上がっていく。
とは言いつつ,C.D.フリードリヒが好きな私であるので,ターナーについて言えば若い頃の作品のほうが好きである。こちらはフリードリヒに近かったり,ハドソン・リヴァー派の先取りのような表現も見え,若い頃の風景画なりに多様さはあったように思う。また,若い頃の作品は海景画が多く,本展覧会だけの話ではなくそのようなキャプションもあったので,さすがは島国イギリスだと思った。海も山も谷も雪も木も,実に見事であった。フリードリヒも明確に「崇高」を意識していた画家であったが,ターナーも崇高を意識していたと本展覧会で指摘されており,一つ勉強になった。そのような意識であったのに,フリードリヒは排撃されてターナーは生前から大人気だったのは,うまいこと古典主義的な要素との接合が見られたからではないかと思う。ターナーの絵は,刺々しくない。雄大ではあれど,攻撃的ではない。また,大作の油彩画だとクロード・ロラン的に,ジャンルが歴史画になるように一工夫が見られた(中にはまんまクロード・ロランの本歌取り作品もあった,今回の画像がその《レグルス》)。この辺の世渡りのうまさがフリードリヒにもあればなぁ,と思う一方,その無骨さがまたフリードリヒでもあるのだった。
ターナーというと,表題にした通り,一人でロマン主義を一通りやってしまったという印象がある。ロマン主義と一括りにはするものの,実際の中身は多種多様だ。これはロマン主義という言葉の多義性もあるが,何より「筆致・主題のどちらかが古典主義からもロココからも外れてたらロマン主義」みたいなところはあり,これが雑多になっている原因である。C.D.フリードリヒは,筆致はパリッパリの古典主義だが,主題が崇高に寄りすぎているのでロマン主義だ。一方ドラクロワは主題が比較的古典的でも,筆致が全く外れているのでやっぱりロマン主義である。
こんな人為的な分類無意味なんじゃないかと言いたくなるような状況だが,ひるがえって,ターナーはどっちも描ける。というよりも,最初は主題が崇高なだけであったが,歳をとっていくにつれて次第に筆致が荒れていき,むしろそっちの意味合いでのロマン主義のほうが強くなっていく。美術の教科書に載っている代表作《雨・蒸気・速度 グレート・ウェスタン鉄道》は非常に印象深い作品だが,あれは1844年,60歳を超えてすでに老境を迎えた時期の作品なのだ。あれに比べると,若い頃の風景画の筆致はずいぶん古典的である。しかしその風景画はあくまで崇高で,やはり古典的ではない。この辺の一人ロマン主義体現が,ターナーという画家の人生を概観したときのおもしろさであろう。
このことはもう一つの豊かな観点を与える。ロマン主義は後世に,主題の自由さという点では象徴主義に影響を与え,筆致の自由さという点では印象派につながっていく。美術史的なインパクトでは後者のほうが強いが,その印象派を予感させるような筆致の大胆さが,老境になって登場するというのはおもしろい。ターナーが亡くなったのは1851年のこと。《印象―日の出》はその約20年後のことだ。そして今回の展覧会を見て思ったのは,ターナーの晩年の作品は,印象派はおろかもはや抽象表現主義に近いほど激しいということだ。当時「未完成」という批判があったそうだが,それもそうだろう。《雨・蒸気・速度》は,あれで筆致を整えたほうだったのだ。実は,筆触分割の発明者モネも,晩年はどんどん筆致が荒れていき,カンディンスキーと見まごうばかりの表現になっていく。ここで《松林図屏風》を思い出すに,人間枯れると筆致は逆に荒れるのか,と考えさせられてしまった。ついでにどうでもいいことを言うと,この晩年のターナーを擁護したのがラスキンであり,ラスキンにとってはこれが美術評論家としての最初の大きな仕事であった。その後ラスキンはラファエロ前派やアーツ・アンド・クラフツ運動の擁護者となって論壇を駆け上がっていく。
とは言いつつ,C.D.フリードリヒが好きな私であるので,ターナーについて言えば若い頃の作品のほうが好きである。こちらはフリードリヒに近かったり,ハドソン・リヴァー派の先取りのような表現も見え,若い頃の風景画なりに多様さはあったように思う。また,若い頃の作品は海景画が多く,本展覧会だけの話ではなくそのようなキャプションもあったので,さすがは島国イギリスだと思った。海も山も谷も雪も木も,実に見事であった。フリードリヒも明確に「崇高」を意識していた画家であったが,ターナーも崇高を意識していたと本展覧会で指摘されており,一つ勉強になった。そのような意識であったのに,フリードリヒは排撃されてターナーは生前から大人気だったのは,うまいこと古典主義的な要素との接合が見られたからではないかと思う。ターナーの絵は,刺々しくない。雄大ではあれど,攻撃的ではない。また,大作の油彩画だとクロード・ロラン的に,ジャンルが歴史画になるように一工夫が見られた(中にはまんまクロード・ロランの本歌取り作品もあった,今回の画像がその《レグルス》)。この辺の世渡りのうまさがフリードリヒにもあればなぁ,と思う一方,その無骨さがまたフリードリヒでもあるのだった。
Posted by dg_law at 12:00│Comments(0)