2014年03月22日
ヴィクトリア朝美術展その1
森アーツセンターのラファエル前派展に行ってきた。これまでここ数年でバーン=ジョーンズ展,ミレイ展と開催されてはいたが,ラファエル前派を包括的に扱った展覧会というと初めてではないかと思う(それでミレイ展がいつだったか調べて,2008年9月ということを知ってショックを受けたのは内緒)。来ていた作品は案外と周辺の画家のものが多く,ロセッティやミレイばかりとはいかなかったものの,質量ともに満足行くもので,展示品の見せ方もよく,良い展覧会だったのではないかと思う。
最初の章は歴史がテーマの作品。ここが一番ラファエル前派らしい作品が多かったと言えるゾーンかもしれない。『リア王』の終盤の場面,放浪したリア王がコーデリアの軍の陣幕で眠るシーンが描かれた作品があり,非常にラファエル前派らしいなと思った。シェイクスピアを題材にした作品は多いのだが,『リア王』ならもっと他にもシーンあるだろうというところで,このチョイスである。同画家はチョーサーがエドワード3世に読み聞かせをしているシーンを描いたものもある。あとの変化球としては,《シェイクスピアが生まれた部屋》。一見すると何の変哲もない部屋であり,タイトルを見てなんだそりゃ,と。ミレイの《オフィーリア》も来ていたが,これはその6年前の展覧会でも見ている。ミレイの作品はあのときの展覧会と同じ作品が多かったのが,少々残念といえば残念。
次の章が宗教。ラファエル前派は文字とおり「ラファエル以前」を理念として掲げてはいたが,カトリック回帰ということはなく,むしろゴリゴリにプロテスタント的であった。この辺はラファエル前派が中世回帰である以前に,ロマン主義的・国粋的であるのが先にあるということであろう。それにしてはロセッティの《受胎告知(見よ、我は主のはしためなり)》は聖書を無視しすぎである。なにせ天使に羽は生えてないし,マリアは聖書を書架で読んでおらず,ベッドから起き上がった寝起きの状態である。ぱっと見では受胎告知とわからない。図録によると,ロセッティの周辺には聖書の字句通りの解釈を否定する国教会の自由主義派がいたらしい。かくのごとくこれまでのお約束を全部無視しているかというとそうでもなく,同じくロセッティの《聖カタリナ》はちゃんと車輪を持っていた。さすがに無いと見分けつかないわなぁ。この辺の中途半端なとがりっぷりもまたラファエル前派の特徴かもしれない。
第3章が風景。うまいはうまいのだが,ラファエル前派だからという特徴は他のジャンルに比べると無い。その中で一つ挙げると,エルサレムの風景を描いたものがあり,宗教的な動きである一方,ロマン主義的オリエンタリズムからの接続でもあるかなと。その画家が「現在のイェルサレムはアラブによって堕落している」と発言していたことが図録には書かれていた。ただしこの画家,自らもアラブの服装でパレスチナを旅行していたそうなので,筋金入りではある。
第4章は近代生活。ここでは《我が家で過ごす最後の一日》が唯一印象的であった(今回の画像)。それにしてもこの親父,いい笑顔である。よく見ると家財一切には競売用の番号が貼り付けられており,右下の床には競売目録が落ちている。左下の馬の絵はギャンブルで全部スッたことを示し,真ん中の暖炉の火は消えかかっており,あわせてこの一家の没落を示す。左では悲しみにくれる老婦人が紳士から何か受け取っているが,図録によるとこれは新居のアパートの鍵であるらしい。机の上の新聞は安アパートの広告を示しているとのこと。古典主義の絵画のようなパズルの絵である。
第5章は詩的な絵画というテーマだったが,今ひとつわかりづらかった。第6章は唯美主義で,第7章が象徴主義。特定の題材がない作品が並ぶ。有名な作品としてロセッティの《ベアタ・ベアトリクス》と《プルセルビナ》があった。特に好きな作品というわけではないが,見れてよかったと思う。あとすごくどうでもいいところで,ロセッティの《聖なる百合》という作品があった。もちろん普通に女性が描かれた作品だが,「聖なる百合,そういうのもあるのか!」という方向のコメントが頭に浮かんだのは自分でもだいぶどうかと思う。マルタとマリアで姉妹百合かな?
最初の章は歴史がテーマの作品。ここが一番ラファエル前派らしい作品が多かったと言えるゾーンかもしれない。『リア王』の終盤の場面,放浪したリア王がコーデリアの軍の陣幕で眠るシーンが描かれた作品があり,非常にラファエル前派らしいなと思った。シェイクスピアを題材にした作品は多いのだが,『リア王』ならもっと他にもシーンあるだろうというところで,このチョイスである。同画家はチョーサーがエドワード3世に読み聞かせをしているシーンを描いたものもある。あとの変化球としては,《シェイクスピアが生まれた部屋》。一見すると何の変哲もない部屋であり,タイトルを見てなんだそりゃ,と。ミレイの《オフィーリア》も来ていたが,これはその6年前の展覧会でも見ている。ミレイの作品はあのときの展覧会と同じ作品が多かったのが,少々残念といえば残念。
次の章が宗教。ラファエル前派は文字とおり「ラファエル以前」を理念として掲げてはいたが,カトリック回帰ということはなく,むしろゴリゴリにプロテスタント的であった。この辺はラファエル前派が中世回帰である以前に,ロマン主義的・国粋的であるのが先にあるということであろう。それにしてはロセッティの《受胎告知(見よ、我は主のはしためなり)》は聖書を無視しすぎである。なにせ天使に羽は生えてないし,マリアは聖書を書架で読んでおらず,ベッドから起き上がった寝起きの状態である。ぱっと見では受胎告知とわからない。図録によると,ロセッティの周辺には聖書の字句通りの解釈を否定する国教会の自由主義派がいたらしい。かくのごとくこれまでのお約束を全部無視しているかというとそうでもなく,同じくロセッティの《聖カタリナ》はちゃんと車輪を持っていた。さすがに無いと見分けつかないわなぁ。この辺の中途半端なとがりっぷりもまたラファエル前派の特徴かもしれない。
第3章が風景。うまいはうまいのだが,ラファエル前派だからという特徴は他のジャンルに比べると無い。その中で一つ挙げると,エルサレムの風景を描いたものがあり,宗教的な動きである一方,ロマン主義的オリエンタリズムからの接続でもあるかなと。その画家が「現在のイェルサレムはアラブによって堕落している」と発言していたことが図録には書かれていた。ただしこの画家,自らもアラブの服装でパレスチナを旅行していたそうなので,筋金入りではある。
第4章は近代生活。ここでは《我が家で過ごす最後の一日》が唯一印象的であった(今回の画像)。それにしてもこの親父,いい笑顔である。よく見ると家財一切には競売用の番号が貼り付けられており,右下の床には競売目録が落ちている。左下の馬の絵はギャンブルで全部スッたことを示し,真ん中の暖炉の火は消えかかっており,あわせてこの一家の没落を示す。左では悲しみにくれる老婦人が紳士から何か受け取っているが,図録によるとこれは新居のアパートの鍵であるらしい。机の上の新聞は安アパートの広告を示しているとのこと。古典主義の絵画のようなパズルの絵である。
第5章は詩的な絵画というテーマだったが,今ひとつわかりづらかった。第6章は唯美主義で,第7章が象徴主義。特定の題材がない作品が並ぶ。有名な作品としてロセッティの《ベアタ・ベアトリクス》と《プルセルビナ》があった。特に好きな作品というわけではないが,見れてよかったと思う。あとすごくどうでもいいところで,ロセッティの《聖なる百合》という作品があった。もちろん普通に女性が描かれた作品だが,「聖なる百合,そういうのもあるのか!」という方向のコメントが頭に浮かんだのは自分でもだいぶどうかと思う。
Posted by dg_law at 06:56│Comments(0)│