2014年03月30日
琴欧洲引退に寄せて
琴欧洲は先駆者として偉大であった。この点の功績は旭鷲山や高見山に張るものがある。現在東欧は相撲ブームで,そのうちハンガリー出身やウクライナ出身の力士が大相撲を席巻するかもしれない。それが実現すれば,ますます高見山に比肩する存在になっていくであろう。
琴欧洲の相撲人生といえば,昇進は異常なまでに早かった。身体もできていたし,相撲への順応も早かった。駆け上がってきたときの相撲ですでに完成されており,驚いたものだ。小結・関脇での負け越しはわずかに1回,というよりも小結・関脇の在位がわずか4場所で,負け越した以外の3場所が全て大関取りにかかわっている。平成17年の後半3場所:大関取りの戦績は36−9で,しかも朝青龍や魁皇,(当時小結・関脇の)白鵬などからの白星を含み,3場所とも優勝同点or次点であった。これは横綱も早かろうと皆思っていたものだ。
ところが,大関に上がるとさすがに周囲に警戒され,弱点を突かれるようになると,途端に脆くなった。そう,単純に昇進が早すぎて周囲の対策が遅れ,それが大関取りを有利にしていた。結果として大関に上がってからの成績はそれ以前よりも悪く,「昇進して気が抜けた」という批判を受けてしまうようになる。ただまあ,事実として平成18〜19年の相撲ぶりはひどかった。組めば無類の強さであったが,足がそろっていて立ち合いの威力を欠き,あわてるとバタバタと足を走らせて土俵を割った。一度は覚えたはずのすり足を忘れてしまったかのような足運びが見られ,これではふんばれない。特に小兵に弱い傾向はこの頃から見られ,中に入られてもろ差しになるともう何もできなかった。
しかし,平成20年になると,立ち合いきちんと踏み込んで組みに行く琴欧洲と,悪いときの琴欧洲という別人のような取り口が交互に現れるようになった。ともあれ安定して10勝し,好調な方の琴欧洲が続けば20年5月のように優勝することもできた。しかし,「交互に」現れているようでは綱取りは覚束ず,結局優勝はこれが最初で最後であった。どころか優勝争いをしたのも21年7月が事実上の最後であった。琴欧洲が決定的に崩壊したのは平成23年5月場所である。奇しくも技量審査場所であったが,ここで右膝を痛めて休場した後7月はなんとか復調。これまた奇しくも,魁皇に勝ってのカド番脱出であり,魁皇はこの取組を最後にして引退した。ところが9月,今度は右肘を痛めて途中休場。その後は魁皇から悪い意味での「立場」を引き継ぎ,カド番の回数ばかりが増えていった。そういう意味では,そこから約3年。よく引退せずに続いたものである。ともあれ,これにて平成の互助会メンバー(魁皇・千代大海・琴欧洲・琴光喜)は全員引退したことになり,やっと清浄化された。その結果がここ1・2年の大変動であるから,いかに彼らが停滞を呼んでいたかがよくわかる。
取り口は右四つの寄りで,高身長ながらきちんと腰を割った美しい寄りを見せていた。投げは案外と少なかったが,とにかく寄りが強烈であった。ただし,前述の通り立ち合いが腰高で足がそろっていると力が出ず,しかも無意識にその体勢になるから,日ごとの好不調の波が激しかった。立ち合いがちゃんとしていれば白鵬や朝青龍ともいい勝負をしたが,不調時に足をバタバタとさせて自ら土俵を割っていく姿は,多くの相撲ファンの記憶に残ってしまっている。それに比べると目立たなかったが,たぐられると弱かった傾向もあり,魁皇や朝青龍にはそれでいいようにやられていた。弱点で言えば,何より特定の力士には圧倒的に弱く,安美錦・豊ノ島・栃煌山からはいいカモにされていた。苦手力士の多さのせいで横綱になれなかったようなものである。
さて,引退会見では「体力的にも精神的にも限界」と言っていたが,実際その通りだろう。ケガで満身創痍,たたいていた私が言うのもなんだが大関としてふがいない成績という周囲の批判も強かった。それでも彼が懸命に土俵を務めていたことには違いなく,それは周囲にも十分伝わっていた。引退会見で見せた琴欧洲の涙には万感こもっており,私も思わずもらい泣きしてしまった。今後は協会に残って後進の指導にあたるそうだが,ぜひとも強力な欧州出身力士を育てて欲しいものである。いっそ佐渡ヶ嶽部屋には「一部屋外国出身力士一人制」を例外的に撤廃するとか,どうだろうか。お疲れ様でした。
琴欧洲の相撲人生といえば,昇進は異常なまでに早かった。身体もできていたし,相撲への順応も早かった。駆け上がってきたときの相撲ですでに完成されており,驚いたものだ。小結・関脇での負け越しはわずかに1回,というよりも小結・関脇の在位がわずか4場所で,負け越した以外の3場所が全て大関取りにかかわっている。平成17年の後半3場所:大関取りの戦績は36−9で,しかも朝青龍や魁皇,(当時小結・関脇の)白鵬などからの白星を含み,3場所とも優勝同点or次点であった。これは横綱も早かろうと皆思っていたものだ。
ところが,大関に上がるとさすがに周囲に警戒され,弱点を突かれるようになると,途端に脆くなった。そう,単純に昇進が早すぎて周囲の対策が遅れ,それが大関取りを有利にしていた。結果として大関に上がってからの成績はそれ以前よりも悪く,「昇進して気が抜けた」という批判を受けてしまうようになる。ただまあ,事実として平成18〜19年の相撲ぶりはひどかった。組めば無類の強さであったが,足がそろっていて立ち合いの威力を欠き,あわてるとバタバタと足を走らせて土俵を割った。一度は覚えたはずのすり足を忘れてしまったかのような足運びが見られ,これではふんばれない。特に小兵に弱い傾向はこの頃から見られ,中に入られてもろ差しになるともう何もできなかった。
しかし,平成20年になると,立ち合いきちんと踏み込んで組みに行く琴欧洲と,悪いときの琴欧洲という別人のような取り口が交互に現れるようになった。ともあれ安定して10勝し,好調な方の琴欧洲が続けば20年5月のように優勝することもできた。しかし,「交互に」現れているようでは綱取りは覚束ず,結局優勝はこれが最初で最後であった。どころか優勝争いをしたのも21年7月が事実上の最後であった。琴欧洲が決定的に崩壊したのは平成23年5月場所である。奇しくも技量審査場所であったが,ここで右膝を痛めて休場した後7月はなんとか復調。これまた奇しくも,魁皇に勝ってのカド番脱出であり,魁皇はこの取組を最後にして引退した。ところが9月,今度は右肘を痛めて途中休場。その後は魁皇から悪い意味での「立場」を引き継ぎ,カド番の回数ばかりが増えていった。そういう意味では,そこから約3年。よく引退せずに続いたものである。ともあれ,これにて平成の互助会メンバー(魁皇・千代大海・琴欧洲・琴光喜)は全員引退したことになり,やっと清浄化された。その結果がここ1・2年の大変動であるから,いかに彼らが停滞を呼んでいたかがよくわかる。
取り口は右四つの寄りで,高身長ながらきちんと腰を割った美しい寄りを見せていた。投げは案外と少なかったが,とにかく寄りが強烈であった。ただし,前述の通り立ち合いが腰高で足がそろっていると力が出ず,しかも無意識にその体勢になるから,日ごとの好不調の波が激しかった。立ち合いがちゃんとしていれば白鵬や朝青龍ともいい勝負をしたが,不調時に足をバタバタとさせて自ら土俵を割っていく姿は,多くの相撲ファンの記憶に残ってしまっている。それに比べると目立たなかったが,たぐられると弱かった傾向もあり,魁皇や朝青龍にはそれでいいようにやられていた。弱点で言えば,何より特定の力士には圧倒的に弱く,安美錦・豊ノ島・栃煌山からはいいカモにされていた。苦手力士の多さのせいで横綱になれなかったようなものである。
さて,引退会見では「体力的にも精神的にも限界」と言っていたが,実際その通りだろう。ケガで満身創痍,たたいていた私が言うのもなんだが大関としてふがいない成績という周囲の批判も強かった。それでも彼が懸命に土俵を務めていたことには違いなく,それは周囲にも十分伝わっていた。引退会見で見せた琴欧洲の涙には万感こもっており,私も思わずもらい泣きしてしまった。今後は協会に残って後進の指導にあたるそうだが,ぜひとも強力な欧州出身力士を育てて欲しいものである。いっそ佐渡ヶ嶽部屋には「一部屋外国出身力士一人制」を例外的に撤廃するとか,どうだろうか。お疲れ様でした。
Posted by dg_law at 12:00│Comments(2)
この記事へのコメント
通りすがり失礼
色々と格闘技を観ますが、総当たりが基本の大相撲ほど、相性やら対策やらを意識させられる競技はありませんね
何はともあれおつかれさん琴欧洲
色々と格闘技を観ますが、総当たりが基本の大相撲ほど、相性やら対策やらを意識させられる競技はありませんね
何はともあれおつかれさん琴欧洲
Posted by しぃ at 2014年04月03日 20:19
確かにそういった側面はありますね。
特に上位に行けば行くほど,必ず当たる相手が出てきますからね……
特に上位に行けば行くほど,必ず当たる相手が出てきますからね……
Posted by DG-Law at 2014年04月04日 11:26