2014年04月08日
劇場版アイドルマスター
偶然にも春香の誕生日に見に行っていた,ということに見終わってから気づいた。
正直に言えば満点という出来ではなく,不満点は無くは無い。特に作画について。ストーリーはどうしても好き嫌いもあるし,キャラの扱いは人数が多いから偏るのも致し方ないところがある。しかし,作画は劇場版なんだから。「おい,顔歪んでんぞ」というシーンがいくつかあって,とても残念であった。まあ,不満点は置いておこう。その上で,ストーリー面の話をする。
劇場版の春香たちは,TVシリーズでの艱難辛苦を乗り越えて設定的にもトップアイドルになってしまった。美希と春香はそれぞれステージに立つことの意味を考え直してそこに戻ってきた。千早は家族と正面から向き合い始めた。特にこの3人は物語の中核として,巻き起こした波乱の意味は大きかった。ただ,その中から今回リーダーに選ばれたのが春香なのは,極めて自然なことだ。箱○無印の頃から語られていることではあるが,それぞれの目指すアイドルのタイプは異なっている。しかし,3人の中で一番「アイドル」という概念自体にこだわりを持っているのは春香である。
逆説的にも,春香が一番ピンでやっていけるのである。だからこそ,箱○無印のあのエンディングになるのだから。美希はハニーがいないと成り立たないし,デレた千早なんて今回の劇場版で春香にべったりだったのが非常に象徴的である。春香と千早の対照では,どちらも「歌が好き」という気持ちが活動の根底にあるものの,春香は本当に「好き」の一心であるのに対し,千早は歌に人生をかけていて重い。この対比はアイマスだけに限ったものではなく,音楽はただ音楽であるべきか,人生や魂を乗せたものであるべきかというテーマは音楽を扱った作品では時々見られる。そうして見るに,「ハニー」も「歌」も必要とせず,ただステージとファンがいれば成り立ってしまう春香さんのアイドル像はとても透徹なのではないかと思う。
話が少々それたので,戻そう。そうして成長してきた彼女らだ。今更彼女らに内紛を起こしたりするのは不自然になる。しかし,ストーリーは盛り上げなければならぬ。だからミリマス勢が連れて来られたわけだ。しかし,それってもう765プロの面々はアイドルとして完成されすぎていて,アイドルの概念をテーマにしたストーリーでは中心になりえないということを提示してしまったのではあるまいか。無論,劇場版アイドルマスターの主人公は765プロの面々であって,さらに言えば春香であった。しかし,主人公格と中心は違うもので,ストーリーの焦点はあくまでミリマス勢バックダンサーズの成長である。重ねて言って,765プロの面々に(文字通り)スポットライトが当たっていなかったというわけではなく,むしろミリマス勢よりも出番が多かったし,キャラへの掘り下げもなされていた。春香以外の面々にも「先輩」としての姿がしっかり割り振られていたのは良かった点だ。しかし,それはあくまで「後輩を導く先輩アイドル」としての姿であって,成長する主体ではなかった。
要するに「そろそろ引退しろよ」というか「引退してもいいんだよ」といいますか,そういう空気が映画から漂っていなかったか。勘違いしないで欲しいのは,私はそれを批判しているわけではない。むしろ逆である。それはファンである自分にもある感情で,無論彼女らを嫌いになったわけではないし飽きたわけでもなく,いつまでも前線で活躍して欲しい。一方で,project im@sとしてはいじりにくい重鎮になってしまった感がある。アイマス3では,いよいよ「トップアイドル」として背景になるしかないのでは。バンナムの戦略としては,本当はim@sDSが出た段階で765プロの面々の背景化の布石を打っていたのだろうけど,あの段階ではまだ少々早かった。その意味で,この劇場版は再度の試金石だったと言えるのではないか。少なくとも私には納得の行く卒業式にはなった。
じゃあ次世代に引き継ぐぞというところで,ここが本作のおもしろいところであり,悩ましいところでもあった。何かと言えば,春香のリーダーとしてのやり方である。春香のやり方は一見優しいように見えて落伍者を認めないという実はとても厳しいスタイルだ。「アイドル」そのものにこだわりを持つ春香らしいもので,これはあの13人でやってる分にはうまく回る。それはTVシリーズや,ひいてはゲーム版という下積みがあるからで。良くも悪くも,あれが第一世代765プロだ。ああでなければ,あの13人じゃないとまで言っていい。じゃあミリマス勢が次世代かというと,これは私がミリマスをやっていないことを横に置いといても違和感はある。あの春香のスタイルをそのまま引き継ぐのは苦しいのではないかと思うし,あの劇場版からはそっくりそのまま受け継ぐんかなぁ……という印象しか受けなかったからだ。彼女らには彼女らのスタイルがあるのではないか。その上で,アイマス製作陣が「いや,あの春香のスタイルこそ,project im@s全体で貫かれる通奏低音だ」と言うのであれば,私はそれをじっくり見守るだけだ。
じゃあ彼女らが独自のスタイルを作るとして,それはどういうものになるか。それを考えるには,劇場版はあまりにも短くて素材が足りない。劇場版の放映時間が120分という限界,765プロの面々を掘り下げるのに必要な時間が長かったという制約があったのはわかるが,にしてもバックダンサーズの一人一人に対する掘り下げがあまりにも少なく,未プレイヤーとしては印象に残らないまま終わってしまったというのが正直な感想だ。未プレイヤーをミリマスに誘導する目的がこの劇場版にあったのだとしたら,それはあまり成功しているとは思えない。今後,バンナムがどういう戦略を取っていくのか,注目したい。
正直に言えば満点という出来ではなく,不満点は無くは無い。特に作画について。ストーリーはどうしても好き嫌いもあるし,キャラの扱いは人数が多いから偏るのも致し方ないところがある。しかし,作画は劇場版なんだから。「おい,顔歪んでんぞ」というシーンがいくつかあって,とても残念であった。まあ,不満点は置いておこう。その上で,ストーリー面の話をする。
劇場版の春香たちは,TVシリーズでの艱難辛苦を乗り越えて設定的にもトップアイドルになってしまった。美希と春香はそれぞれステージに立つことの意味を考え直してそこに戻ってきた。千早は家族と正面から向き合い始めた。特にこの3人は物語の中核として,巻き起こした波乱の意味は大きかった。ただ,その中から今回リーダーに選ばれたのが春香なのは,極めて自然なことだ。箱○無印の頃から語られていることではあるが,それぞれの目指すアイドルのタイプは異なっている。しかし,3人の中で一番「アイドル」という概念自体にこだわりを持っているのは春香である。
逆説的にも,春香が一番ピンでやっていけるのである。だからこそ,箱○無印のあのエンディングになるのだから。美希はハニーがいないと成り立たないし,デレた千早なんて今回の劇場版で春香にべったりだったのが非常に象徴的である。春香と千早の対照では,どちらも「歌が好き」という気持ちが活動の根底にあるものの,春香は本当に「好き」の一心であるのに対し,千早は歌に人生をかけていて重い。この対比はアイマスだけに限ったものではなく,音楽はただ音楽であるべきか,人生や魂を乗せたものであるべきかというテーマは音楽を扱った作品では時々見られる。そうして見るに,「ハニー」も「歌」も必要とせず,ただステージとファンがいれば成り立ってしまう春香さんのアイドル像はとても透徹なのではないかと思う。
話が少々それたので,戻そう。そうして成長してきた彼女らだ。今更彼女らに内紛を起こしたりするのは不自然になる。しかし,ストーリーは盛り上げなければならぬ。だからミリマス勢が連れて来られたわけだ。しかし,それってもう765プロの面々はアイドルとして完成されすぎていて,アイドルの概念をテーマにしたストーリーでは中心になりえないということを提示してしまったのではあるまいか。無論,劇場版アイドルマスターの主人公は765プロの面々であって,さらに言えば春香であった。しかし,主人公格と中心は違うもので,ストーリーの焦点はあくまでミリマス勢バックダンサーズの成長である。重ねて言って,765プロの面々に(文字通り)スポットライトが当たっていなかったというわけではなく,むしろミリマス勢よりも出番が多かったし,キャラへの掘り下げもなされていた。春香以外の面々にも「先輩」としての姿がしっかり割り振られていたのは良かった点だ。しかし,それはあくまで「後輩を導く先輩アイドル」としての姿であって,成長する主体ではなかった。
要するに「そろそろ引退しろよ」というか「引退してもいいんだよ」といいますか,そういう空気が映画から漂っていなかったか。勘違いしないで欲しいのは,私はそれを批判しているわけではない。むしろ逆である。それはファンである自分にもある感情で,無論彼女らを嫌いになったわけではないし飽きたわけでもなく,いつまでも前線で活躍して欲しい。一方で,project im@sとしてはいじりにくい重鎮になってしまった感がある。アイマス3では,いよいよ「トップアイドル」として背景になるしかないのでは。バンナムの戦略としては,本当はim@sDSが出た段階で765プロの面々の背景化の布石を打っていたのだろうけど,あの段階ではまだ少々早かった。その意味で,この劇場版は再度の試金石だったと言えるのではないか。少なくとも私には納得の行く卒業式にはなった。
じゃあ次世代に引き継ぐぞというところで,ここが本作のおもしろいところであり,悩ましいところでもあった。何かと言えば,春香のリーダーとしてのやり方である。春香のやり方は一見優しいように見えて落伍者を認めないという実はとても厳しいスタイルだ。「アイドル」そのものにこだわりを持つ春香らしいもので,これはあの13人でやってる分にはうまく回る。それはTVシリーズや,ひいてはゲーム版という下積みがあるからで。良くも悪くも,あれが第一世代765プロだ。ああでなければ,あの13人じゃないとまで言っていい。じゃあミリマス勢が次世代かというと,これは私がミリマスをやっていないことを横に置いといても違和感はある。あの春香のスタイルをそのまま引き継ぐのは苦しいのではないかと思うし,あの劇場版からはそっくりそのまま受け継ぐんかなぁ……という印象しか受けなかったからだ。彼女らには彼女らのスタイルがあるのではないか。その上で,アイマス製作陣が「いや,あの春香のスタイルこそ,project im@s全体で貫かれる通奏低音だ」と言うのであれば,私はそれをじっくり見守るだけだ。
じゃあ彼女らが独自のスタイルを作るとして,それはどういうものになるか。それを考えるには,劇場版はあまりにも短くて素材が足りない。劇場版の放映時間が120分という限界,765プロの面々を掘り下げるのに必要な時間が長かったという制約があったのはわかるが,にしてもバックダンサーズの一人一人に対する掘り下げがあまりにも少なく,未プレイヤーとしては印象に残らないまま終わってしまったというのが正直な感想だ。未プレイヤーをミリマスに誘導する目的がこの劇場版にあったのだとしたら,それはあまり成功しているとは思えない。今後,バンナムがどういう戦略を取っていくのか,注目したい。
Posted by dg_law at 22:21│Comments(0)│