2014年05月03日
『リンカーン』(映画)
これは傑作。本作はアメリカ合衆国第16代大統領リンカーンを描いたものだが,生涯すべてを扱っているわけではない。どころか作中にゲティスバーグの演説のシーンもなければ,奴隷解放宣言のシーンもないのである。1865年1月のわずか1ヶ月間だけを極めて濃密に描いたのがこの映画だ。奴隷解放を法的に根拠づける憲法修正第13条の下院可決が1月31日のことで,南北戦争の終結は4月9日のことである。リンカーンがこの2つの難題に対してどう挑んだのかが,本作の焦点である。
作中でおおよそ説明されるものの,これらがいかに難題であったか列挙しておく。
・憲法修正には出席議員の2/3以上の賛成が必要だが,共和党が全員賛成したとしてもまだ20票足りない。
・共和党も一枚岩ではなく,解放は参政権を含めない法的平等にとどめたい保守派と,参政権なども含めたラディカルな解放を望む急進派に分かれていた。
・戦争終結してからゆっくり通せばいいのではないか,というとそれも違う。南部と妥協的に講和すればなし崩し的に奴隷制は残ってしまう可能性が高く,民主党のみならず共和党保守派も戦争が早期に終結するためなら憲法修正は必要ないと考えていた(奴隷解放をすれば南部が徹底抗戦に向かうため戦争終結が遠のく)。逆に言って,リンカーンにとっては南部に徹底抗戦してもらう必要があり,途中講和なんてもってのほかであったし,戦争中の可決でなければ意味が無かった。
・ところが戦争は北部の勝利で終結寸前であり,実際南部から和平交渉の特使が来てしまっていた。
これらには,南北戦争は実際には奴隷制が焦点というよりは,北部と南部の経済体制の違いに起因したものであったという背景知識があると理解しやすい。作中でも南部の政治家が「戦争と奴隷解放が南部の経済を破壊した」とリンカーンをなじるシーンが出てくる。ゆえに奴隷制の有無が戦争終結と直結してはいなかったのであり,勝利とは別に憲法の修正が必要だった理由もここにある。また,憲法修正第13条に先立って発表されていた奴隷解放宣言には国内における法的根拠が全くなく,諸外国に対して北部の正当性を喧伝したものに過ぎなかったため,国内の議論に対しては全くの無力であった。このことも知っていると,なおのこと憲法修正第13条の必要性が理解できよう。
これらに対してリンカーンはどうしたのか。急進派には「主張を抑えろ,今は法的平等で我慢してくれ」と説得し。保守派には「戦争終結には憲法修正が必要だ」と説得し,南部からの和平交渉特使を隠蔽。民主党には多数派工作で切り崩しを図る。次の選挙で落選濃厚な議員に対して,直接の実弾は使っていないが,落選後の職は斡旋するというグレーなやり方で。
本作のハイライトの一つは,リンカーンは南部からの特使の存在を隠蔽するための電報を打つシーンだ。彼は一度は正確な内容を打電するよう部下の技師に伝えるが,すぐに思い直して虚偽の電報を打つ。このときにリンカーンが「どんな手段を用いてでも憲法修正第13条を通す」という決意を固めたというのが明示される。ここからのリンカーンはすごい。あの手この手を尽くして最後の20票をかき集めていく。
本作は派手な戦争描写もないし歴史上有名なシーンがあるわけでもない。延々と続くのは議会での討議,リンカーン陣営が作戦会議を練っているシーンと,リンカーン本人やスタッフたちが裏工作に奔走しているシーンである。正直に言って地味だ。しかし,どの場面を見ても強い緊張感が漂い,それをリンカーンがジョークを言って和ませたり,叱咤激励してさらに引き締めたりと,硬軟織り交ぜてスタッフたちの士気を保っていく。本作の楽しむべきポイントはそうしたリンカーンのリーダーシップであって,つまるところ本作は偉大なるリーダーによる政治劇である。さすがはスピルバーグ監督というべきか,地味な政治劇がメリハリのある物語として楽しめるよう工夫を凝らしている。
一つ苦言を呈しておく。本作の世評を見るに「前提知識が無いから楽しめなかった」「アメリカ人ではないから,実感がわきづらい」というのがあるが,後者はまだしも前者は信じがたい。煽っているわけではない。実際,本作を楽しむのに必要な最低限の前提知識は
・共和党のリンカーン大統領が率いる北部が南北戦争に勝利し,その末期に憲法を修正して奴隷を法的に解放した。
というごくごく常識的なことだけである。後のことは作中でおおよそ説明される。にもかかわらずこうした世評が出てきたのは,要するに“地味な政治劇”が耐えられなかっただけではないか。もっと言えば,地味な政治劇を地味でなくするための工夫が感じ取れなかっただけではないかと思う。それはそれで正当な批評であって,合う合わないのあるところでもあるだろう。だからこそ,地味な政治劇が耐えられなかったのではなく,「自らの知識不足」に理由をすり替えるのは,あまり美しい行為とは思えない。もっと言えば,「政治劇が耐えられなかったこと」よりも「無知」の方がマシだと考える価値観は,私とは全く相容れない。
作中でおおよそ説明されるものの,これらがいかに難題であったか列挙しておく。
・憲法修正には出席議員の2/3以上の賛成が必要だが,共和党が全員賛成したとしてもまだ20票足りない。
・共和党も一枚岩ではなく,解放は参政権を含めない法的平等にとどめたい保守派と,参政権なども含めたラディカルな解放を望む急進派に分かれていた。
・戦争終結してからゆっくり通せばいいのではないか,というとそれも違う。南部と妥協的に講和すればなし崩し的に奴隷制は残ってしまう可能性が高く,民主党のみならず共和党保守派も戦争が早期に終結するためなら憲法修正は必要ないと考えていた(奴隷解放をすれば南部が徹底抗戦に向かうため戦争終結が遠のく)。逆に言って,リンカーンにとっては南部に徹底抗戦してもらう必要があり,途中講和なんてもってのほかであったし,戦争中の可決でなければ意味が無かった。
・ところが戦争は北部の勝利で終結寸前であり,実際南部から和平交渉の特使が来てしまっていた。
これらには,南北戦争は実際には奴隷制が焦点というよりは,北部と南部の経済体制の違いに起因したものであったという背景知識があると理解しやすい。作中でも南部の政治家が「戦争と奴隷解放が南部の経済を破壊した」とリンカーンをなじるシーンが出てくる。ゆえに奴隷制の有無が戦争終結と直結してはいなかったのであり,勝利とは別に憲法の修正が必要だった理由もここにある。また,憲法修正第13条に先立って発表されていた奴隷解放宣言には国内における法的根拠が全くなく,諸外国に対して北部の正当性を喧伝したものに過ぎなかったため,国内の議論に対しては全くの無力であった。このことも知っていると,なおのこと憲法修正第13条の必要性が理解できよう。
これらに対してリンカーンはどうしたのか。急進派には「主張を抑えろ,今は法的平等で我慢してくれ」と説得し。保守派には「戦争終結には憲法修正が必要だ」と説得し,南部からの和平交渉特使を隠蔽。民主党には多数派工作で切り崩しを図る。次の選挙で落選濃厚な議員に対して,直接の実弾は使っていないが,落選後の職は斡旋するというグレーなやり方で。
本作のハイライトの一つは,リンカーンは南部からの特使の存在を隠蔽するための電報を打つシーンだ。彼は一度は正確な内容を打電するよう部下の技師に伝えるが,すぐに思い直して虚偽の電報を打つ。このときにリンカーンが「どんな手段を用いてでも憲法修正第13条を通す」という決意を固めたというのが明示される。ここからのリンカーンはすごい。あの手この手を尽くして最後の20票をかき集めていく。
本作は派手な戦争描写もないし歴史上有名なシーンがあるわけでもない。延々と続くのは議会での討議,リンカーン陣営が作戦会議を練っているシーンと,リンカーン本人やスタッフたちが裏工作に奔走しているシーンである。正直に言って地味だ。しかし,どの場面を見ても強い緊張感が漂い,それをリンカーンがジョークを言って和ませたり,叱咤激励してさらに引き締めたりと,硬軟織り交ぜてスタッフたちの士気を保っていく。本作の楽しむべきポイントはそうしたリンカーンのリーダーシップであって,つまるところ本作は偉大なるリーダーによる政治劇である。さすがはスピルバーグ監督というべきか,地味な政治劇がメリハリのある物語として楽しめるよう工夫を凝らしている。
一つ苦言を呈しておく。本作の世評を見るに「前提知識が無いから楽しめなかった」「アメリカ人ではないから,実感がわきづらい」というのがあるが,後者はまだしも前者は信じがたい。煽っているわけではない。実際,本作を楽しむのに必要な最低限の前提知識は
・共和党のリンカーン大統領が率いる北部が南北戦争に勝利し,その末期に憲法を修正して奴隷を法的に解放した。
というごくごく常識的なことだけである。後のことは作中でおおよそ説明される。にもかかわらずこうした世評が出てきたのは,要するに“地味な政治劇”が耐えられなかっただけではないか。もっと言えば,地味な政治劇を地味でなくするための工夫が感じ取れなかっただけではないかと思う。それはそれで正当な批評であって,合う合わないのあるところでもあるだろう。だからこそ,地味な政治劇が耐えられなかったのではなく,「自らの知識不足」に理由をすり替えるのは,あまり美しい行為とは思えない。もっと言えば,「政治劇が耐えられなかったこと」よりも「無知」の方がマシだと考える価値観は,私とは全く相容れない。
Posted by dg_law at 12:00│Comments(0)│