2014年06月17日

今更ながら東大の推薦入試に言及

・なぜ東京大学は「推薦入試」を始めるのか(プレジデント )
2ページ目以降に推薦入試に対する批判が繰り広げられているが,全体的に論旨に賛同しかねる。

まず東大のAO入試がセンター試験で概ね8割以上の得点を要求していることに関して,「これでは、「入学試験の得点だけを意識した、視野の狭い受験勉強」にも目を向けなければならなくなる場合があるでしょう。」と書いているが,それはない。センター試験で8割とれないようだと大学の授業についていけない水準だと思う。一般的な東大受験生の目指す水準は9割である。センター8割なんていうそれほど厳しくも何ともない条件で「視野の狭い受験勉強」とか言われてしまうと,一般の東大受験生は立場がない。

次に「また、合格発表がセンター試験後の2月になるために、不合格の可能性を考えて他大学を滑り止め受験しなければならない受験生も少なくないと思われます。」とあるがこれも実際にはほとんど杞憂だと思う。センターで8割とれないようなら旧帝大クラスは全部門前払いであって,要するにハナからその資格はなかったということだ。私大ならチャンスはあるので,それこそSFCなりを受ければよいのでは,一般入試で。もしくは最初からどうしても8割取れそうにないなら東大以外の大学のAO・推薦入試に行けばよいのであって,センターで8割取れる見込みの無い天才(?)については,東大は最初から対象にしていまい。前述の理屈から言って,いかにある分野ですごい才能を発揮していても,センターで8割取れない程度の人は授業についてこれなさそうだから欲しくないというのが東大の理屈であろう。難易度が低いかわりになんでもまんべんなく出題されるのがセンター試験なので,それこそセンターで8割取れない=視野が狭い=アドミッション・ポリシーに反する,くらいに考えている可能性もある。

そして面接の公平性についても,今回の推薦入試は面接と言いつつ実際には受験生の特殊能力を観察しているものなので,そう心配するところではないと思われる。東大は「面接入試」ではなくて,字義通り「推薦入試」として運用するのではなかろうか。


まあそもそもの話をすると,私は東大が推薦入試をする意義はあまりないと思っている。学内の多様性の確保ということであればまだわかるが,これはそうではないのだろう。学内の多様性という観点で言えばむしろ留学生を増やすなり後期を維持するなりで良かったはずだが,この推薦入試は目的が異なるようだ。

ダンガンロンパのごとき「超高校生級の●●」が東大に入らなかった系の話は前からあふれてて今更する話ではない。誰しもが優秀なら東大に行かなければいけない法律もないのだから,そこは他大学と役割分担していくべきで,東大はやはりあの入試での選別に自信を持ってほしいと思う。「偏差値秀才」などと蔑視されているが,その中にも天才と言っていいような特殊な人材はいるわけで。あの入試での選別から漏れる天才まですくい取る必要はない。それこそ東大一極集中ではつまらないのだから。

大体「入学試験の得点だけを意識した、視野の狭い受験勉強のみに意を注ぐ人」なんて東大受験生にもそう多くはないし,そうではない人を選別するために,あの練られた良問を筆記試験という枠の中でがんばって作っているのが東大の先生方ではありますまいか。視野の広がる筆記試験を作っている側で,首脳部が「そもそも筆記試験自体が視野を狭めるものでしか無い」とでも言いたげな発言をするのは残念極まりなく,何か最近東大の先生方の統率取れてないんじゃないの感がひしひしと。蓮實・佐々木・小宮山と歴代の総長に比べて(特に佐々木政権は良かったと思います),濱田さんはなんかなぁ。記事中にある通り,秋入学もやるんだかやらないんだか混沌として結局やらないっぽいし。好意的に見れば学内の抵抗勢力に阻まれているかわいそうな改革者とも解釈できるが,そうも見えない。



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