2014年08月25日

非現実な冷たさ,恐怖(ヴァロットン)

ヴァロットン《ボール》三菱一号館のヴァロットン展に行ってきた。フェリックス・ヴァロットンは19世紀末から20世紀初頭に活躍した画家で,一般的にはナビ派に分類されるものの,ナビ派の主流とは似ていないところが多く,どちらかというとエコール・ド・パリの走りと言った方が正しいかもしれない。フランス語圏ではあるが,スイス出身で純粋なフランス人だったわけではない。ただし愛国心は強かったようで,第一次世界大戦の折には志願兵に応募したものの,年齢を理由に断られている(開戦時49歳,そりゃそうだ)。

ナビ派の主流とは似ていないと書いたが,むしろ全く似ていない。ヴァロットンがナビ派に分類されるのはナビ派の主流と仲が良く,その関係の展覧会にも出品していたからに過ぎず,ヴァロットンはあのようなポスト印象派と野獣派の狭間にいるような色使いや画面の抽象化は全く行っていない。むしろその点でははるかに古典的な絵画に近い。

一方,ヴァロットンは,何かに似ているというよりは,同時代の様々な要素を持っていて,考えてみるとこの時代の美術の風潮をよく示した画家なのかもしれない,と思った。肌の質感が硬質でにもかかわらずきちんとエロい,色気があるのはデルヴォーと共通した要素だし,音の全くしない空間を作り上げて冷たい雰囲気を表現するのはむしろハンマースホイに近い。そういえば,女性の後ろ姿を多用する点もハンマースホイと同じ。ただしハンマースホイはその冷たい雰囲気を内なる温かみを表現するのに活かしたのに対し,ヴァロットンはまんま冷たく,超現実的な世界を表現するのに用いた点でやはりデルヴォーに寄る。

じゃあシュルレアリスムかというと,本当に非現実な世界というわけではなくて,現実にある空間には違いないのがヴァロットンの特徴で,雰囲気は非現実的なのに,具象画なのはもちろんのこと,表面も奥行きも間違いなく現実世界なのである。ありそうで存在しない世界なのではなく,浮世離れしているのに確実に存在している場面なのだから,むしろシュルレアリスムとは逆かもしれない。このギャップがヴァロットンの魅力と言えるだろう。それがしばしば都会の無関心的な方向性で発現される辺りは,今度はホッパーにも近い。明確にポリフォーカスを取り入れているところからはセザンヌの影響があるのは疑い得ない。かなりいろいろなことが言える,論評しやすい画家だと思う。

代表作はやはり《ボール》(今回の画像)。これはフライヤーやポスターなどにも使われていたが,採用した人がうまいなと思う。画面手前でボールを追う女の子は,影がかなり歪んでいる。その奥には小さく彼女の両親と思しき男女が立っているが,女の子には全く気を配っていない。どころかこの絵は真ん中でずばっと区切られており,二つの世界に分かれているように見える。というよりも,画面の奥は隔絶されていて,女の子を突き放しているようにさえ見える。そうして女の子の側をもう一度見ると,ボールは森の方に転がっていき,女の子はそれを追って……。このように神隠しの場面として解題していくと,人によってはこの作品を「ホラー」に分類するだろう。(技術的な話をするなら,手前と奥で遠近感がずれていてポリフォーカスになっている。手前と奥で元にした写真が違うとのこと。色調もあえて女の子だけ全く別で,画面自体から浮遊しているようにみえるのが,神隠し感の正体。)

ヴァロットンの絵はこうしたものが多いので,夏にやるにはちょうどよい企画展だったと言えるかもしれない。残暑厳しいこの月末に,どうでしょうか。



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