2014年09月04日

セルジューク・トルコなんて表記もありましたな

・中国でも大人気「一休さん」の劇場版を公開、明朝の皇女がドタバタ騒動―中国(レコードチャイナ)
→ その発想はなかった。けどおもしろくていいと思う。
→ しかし,その時期というと明朝が政権交代で絶妙にめんどくさかった時期で,足利義満が朝貢許可願いの遣使のたびに皇帝が洪武帝・建文帝・永楽帝と代わっている。この一休さんだと誰が想定されているのだろう……やっぱり永楽帝かなぁ。
→ そして朝貢国に皇族の娘が来るとなると公主降嫁のイメージしかない。一休さん南朝の御落胤説をとるなら割としゃれになってない感ある(双方の歴史的に)。そういう意味ではすごいとこぶっこんできたなぁと。


・小学校時代には天才的に成績がいいけれど、そのためにかえって中学二年くらいからつらくなるパターン(Togetter)
→ これは
1.自習の習慣が身につかなかった 
2.進学校へ行き鼻をへし折られた 
3.コメント欄のfukkenさん指摘のように,学習内容の変化に対応できなかった 
が混在して,皆で「あるある」言ってるだけなのでは。どれに当てはまるかで全然かけるべき言葉が違うと思うのだけれど。「勉強ができた子あるある」の兄弟に見えて,実は全然違うというパターン。


・朝鮮女子卓球代表選手の土産を奪う日本政府の対応に呆れる(いち在日朝鮮人kinchanのかなり不定期更新日記)
→ 国連決議の制裁の範囲内では→範囲外だった→じゃあ日本政府は過剰な制裁してるってことに?→そもそも産経の誤報で土産は奪われてないというのが真相。
→ 情報が錯綜しててうかつに言及できないってレベルじゃない。メディアリテラシーとは言うけれども,怪しい情報を一々一次ソースまでさかのぼって確認しなければならないのであれば,そもそもマスメディアの存在意義がない。とは,この一件に限らず,最近よく思わされる。産経新聞に文句を言ってもしょうがないと言われればそこまでなんだけども。


・オスマン帝国の呼称問題について(Togetter)
→ 自分もこの理由で「オスマン帝国」と呼んでいる。オスマン帝国において「トルコ」を強調するのは,少なくともある時期までは完全に誤りだ。近代化においても,ミドハト憲法が失敗に終わるまではトルコ民族主義よりも汎イスラーム主義の方が強かったことは念頭に置かれるべき。
→ 支配者層の民族により恣意的に呼称するのはフラットではない話で,togetter内にある「アイユーブ・クルドとは呼ばれない」のはとても良い例。本当にその通りですわ。
→ さりとて,今から「露土戦争」「伊土戦争」も言い換えるかというと難しい。……と書いたところ,某人から「ハプスブルク君主国と正しく読んでも略すときは「墺」になっちゃう、的な割り切りで良いのかと。」と言われて納得した。
→ これも某人がつっこんでいたが,全く話題にならないセルジューク朝さんの立場は。というか,オスマン・トルコで通したい人はセルジューク・トルコについてはどう考えているのだろう。
→ 余談になるが,ビザンツ帝国は現状ビザンツ帝国で良かろう。「中世ローマ帝国」とか言われると神聖ローマ帝国は? って話になるし,東ローマ帝国がフラットなのかもしれないが,ヘラクレイオス朝以後はローマ帝国要素が薄すぎてイメージがわかず。


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この記事へのコメント
「セルジューク・トルコ」と言ってる人は当然、各地方政権もちゃんと
「ルーム・セルジューク・トルコ」
「シリア・セルジューク・トルコ」
「イラク・セルジューク・トルコ」
「ケルマーン・セルジューク・トルコ」
みたいに呼んでるんだろうなと考えるとそれだけでお腹いっぱいです、先生!

Posted by cider_kondo at 2014年09月04日 14:46
試しに「"ルーム・セルジューク・トルコ"」でぐぐってみたところ,7件しかひっかかりませんでした。「"シリア・セルジューク・トルコ"」に至っては0件でした。
(「"ルーム・セルジューク朝"」は7740件,「"シリア・セルジューク朝"」は7870件。

確かに,ルーム・セルジューク朝という言葉自体比較的新しいイメージがあります。
分裂後の地方政権は認識されていない可能性が微粒子どころじゃなく存在する……?
Posted by DG-Law at 2014年09月04日 22:15