2014年10月09日
沖ノ島出土品を中心に
出光美術館の宗像大社展に行ってきた。宗像大社は福岡県宗像市と,その沖合にある大島・沖ノ島にそれぞれ社殿を持つ,3つの社殿からなる神社である。その歴史は極めて古く,5世紀頃から祭祀が行われていた記録がある。それから飛鳥時代に入って日本神話に組み込まれ,律令国家の国家祭祀の色彩が濃くなっていく。遣唐使の終焉と同じタイミングで国家祭祀も行われなくなり,今度は地元の有力氏族・封建領主としての宗像大社の存在が大きくなっていく。最終的に戦国時代末に宗像一族の宗家が断絶し,独立勢力としての宗像氏は消滅する。このような歴史をたどりつつ,沖ノ島からの出土品や所蔵品が展示されている。
最初は沖ノ島出土品から。「海の正倉院」の異名を持つだけあって,シルクロード伝来の品々が多い。ササン朝伝来のカットガラスや,数多の銅鏡,北魏由来の金細工,唐三彩の陶片等が目立った。陶片が多かったが,全体として年代が正倉院よりも古いだけに,完全体で残っていればとんでもなく貴重品だったに違いない。実にもったいない。また,5世紀と異常に古い年代であるにもかかわらず,国家祭祀終了後は長らく禁足地だっただけあって,保存状態は悪いものの貴重な出土品が多い。非常に素朴な滑石や翡翠の呪術的な道具に,機織りや紡錘器を模した祭祀用の道具もあった。少し時代の下った出土品としては,9世紀初頭鋳造の皇朝十二銭の一種も出土されている。これはこれで,律令国家の支配がここまできちんと行き届いていた証拠であり,おもしろい。歴史の折り重なった島と言えよう。ところで,この発掘調査には出光が大きくかかわっている。だからこそ,出光美術館での宗像大社展となった,ようだ。1971年に学術調査が終わってから,まだこの沖ノ島の出土品をこれだけ展示した展覧会は二度しか開かれていないという。
とはいえ出土品の保存状態が悪いため,「ちゃんと残ってたらどういう感じだったか」ということで,伊勢神宮の所蔵品が特別出品されていた。こちらはこちらで制作年代が昭和(戦後)であるため,めちゃくちゃ新しい。保存状態が良いというよりも新品並である。歴史と伝統の継承の具体例ではあって,それらが封印されてきた沖ノ島出土品との好対照であった。これは良い特別出品だったと思う。
あとは中世以降の宗像大社の歴史。宮司の宗像一族が土着の豪族化していった様子がうかがえる史料が多い。宗像大社は社殿の建て替え費用を玄界灘で難破した船の漂着品で賄っていたという伝統があったそうで,この伝統が鎌倉幕府の式目による秩序と衝突してあれこれ裁判になっていたのが非常におもしろかった。書状や下知状・宣旨が飛び交っている。鎌倉幕府が武家社会の司法をつかさどって揉め事を調停し,全国に支配を広げていた当時の社会の様子が垣間見える形である。鎌倉時代の宗像一族は,自らを権威づけるために縁起を書いてたりするが,これが地元の昔話と日本神話と神仏習合が混在していてすごいストーリーだった。日本にせよ西欧にせよ,封建領主としての宗教勢力は現代人としてイメージしづらいところがあるが,そういう意味でもこれは良い展覧会である。
今回の画像は沖ノ島出土品の中で例外的に保存状態が完璧だったもので,新羅製とされる黄金の指輪である。
最初は沖ノ島出土品から。「海の正倉院」の異名を持つだけあって,シルクロード伝来の品々が多い。ササン朝伝来のカットガラスや,数多の銅鏡,北魏由来の金細工,唐三彩の陶片等が目立った。陶片が多かったが,全体として年代が正倉院よりも古いだけに,完全体で残っていればとんでもなく貴重品だったに違いない。実にもったいない。また,5世紀と異常に古い年代であるにもかかわらず,国家祭祀終了後は長らく禁足地だっただけあって,保存状態は悪いものの貴重な出土品が多い。非常に素朴な滑石や翡翠の呪術的な道具に,機織りや紡錘器を模した祭祀用の道具もあった。少し時代の下った出土品としては,9世紀初頭鋳造の皇朝十二銭の一種も出土されている。これはこれで,律令国家の支配がここまできちんと行き届いていた証拠であり,おもしろい。歴史の折り重なった島と言えよう。ところで,この発掘調査には出光が大きくかかわっている。だからこそ,出光美術館での宗像大社展となった,ようだ。1971年に学術調査が終わってから,まだこの沖ノ島の出土品をこれだけ展示した展覧会は二度しか開かれていないという。
とはいえ出土品の保存状態が悪いため,「ちゃんと残ってたらどういう感じだったか」ということで,伊勢神宮の所蔵品が特別出品されていた。こちらはこちらで制作年代が昭和(戦後)であるため,めちゃくちゃ新しい。保存状態が良いというよりも新品並である。歴史と伝統の継承の具体例ではあって,それらが封印されてきた沖ノ島出土品との好対照であった。これは良い特別出品だったと思う。
あとは中世以降の宗像大社の歴史。宮司の宗像一族が土着の豪族化していった様子がうかがえる史料が多い。宗像大社は社殿の建て替え費用を玄界灘で難破した船の漂着品で賄っていたという伝統があったそうで,この伝統が鎌倉幕府の式目による秩序と衝突してあれこれ裁判になっていたのが非常におもしろかった。書状や下知状・宣旨が飛び交っている。鎌倉幕府が武家社会の司法をつかさどって揉め事を調停し,全国に支配を広げていた当時の社会の様子が垣間見える形である。鎌倉時代の宗像一族は,自らを権威づけるために縁起を書いてたりするが,これが地元の昔話と日本神話と神仏習合が混在していてすごいストーリーだった。日本にせよ西欧にせよ,封建領主としての宗教勢力は現代人としてイメージしづらいところがあるが,そういう意味でもこれは良い展覧会である。
今回の画像は沖ノ島出土品の中で例外的に保存状態が完璧だったもので,新羅製とされる黄金の指輪である。
Posted by dg_law at 02:59│Comments(0)│