2014年10月16日

切って貼る,割って継ぐ

大井戸茶碗銘十文字根津美術館の「名画を切り,名器を継ぐ」展に行ってきた。特殊な展覧会である。要するに完成直後の形で残っていない作品の展覧会で,なんらかの事情で手が入っているが,その「後からの手」にまた美を見いだすのが目的になる。

今回の展覧会の二大テーマのうち,一つは紙幅の切り貼りである。室町時代以降,特に茶室の床の間に飾る上で,それまでの巻物では鑑賞が難しいという事情が生まれ,巻物を掛け軸に仕立て直すということが頻繁に行われた。結果として,巻物であればどれだけ長くても問題ないが,掛け軸となると大きさが制限されるため,仕立て直す上で分割されたり,不要とされた部分が切り落とされたりした。特に「被害」が大きかったのは和歌集で,なぜなら分割されても単独で鑑賞に堪えやすかったからだそうだ。確かに和歌“集”ではなくなって,一首の和歌になるだけではある。

その他,墨蹟だろうと水墨画だろうと掛け軸に合うようにばっさりカットされたものが展示されていた。伊勢物語や源氏物語も,一場面ごとのインパクトが強いために切り離しやすかったようだ。鳥獣戯画や地獄草紙の断簡もあった。当時の茶人のやりたい放題っぷりがよくわかるが,それだけ自分たちの美意識と使命感に強い自負心と自信があったのであろう。別の理由としては,高額すぎて値がつかなかったから分割したというものや,破損してなくなくというもの,屏風から襖絵に,もしくはその逆に張り替えたもの等があった。かなりの特殊事例としては屏風→襖→屏風という張り替えを経たものもあった。西洋の壁画とカンヴァスでは無理な作業である。

一方,もう一つのテーマ,陶磁器の方は,美意識の発露というよりは割れてしまってやむにやまれず,という方が多い。言うまでもなく金継ぎの技法大活躍である。日本にどれだけいるのかしらないが,金継ぎマニア垂涎の展覧会であった。その目玉というと,やはり「大井戸茶碗 銘 須弥(別銘 十文字)」であろう(今回の画像)。「銘十文字」の通り,大井戸茶碗が綺麗に十文字に割れており,それを漆と金継ぎで補修した形になっている。『へうげもの』のようないきさつではなかっただろうが,織部本人がぶち割ってああなったのは確かなようだ。そうそう,このテーマであるにもかかわらず,前半の墨蹟ゾーンに「流れ圜悟」の展示は無かった。漫画の進み具合的にもタイムリーなのに,惜しい。とはいえ,『へうげもの』ファンならこの十文字だけでも見に来る価値がある。

その他では,「志野茶碗 銘 もも」は志野茶碗の質素さに主張しすぎない金継ぎが合わさった名作だと思う。あとは根津嘉一郎本人がちょっとだけ割ろうとして完全崩壊し,金継ぎで再生させたとかいうお茶目な逸話が伝わる壺もあって,おもしろかった。最後に,金継ぎの類例として鉄の鎹を用いたものがあるが,その代表的な作例である作品「馬蝗絆」は展示期間が10/1までだったために(短すぎる!)見られなかった。また,三大肩衝「初花」は逆に後期展示であり,こちらも見逃してしまった。もっとも,二つとも別の展覧会で見たことがあるので,そこまで残念では無いが。もっとも,崩壊した茶入れを漆で再生したものなら,「初花」なんてほとんど壊れてないものじゃなくて,「九十九茄子」を持ってきた方がふさわしいのではないか。


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