2014年10月22日

最近気前のいいウフィッツィ

ボッティチェリ《パラスとケンタウロス》都美のウフィッツィ美術館展に行ってきた。行くかどうか若干迷っていたのだが,ある都合により時間が空いてしまったので埋めるために行ったが,思っていたよりもおもしろかった。休日にしては案外空いていたのだが,東博の国宝展に人が吸い取られているからか。

初期から盛期のイタリア=ルネサンスの中心地を誇っているフィレンツェなだけあって,今回の展示は美術史を追う王道な形で展示されている。まだ国際ゴシックの影響が残っている段階から,マニエリスムまで。時代が進むにつれ,技術レベルが次第に向上していき,と同時にコチコチに硬い筆致だったものが,次第に柔らかで甘美なものに,ゆっくりとしかし着実に変わっていく。またそれだけに,サヴォナローラ期の揺り戻しもきちんと目立つ配置になっている。近年ルネサンス期の展覧会も増えているが,これだけサヴォナローラ期をくっきりと反映した展覧会は初めてではなかろうか。その代表格はボッティチェリで,この展覧会で彼の評価は上がったのか下がったのか,気になるところ。ボッティチェリがあれだけ復古主義になったというのは,知らない人には衝撃では。

作品のキャプションは充実していたものの,画家の解説が中心で,作品ごとの解説はあまり無かったような気がする。そのせいか,美術館名物,マックの女子高生ならぬ老夫婦の会話では,「砂漠にライオンはいない。この絵はおかしい。大体,背景に緑が見えているからここは砂漠ではない」と奥様に力説するご老人の姿が見られた。もちろんまっとうに解説すれば,真ん中の老人は聖ヒエロニムスという男で,ライオンが持物なのでそれを従えている。ついでに言えば聖書をラテン語訳した事績から,ほぼ必ず聖書を持っており,この絵でも岩壁に聖書が飾られている。エジプトの砂漠で修行した経験から,一応彼の居住地は砂漠ということになっているし,エジプトの砂漠だから緑が近くてもおかしくない。というよりも,ある種の異時同図法ではあって,背景に写っているのはおそらくフィレンツェの風景で,聖者を身近に感じさせる効果が当時にはあったんだよ,と。やっぱり一般的に言ってこういう宗教画って日本人にはわかりづらく,解説の余地が大きい。そりゃ世の中で「簡単にわかる! 西洋美術」的な本が山のように売られているよなぁと。

個々の画家・作品では,初期ルネサンスならフィリッポリッピ,盛期ルネサンスだとフィリッピーノ・リッピとギルランダイオ,ペルジーノ,ボッティチェリが多く,目玉はやはり《パラスとケンタウロス》。パラス・アテネと聞くとモビルスーツの方が先に出てくる程度にはガンダム脳な私だが,本作は《春》と《ヴィーナスの誕生》に次ぐ名作であると思う。アテネが実に優美である。マニエリスムではアンドレア・デル・サルト,ブロンズィーノ,ヴァザーリという感じ。マニエリスムゾーンではブロンズィーノによる歴代メディチ家当主&教皇の肖像があり,教科書などで見たことあるものの実物が見られる。ロレンツォ・イル・マニーフィコ,レオ10世,クレメンス7世,コジモ1世とそうそうたる面子。最近よく来るボッティチェリよりも,この展覧会においてはむしろブロンズィーノのほうが貴重度が高いかも。


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