2014年12月02日

ドイツ・フランス・ベルギー旅行記(後編:パリ・ブリュッセル・ケルン)

中編から。

パリ(続き)
ルーヴルとオルセー以外に行ったのは,まずサン・シュルピス教会。どこだよそこという方のためにWikipediaにリンクを張ったが,おそらく『ダ・ヴィンチ・コード』の冒頭に出てきた教会と言った方が有名であろう。

パリ5


あの作品では,この子午線の下に隠し通路があって,それを床を叩いて調べていくというシーンがある。ので,それを再現するのが聖地巡礼の醍醐味であろう。私もやってきた。なお,この子午線がロンドン・グリニッジと世界標準を争ったというのは『ダ・ヴィンチ・コード』の創作だそうで。


次に,今回の旅程にパリを入れた大きな要因であるところの『乙女理論とその周辺』の聖地巡礼。これも先駆者の記事を張っておく。大変役に立ちました(よくよく日付を見たら一ヶ月差,しかもこの方も『ごちうさ』目的でストラスブールに行っておられる!)。で,今見て不覚にも校舎を撮り忘れたことに気づいたが,完全にアフターカーニバルなので忘れよう。それ以外は大体撮れたと思う。『WA2』と違ってまんまな光景がなく,合成元探しが割と楽しかった。

パリ6 パリ7 パリ8


朝日が駿河によく会う交差点は,おそらくこの3つくらいの合成。本当はあるべきマンションが一つなくなっている&街路樹も一本なくなっている,その分鋭角だったカーブが鈍角になっていて,歩道が現実よりも広く取られている,という改変がある。

パリ9


ルナ様と再会した公園。作中では明言されていないが,椅子の形といい柵の形といい,ついでに言うと位置も踏まえると,先駆者様の言う通り,まず間違いなくこのリュクサンブール公園だろう。ここも木が何本かなくなっているほか,彫像は別所にあったものを持ってきたのだと思われるが,まんまぴたりの彫像が見当たらず。次に誰か行く人,是非見つけてきてください(他力本願)。惜しむらくは11月なんぞに行ったためにアーモンドの木が咲いてなかった(というかどれがアーモンドなのかすらわからなかった)こと。これは校舎の撮りそこねと合わせてパリ再訪ですかね……いや現実的に言って春先にパリに行くのは今の仕事を辞めないと無理だなぁ。

あとまあ,メゾン・ド・パピヨン(りそなたちの下宿先)と下宿付近の路地は,モンパルナスないしダンフォール・ロシュロー周辺と山を張ってちょっと探してみたけど,普通にわからなかった。作中の情報に反して,モンマルトルの方にあるのかもしれない。ブランケット家別荘(大蔵家三人がしばしば会っていた場所)は,作中の情報を信じるならソルフェリーノ駅からカルチェ・ラタンの一帯のどこかだと思われ,こちらもそれとなく探しながら歩いてみたが,それっぽい風景が多すぎて絞れず。これらは後続に期待ということで。

最後にノートルダム・ド・パリ。ここは約10年前に行った時にルーヴル同様訪れているが,その際に入り口の「各国のwelcome」の日本語が「よこそう」になっていたのが記憶にこびりついており,これが直っているかどうか大変気になっていたのだが

DSC_0086


直した跡が残っているものの,直っていた。さすがにこの10年の間に誰かが指摘したか。

そうしていよいよパリを離れる段になり,パリ北駅に行くと重大事件が待ち構えていた。思わず実況してしまったので,補足しつつ。




実際のところストライキに入るのは11/25からのことで,この日は関係なかったのだが,電光掲示板に「11/25からストライキに入るから,よろしく」とか書いてあるわ,実際に時間になっても出発する気配が無いわで,そりゃもう疑心暗鬼。ところが,万国共通の「keep out」と書かれたビニールの帯が列車に張られた辺りから,雲行きが怪しくなる。








というわけで,不審物発見が真相。ミスターフランシスコ・ロッシを呼び出す駅員の声がどんどん苛立っていくのと,駅員→鉄道警備隊→フランス陸軍(というかNATO軍)→爆弾処理班と警備勢がランクアップしていったのが印象的であった。いや,我々としても気が気でなく,必死に場内アナウンスの英語を拾っていたのだけれど。結局30分遅れ程度で出発できたのだが,下手をするとここで完全に足止めということになり,帰国できなくなっていたところであった。しかし,今考えると30分程度でNATO軍やら爆弾処理班やらが出てくるフランスの国防体制は一体なんなのという話で,それだけ即時展開できるほど常時準備がなされているとすると,フランス物騒すぎる。治安が悪いとかそういうレベルの話ではない。無事……とは言いがたいものの,なんとかThalys(ベルギー国鉄の国際列車)に乗り込んで,一路ブリュッセルへ。あ,Thalysのサービスは最高に良かったことを付記しておこう。……フランシスコ・ロッシ,貴様だけは絶対に許さない。絶対にだ。


ブリュッセル
夜に到着したということもあり,着いた瞬間わかるパリよりはマシ程度の治安情勢にげんなりしつつ,ホテルへ。で,ホテルをよくわからないまま南駅付近に取った結果,これがまたブリュッセルでも随一のガラが悪い地域で,泊まったホテルは明かりを付けた瞬間焦げ臭い匂いがするという極限空間であった。そういうわけで,ブリュッセルの印象もパリに次いで悪い。それでも「治安に怯えてても何もできない。せめてワッフルは食おう」という話になり,グラン・プラスと小便小僧だけ見て,ワッフルを食ってさっさとホテルに帰還した。ワッフルは大変美味かったし,小便小僧は噂に違わぬがっかり具合なので,一見の価値はある。


ケルン
最終日,ブリュッセルからケルンへ。で,降り立った瞬間わかる治安の良さ。なんすかねこの空気の違い。フランクフルトはダメだったし,ラテン系とゲルマン系の違いというわけでもなく。ケルンでの狙いは2つで,1つはもちろん大聖堂。その大聖堂の写真を貼ってもいいのだけれど,あえてこちらを貼っておこう。

ケルン


そもそもケルン大聖堂は東方三博士の遺体を収めるべく作られた聖堂である。その遺体を収めた聖遺物収容器がこれ。隣接博物館に行かないと見れない。こちらの博物館,聖遺物マニア垂涎のコレクションとなっており,そんなの日本に何人いるんだというツッコミはさておき,大変にお勧めである。

ケルンもう一つの目的はライニッシャーザワーブラーテン(Rheinischer Sauerbraten)。ケルン名物で,「牛肉のワインと酢の煮込み」ということしか情報が無いままケルンに到着。インフォメーションセンターにて超拙いドイツ語と日本語訛りな英語を駆使して何とか「その料理ならBrauhaus Fruehが一番有名」という話を聞き出して移動。実は電車の時間が危なく急ぎに急いでいたので料理の写真を撮ってないのだが,このライニッシャーザワーブラーテンはこの旅で一番うまかった。ケルンに行ったら絶対に食べるべき。画像が無いのが悔しいので探してみたら,ミシュランのHPにあるじゃないですか画像。上に乗っかっているりんごがまたよく合うし,よこにある巨大クヌーデルも,煮汁を吸って良い味に。ものの15分ほどで食べたのがもったいなかった。

ケルンからフランクフルト空港へ直行。中央駅より先に空港駅に着く電車があり,これはありがたかった。フランクフルト空港でお土産を買ってしっかりユーロを使い果たしてから,飛行機へ。帰りもやはりインチョン経由で成田へ。

次回,旅行の項目別レポート編に続く。

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この記事へのコメント
フランスの治安当局の手際の良さが気になったので、ちょっと調べてみました。

反イスラム寄りの立場を取るせいか、ちょいちょいテロがあるようですね。
つ http://www.moj.go.jp/psia/ITH/area/europe/france.html
つ http://www2.anzen.mofa.go.jp/info/pcterror.asp?id=170
Posted by とーます at 2014年12月02日 09:57
ありがとうございます。
ですよねー,という感じですね。
いくらなんでも手際が良すぎたので。電車を狙った爆弾テロには相当過敏になっているのでしょう。
Posted by DG-Law at 2014年12月02日 21:31
そして、この警備態勢でも大規模テロは防ぎきれないという。大統領暗殺はスタジアム外で阻止したので、効果はあったようですが。陸続きの多民族国家は大変。
Posted by aruzya at 2015年11月19日 00:49
本当にそうで。ジャスト1年前にパリにいてこの目に遭っているので,今回の大規模テロは私的には本当に怖いです。
テロが起きたのは主にパリ10区と11区ですが,パリ北駅があるのはパリ10区なんですよね……
Posted by DG-Law at 2015年11月19日 08:39