2015年04月29日
この春に西美に入ったフェルメール帰属の作品について
この春の上野の西美の新収蔵品に,フェルメールに帰属するという説のある作品があり,美術ファンの間でちょっとだけ話題になった。直接見に行ったら,現地ではかなり詳細な説明が配布されていた。これを読むと作者の同定論争がかなり興味深かったので,はしょって紹介しておく。
フェルメールの真作は最小数でおおよそ35点(本当に疑い深い人なら33点)となっており,そこから41点までは幅がある。本作は疑わしい方の6点の一つだ。疑わしいなら公的な美術館で買うなよ,と思うかもしれないが,それは勘違いである。本作は西美の購入品ではない(よく見ると「新規展示作品」としか書いていない)。本来は個人蔵であるところ,研究者及び美術ファンに検証の機会を提供するため,寄託されたものだ。所有者には感謝の意を捧げたい。
ぱっと見で本作がフェルメールらしくない最大の理由は,これが宗教画だという点だ。タイトルにもなっている「聖プラクセディス」はキリスト教の聖人の一人だ。美術ファンの多くの人が知っている通り,フェルメールといえば風俗画の人であり,真作35点のほとんどが風俗画になる。しかし,一応宗教画がないわけではない。最初期の駆け出しの頃には《マルタとマリアの家のキリスト》のような作品も描かれた。本作も若い頃の作品と考えれば否定する材料にはならない。しかも本作はフェリーチェ・フィケレッリなるイタリア人画家が1640年頃に描いた全く同じ主題・構図の作品があり,本作はフィケレッリの作品の模写と考えると,なおのこと画業の最初期の作品としては納得が行く。
その上で,フェルメールの真作か否かの論拠(というよりも論点)を並べておく。
[積極的に真作と認める方向の主張]
・画面左下に「Meer 1655」と書かれた署名がある。MeerはVermeerまたはフェルメールの本名Van der Meerの省略,1655年と読める。1655年制作するとフェルメール23歳となり,まさに駆け出しの頃に合致する。後世足された署名ではないか,という疑念も呈されていたが,科学調査の結果,「書きなおされたものではない」と証明された。
・画面右下に「Meer N R[…]o[…]o」と書かれたと思しき文字があり,これを“Meer Naar Riposo”と読むなら,「Riposo(フィケレッリのあだ名)にならったMeer」という意味になり,模写であることが示される。
・科学調査の結果,本作はふんだんにラピスラズリが使用されており,単純な模写・習作としては異例に高価である。こんなもったいないラピスラズリの使い方をするのは,長く広い西洋美術史といえどフェルメールくらいしかいない。
・これまた科学調査の結果,顔料の一つ鉛白が当時のオランダ・フランドルに特有のものであり,少なくとも1655年頃の低地地方で描かれた可能性は高い。
[真作認定には否定的な方向の主張]
・画面左下「Meer 1655」は,“Meer”という名前が部分的につくオランダ人は多いので,Vermeerとするのは強引な解釈である。同時代のMeerの名の付いた画家の作品という可能性が高い。たとえば,同姓同名のファン・デル・メールという画家もいる。
・Meerの筆跡が,真作のVermeer作品のものとはあまり似てない。
・画面右下「Meer N R[…]o[…]o」に至っては,文字としての判読性が低く,そもそも文字ではないと思われる。
→ これについては実物を見た私の意見としても同意で,とてもじゃないが文字としては読めないものだった。
・これが最大の致命傷だが,おそらくVermeerは人生でフィケレッリの作品を見たことがない。フェルメールはイタリアに旅行した形跡がないし,フィケレッリの作品が当時のオランダに存在したという記録もない。よって模写できる機会はなかったと推測できる。前述の同姓同名のファン・デル・メールはイタリア留学経験あり。
・根本的にフェルメール作品にしては筆致が荒くないか?
→ これについては「修行期なので……」と言えばそれまでなのでは。少なくとも疑わしい6点の中で言えば,本作の筆致は整っている部類で,真作のフェルメールに近い。少なくとも《赤い帽子の女》よりはフェルメールに近く見える。
で,実物を10分ほど眺めてみた私自身の感想としては,真作とはあまり思えないなと。皆さんはどうでしょうか。ぜひ実物を見て考えてみてください。
フェルメールの真作は最小数でおおよそ35点(本当に疑い深い人なら33点)となっており,そこから41点までは幅がある。本作は疑わしい方の6点の一つだ。疑わしいなら公的な美術館で買うなよ,と思うかもしれないが,それは勘違いである。本作は西美の購入品ではない(よく見ると「新規展示作品」としか書いていない)。本来は個人蔵であるところ,研究者及び美術ファンに検証の機会を提供するため,寄託されたものだ。所有者には感謝の意を捧げたい。
ぱっと見で本作がフェルメールらしくない最大の理由は,これが宗教画だという点だ。タイトルにもなっている「聖プラクセディス」はキリスト教の聖人の一人だ。美術ファンの多くの人が知っている通り,フェルメールといえば風俗画の人であり,真作35点のほとんどが風俗画になる。しかし,一応宗教画がないわけではない。最初期の駆け出しの頃には《マルタとマリアの家のキリスト》のような作品も描かれた。本作も若い頃の作品と考えれば否定する材料にはならない。しかも本作はフェリーチェ・フィケレッリなるイタリア人画家が1640年頃に描いた全く同じ主題・構図の作品があり,本作はフィケレッリの作品の模写と考えると,なおのこと画業の最初期の作品としては納得が行く。
その上で,フェルメールの真作か否かの論拠(というよりも論点)を並べておく。
[積極的に真作と認める方向の主張]
・画面左下に「Meer 1655」と書かれた署名がある。MeerはVermeerまたはフェルメールの本名Van der Meerの省略,1655年と読める。1655年制作するとフェルメール23歳となり,まさに駆け出しの頃に合致する。後世足された署名ではないか,という疑念も呈されていたが,科学調査の結果,「書きなおされたものではない」と証明された。
・画面右下に「Meer N R[…]o[…]o」と書かれたと思しき文字があり,これを“Meer Naar Riposo”と読むなら,「Riposo(フィケレッリのあだ名)にならったMeer」という意味になり,模写であることが示される。
・科学調査の結果,本作はふんだんにラピスラズリが使用されており,単純な模写・習作としては異例に高価である。こんな
・これまた科学調査の結果,顔料の一つ鉛白が当時のオランダ・フランドルに特有のものであり,少なくとも1655年頃の低地地方で描かれた可能性は高い。
[真作認定には否定的な方向の主張]
・画面左下「Meer 1655」は,“Meer”という名前が部分的につくオランダ人は多いので,Vermeerとするのは強引な解釈である。同時代のMeerの名の付いた画家の作品という可能性が高い。たとえば,同姓同名のファン・デル・メールという画家もいる。
・Meerの筆跡が,真作のVermeer作品のものとはあまり似てない。
・画面右下「Meer N R[…]o[…]o」に至っては,文字としての判読性が低く,そもそも文字ではないと思われる。
→ これについては実物を見た私の意見としても同意で,とてもじゃないが文字としては読めないものだった。
・これが最大の致命傷だが,おそらくVermeerは人生でフィケレッリの作品を見たことがない。フェルメールはイタリアに旅行した形跡がないし,フィケレッリの作品が当時のオランダに存在したという記録もない。よって模写できる機会はなかったと推測できる。前述の同姓同名のファン・デル・メールはイタリア留学経験あり。
・根本的にフェルメール作品にしては筆致が荒くないか?
→ これについては「修行期なので……」と言えばそれまでなのでは。少なくとも疑わしい6点の中で言えば,本作の筆致は整っている部類で,真作のフェルメールに近い。少なくとも《赤い帽子の女》よりはフェルメールに近く見える。
で,実物を10分ほど眺めてみた私自身の感想としては,真作とはあまり思えないなと。皆さんはどうでしょうか。ぜひ実物を見て考えてみてください。
Posted by dg_law at 01:41│Comments(0)│