2015年06月18日

蝿と蝸牛と言われると不思議と納得する

・「浦賀船渠ノ航跡」の中止の理由について。“イベントを潰す方向に向いた経緯がここまで詳らかにされたケースは少ないと思います」”(Togetter)
・「浦賀船渠ノ航跡 中止問題」 中間レポート: 開催中止に至る経緯(ktgohan blog)
→ これ,中止になった当時はそこまで興味がなかったのだけれど,こうして内情を知ると記憶しておくべき事件だったんだなとわかる。執念で暴いたktgohan氏には敬意を表したい。
→ Togetterで指摘されている通りだが,やる気はあるけど物事を運営するには善人すぎる人に,金銭にいい加減で名誉だけ欲しい人が加わるとろくでもないことになる。前者も後者も自らの能力や性格に自覚がない人が多いのも,こういうトラブルが起きがちな背景であろう。裁判中であるなら,きっちり決着がついてほしいと思いつつ,続報待ち。


・川の名前を調べる地図
→ この間の地形図とあわせて活用したい。
→ 行政上名前がついてないと不便だから当然ではあるのだが,こんな小さい川にまで名前がついてるんだなという感覚と,さすがに小さい川の名前は適当になっているというおもしろさが同居する。
→ 地元の話をすると,豊川が意外と水路が入り組んでて,さすがは昔の暴れ川。そりゃ放水路も入りますわ。
→ どの川でもそうだけど,上流までさかのぼっていくとどんどん細くなっていって,ドブ川と化したり地下に入り込んだりするのがおもしろい。いろんな川が合流して水量が増していくんだよなぁ。この水脈がこの川につながってたのか,という新しい発見もある。


・徳川家康が60ぐらいで亡くなったとしたら・・・(歴史的速報@2ch )
→ これは割りと妄想しがいのあるネタ。1602年とすると,けっこう絶妙なタイミングかも。確かに秀忠の権力が固まっておらず,家康が将軍になっていない以上秀忠が将軍になれるという保証もなく,とはいえ関ヶ原は終わっているという。徳川家の権力掌握の完成を大阪の陣と外様大名の改易に求めるとするなら,そのタイミングで家康が死ねばまだまだ争乱が続くということになり,実際その通りだろう。
→ 一方,関ヶ原が終わっていて戦後処理も進み,諸大名の中で突出した軍事力と経済力を有したという点で徳川の優位性は揺るぎなく,致命的なお家騒動になるとも考えづらい。スレ内で結城秀康が担ぎあげられる説が出ているが,彼にそこまでの野心があったか。家臣団の派閥争いはあるにせよ,徳川本体が劣勢になる状況下で割れるかとまで言われると疑問で,秀忠がそこまで凡愚だったとも思わないし,最終的な帰結はあまり変わらないかもしれない。影響があるとすれば,鎖国の開始が遅れていたか,そもそも無かったかという可能性は考えられる。そこまで話をつなげるなら歴史に大きな影響を及ぼすが,本題から外れるのでやめておこう。
→ あー,忠輝に乗っかって爆発炎上,歴史の徒花として消えていく一派とかは出てきそう。伊達政宗は途中まで忠輝にベットした挙句,やっぱこいつダメだわとなって降りて,無駄に歴史の徒花増やしそう。もっとも,姻戚関係にならない未来もありうるが。


ヨーロッパ中世の写本における「騎士対蝸牛」図像の謎(Togetter)
→ いかに中世といえども, 普通の美術作品だとほとんど出てこない図像だと思う。写本だと多いのかもしれない。同様にこういう謎の発想力ってルネサンス以降の絵画でもあまり見なくて,そういう意味でも別の文脈だなぁと。
→ やっぱり,罪人の象徴なんだろうと思う。さすがに何の象徴体系もなく,突拍子もなくこんなのは描かれないので。当然素で描いてて,カタツムリが竜や獅子と並ぶ強敵であり,騎士と巨大カタツムリと戦わせて違和感ないあたり,中世ヨーロッパの世界観は古今東西どこの文明圏ともちょっと違う。

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