2015年06月24日

やっぱり《光の帝国》が良い

マグリット《光の帝国供 国立新美術館のマグリット展に行ってきた。当初はかなり混んでいたようだが,さすがに会期末も近づいてきて,自分が行ったときにはそれなりに空いていた。「本格的な回顧展」と銘打っているだけあって,超有名作は来ていないにせよ,マグリットの画業を十分に追うことができるだけの質・量を兼ね備えた展覧会で,上半期では最も意義深い展覧会だったと言ってよいと思う。

マグリットの興味・関心は,一貫して言葉―イメージ―事物の関係性にあった。ゆえに代表作はやはり《これはパイプではない(イメージの反逆)》にほかならないのである。しかし,そこに辿り着くまでには,当然だが彼なりの葛藤がある。これがなかなかにおもしろいというか,存外にステレオタイプな当時の画家の道を歩いている。1898年生まれの彼の幼少期は,ちょうど「今はこれが主流」と言える時代が終わった頃で,そこには印象派もいればフォービスムもいて,キュビスムもいたし,ダダイスムも始まった頃だ。だからマグリットの画業もそこらから始まっている。言葉は横においておくとしても,イメージと事物の関係性に関心があればキュビスムに向かうのは理解できるところで,1925年頃までの画業は駆け出しということを考慮しないならば,上手いキュビスムの作家,という印象でしかない(上手いと思えるあたりに後の片鱗が見える)。

そして,1924年にアンドレ・ブルトンが有名なシュルレアリスム宣言を発表すると,1926年にはマグリット自身がベルギーからパリに移住し,1929年にはダリの別荘を訪れて影響を受け,マグリットも次第にシュルレアリスムに傾倒していく。シュルレアリスム絵画としてはすでにジョルジュ・デ・キリコとマックス・エルンストが先行しており,キリコの作品はマグリットも見ていて影響を受けていたらしい。とすると,マグリットの完全な同世代にデルヴォーがいるはずだが,ここで言及がなかったということは深い交流はなかったということか。これは後で調べておきたい。そうして本格的なシュルレアリスム絵画の制作にとりかかっていった。代表作の一つ,《恋人たち》が1928年である。1930年には大恐慌の影響とブルトンとの仲違いからベルギーに戻っている。

マグリットの最大の特徴であるデペイズマン(意外なものの組み合わせ)を積極的に取り入れ始めたのもこの時期であるが,これは当初の目標(言葉―イメージ―事物)から考えれば自然な着想であろう。イメージ(絵画)の上では十分ありうるが,事物(現実)では決してありえない。しかし,1926〜40年頃のデペイズマンは,ややわざとらしいというか,ごちゃごちゃとしていてあかぬけていない感じがする。戦時中はベルギーがナチス・ドイツに占領されたが,その反発から明るい画風に変わり,さらに戦後には表現主義的な抽象表現を取り入れた。しかし,これらはいずれも受けが悪く,1950年頃から元の画風によるシュルレアリスムに戻っていった。

この晩年の作品はいろいろと実験的な作風変更を経たからか,それとも単純に円熟味が増したからか,すっきりとした画面構成となっている。キャプションでは「画面全体の統一感がある」というようなことが書いてあったが,なるほどと。代表作《光の帝国》(今回の画像)や,《ゴルコンダ》,《これはパイプではない(イメージの反逆)》のどちらもこの時期である。なお,《光の帝国》のうち今回出品されていたのはIIで,本当に有名なのはIの方。《光の帝国》自体は全部で22パターンあるそうだ。画像を見ていると難しく考えそうになるが,マグリットの場合はそうではない。「地面は夜なのに空は昼。現実ではありえないが,絵画ではありうる」「同じような人間が宙に浮いている。絵画ではありうるが,現実ではありえない」「これは本物のパイプではない……ってバカにしてんのか」ということ,それ自体がマグリットの狙いだからだ(無論,《ゴルコンダ》からはそれに付随して現代人の浮遊する自意識・苦悩を読み取ることもできるし,それもまた狙いではあろう)。その意味で,楽しんで見やすい展覧会ではあるだろう。それを提示し,日本のシュルレアリスム理解に貢献しただけでも,良い展覧会だったのではないか。


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