2015年06月25日

琳派らしさをあまり感じない琳派の一人

尾形乾山「銹絵山水文四方火入」サントリー美術館の尾形乾山展に行ってきた。「乾山見参!」というダジャレが上手いこと決まった展覧会だが,尾形乾山の作品を一気に見るという良い機会であった。考えてみると,尾形光琳から切り離して,完全に乾山だけを見るという機会は無かったように思う。

尾形乾山は言うまでもなく尾形光琳の弟で,京の北西,仁和寺の付近に窯を開き,兄とともに琳派の一角を担った陶芸家である。尾形乾山の特徴は二つある。絹本に描くべきではないかと思われるような緻密な花鳥画・山水画の描写と,白釉と鉄錆(黒)による完全モノトーンの世界である。同じモノトーンというと志野焼がそうだが,あちらは白色に温かみがあったり,鼠志野というバリエーションもあるが,その点乾山の作品の鉄錆絵は完全モノトーンで,なんというか外側とは隔絶した世界を器の内側に閉じてしまっていて,硬くて強いインパクトがある。画面に一つの世界を作るとは絵画ではよく言われることだが,陶磁器では聞かない。乾山にとっては,やはり皿一枚が絵画一枚なのだ。

乾山はモノトーンな作品ばかり作っていたわけではない。カラフルな作品も多い。カラフルな作品は実用的な懐石具の量産で生まれたもので,活況を呈した京の経済に乗った形である。京都人の趣味を知り尽くしたものを供給できたのは,本人も京都のど真ん中で生まれ育った文化人であるという面目躍如だろう。紅葉をかたどり竜田川を連想させるものなど,その最たるものだ。こちらの懐石具のイメージは私にはほとんどなかったので,かなり新鮮であった。

それはそれとして,改めてじっくり見てみると,乾山の作品は琳派らしくない。別に光琳との仲が悪かったわけではない。合作だってある。私は乾山が琳派に当たらないという奇抜な主張をしたいわけでもない。影響関係を考えても乾山は琳派だろう。ただ,「デザイン性が高い」「人工的な構図」「金銀の多用」「ジャンルにこだわらない多岐にわたる活動」といった作風上の条件から考えると,乾山の活動は「デザインというよりは完全に絵画」「構図は普通」「モノトーン,またはカラフルで金銀は見られず」「陶磁器に限定」と,どれをとっても全く当てはまらない。懐石具の方に琳派的なデザイン性を感じなくはないが,逆にそこだけにしか見えないという気も。これはこれで一つ発見であった。


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