2015年06月29日

咲関連の気になったもの(14年10月中旬〜15年2月上旬頃)

・第132局 キーパーの本能(あっちが変)
→ 言われてみればそのオチwwwww副将同士だしなぁ。ネタなのにすごい説得力がある。さすがにボーリングの玉をキャッチしたらケガするのではw,という現実的な話を横に置いとくなら,「グリークチャーチなのにツモれない……!?」となる鷺森灼さんが見れたりする可能性。これで絹恵ちゃんも(極々制限された条件下でしか発動しない)能力持ちだ。
→ ちょっと考えてみると,二人とも関西圏なのだから,阿知賀の麻雀部がインターハイ終了後も麻雀を続けるなら,地方大会とかで衝突する機会があるのでは。二人の対決は見たいなぁ。


・『咲-Saki-』第132局『恩義』感想 「感謝の気持ちは試合で返す――!」(気分次第。)
→ 省略された中堅戦の南2局と南3局の補完予測。


・花田煌が監督にゴマすってレギュラー確約させてた(NaNじぇい)
→ 友清さん人気過ぎwwwww すばら先輩が実際には聖人だからこそ際立つギャグだ。いや,「清」い「友」なので,本人もぐう聖だったりするのかもしれないが。
→ 実際,その辺のエピソードはリッツが考えてそうではあるのだけれど(>「友清さんはいずれ描くかもしれないので…勘弁してください。」),陽の目を見る日が来るのかどうかは本人のみぞ知る。


・永水の六女仙の元ネタである『霧島山幽境真語』のご紹介(私的素敵ジャンク)
→ これも間違いなく元ネタの一つであろう。これ以外にも隠れ念仏とかいろいろくっついてできているわけで,複雑さがすごい。


・小林立先生のキャラクター愛称一覧(麻雀雑記あれこれ)
→ 呼び捨て・ちゃん・さんとけっこう区別してるけど法則性はちょっとわからない。というかなさそう。まあこういうのってノリかも。
→ あと,作中の誰かからの呼び方が印象あって,その呼び方になってるというのも大きそうな気がした。「咲さん」は明らかに和視点の呼び方だし,「京ちゃん」は咲視点,「純くん」は国広君視点,とか。それで行くとけっこう納得できるのが増える。
→ その中で燦然と輝く「弘世様」と「煌先輩」と「サトハ先生」,そして「政治家さん」w。我々に時々起きる「さん/様」をつけてキャラを呼びたくなる現象が,リッツ本人にも起きているのかも。


・『咲―Saki―』 第137局[辛抱](さくやこのはな)
→ ユキと和のやりとりについては,記事中の予想が割りと当たっていそうな。『エトピリカになりたかったペンギン』という題名と二人の会話,そして二人の背景から想像するに。
→ 『エトピリカになりたかったペンギン』,『咲-Saki-』本編の最終巻の限定版におまけでついてくるという予想を立てているのだけれど,どうだろうか。(『君が望む永遠』の『ほんとうのたからもの』を彷彿とさせるので,ぱっと思いついただけだけど……)
→ 「雲外蒼天」は東方緋想天のBGM名にそんなんあったな,というくらいで出典がわからない(※)。ZUN(かあきやまうに)ならわかるんだろうか。私は「天衣無縫」が好きです(『咲-Saki-』関係ない)



→ 聖書の文言の解説は普通に勉強になった。引かれた文言とその解釈に立つと,尚更『咲-Saki-』は予定説的な世界だなぁと思うわけだけど,どうでしょう。


※ けっこうがんばって調べたのだけれども,twitterで協力してくれた人の情報も含めると
・富岡鐵斎の七言絶句の題としたものを発見したが,富岡鐵斎の全集(『富岡鐵斎』京都新聞社 , 1991)を引いたところ,その七言絶句こそ発見したものの,画賛(絵画に付した漢詩のこと)であり,画の題は「富岳絶頂図」である。雲外蒼天ではなかった。題は引用者が付けたものであろう。つまりこれは否定される。
・かなり新しい造語で,確固たる由来は無いという説。ただし,少なくとも1997年に書道でこの言葉で受賞している人がいるので,それまでには存在したし,書道で受賞する層にはわかる言葉だった模様。驚くほど新しいというわけでもないようだ。
・"雲上在蒼天"なる言葉を司馬遼太郎が『故郷忘じがたく候』で使っている(1968年出版)。司馬遼太郎の造語か彼がどこかの漢籍から取ってきたか。それが四字熟語になる過程で「在」が脱落し,「上」が「外」に変わったとするとわかる話ではあるが,少々無理がある気も。
・"every cloud has a silver lining"からの翻訳で,その出典はミルトン説がある。ミルトンが出典ということ自体は信用してよさそうだが,ミルトンにせよディケンズにせよSilver liningという語彙を使っているだけで,"every cloud has a silver lining"自体の直接の原型ではない。直接の初出は1885年のギルバートのオペレッタ「ミカド」である模様(調べた人がOEDを使っているので,これは確実だろう)。
→ そうすると今度は「誰が・いつ“雲外蒼天”と訳したのか」「“雲上在蒼天”との差異は何か(司馬遼太郎もミルトンまたはディケンズまたは「ミカド」を参照した?)」「そもそも原文に「蒼天」の要素は無いが,どうして意訳したのか」という話になる。
→ ミルトン・ディケンズ・「ミカド」からの和訳説が正解だとすると,これもう完全に学者の仕事なんですが……『咲-Saki-』ファンの明治文学・翻訳研究の人,論文のネタにしよう(提案)

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