2015年10月27日
10月に行った展覧会(東博ブルガリ展・春画展)
![ブルガリ:ソートワール(プラチナ・サファイア・ダイヤ)](https://livedoor.blogimg.jp/dg_law/imgs/0/c/0cda2fa8-s.jpg)
そのシンプルさが売りで良いのだという意見はもっともだが,個人的な好みから言えばカルティエの方が好きだ。宝飾品は半貴石まで用いてカラフルであって欲しい。もっともそれは見る側の立場からの話であって,実際に身につける立場からするとシンプルに輝く作品の方がいいのかもしれない。まあ,私が身につけることはおそらく未来永劫ありえないので,考慮するだけ無駄だ。なお,リンクした東博のHPで紹介されているものは展示中でも比較的カラフルなものが選ばれており,ややミスリード感がある。
展示の最初ではブルガリがギリシアの伝統を引いているという紹介がされていたが,あれは無駄だったと思う。そもそも19世紀のギリシア出身でギリシアの伝統を引いていると言われても,それは古代ギリシアを言いたいのか,それともスラヴ化されたギリシアを言いたいのか不明瞭であった上に,そのような要素は展示から読み取れず,またキャプションでの詳しい説明もなかった。あの投げっぱなしはいただけない。
永青文庫の春画展。日本初の本格的な春画展である。貸してくれる会場がなかなか見つからず企画倒れが危ぶまれていたところ,細川護煕が二つ返事でOKを出して開催とあいなったそうだ。政治家としては功績がほとんどないが,今回に関してはよくやったとしか言えない。しかし,それでもあえて文句を言うのが許されるのならば,この建物は本企画展を実施するにはどうにも狭かった。サブカル的人気が得られたせいで,圧倒的なサブカルカップル率(女性の方は童殺服)の大混雑であったことも災いし,比喩抜きで「足の踏み場もない」会場での展覧会となってしまった。Twitterでそうつぶやいたところ「むしろ童殺服を観察に行くべきでは」という反応があり,そういう目的であっても原宿並みの成果を得られそうである。
さて,本展覧会に関連して「春画はアートかポルノか」という議論が盛んであったので,一言申し上げたい。言うまでもなく当時の人々のポルノであるが,現在の我々がこれで興奮するのは難しい(少なくとも私には童殺服の方がよほど目の保養である)。だからポルノかどうかは文脈で変わってくる。アートかどうかで言えば文脈を問わずにアートであるとは言い切れるので,「アートであってポルノではない」とか「アートであってかつポルノである」と言うのは可能だが,「アートかポルノか」と二分法で議論するのは馬鹿馬鹿しさしかない。ポルノであるならアートではない等という価値観は20世紀の遺物であろうから,さっさと埋葬させてほしい。
展覧会自体の感想としては,対象が猥雑なものになっただけで,良くも悪くも絵は絵でしかないのだなというのが率直な感想になる。もちろん非常に珍しい展示品の数々であったし,当時の人々もここまでやったんだという興味深さもあった。葛飾北斎による有名な蛸の絵もあった。
しかし,消費できるポルノとして見ない以上はやはり「美術作品」であり,物珍しさが失せると「よくできた風俗画」としてしか鑑賞できなくなってしまった。ただ,そういう自分自体が新しい発見ではあったし,これだけ大量の風俗画の浮世絵を鑑賞する機会も希有であり,満足度は高い。行ってよかったと思うし,今後の美術展示において,春画がより普通の存在として各美術館に展示されていくことを願いたい。サブカルカップルが飛びついている辺りから,深くは語らないが,避ける向きもありそうだが,偏見抜きで鑑賞に行くことを勧めたい。
Posted by dg_law at 12:00│Comments(0)│