2015年11月30日

中国軍事パレードに関連して

・中国軍事パレードで気になったこと(極東ブログ)
→ 中国(中華人民共和国)は戦勝パレードをする権利がある。それ自体はとがめようがない。しかし,その内実はきっちり「反ファシズム陣営の一員として,大日本帝国を倒したこと」の誇示でなくては名実が一致しない。このような大々的で現在の兵力を誇示するような軍事パレードとして挙行し,虐殺を行った独裁者を招待したことについては,批判されて当然であろう。
→ 潘基文国連事務総長について。彼はこの軍事パレードの意味合いが,日中戦争の戦勝誇示にはないことを当然知っていたが,にもかかわらずバシール大統領と同席したのである。確かに国連は二次大戦の連合国=反ファシズム陣営を起源するが,反ファシズム陣営として連合したのに身内に全体主義国家を含むというねじれを原初から有していた。このねじれが冷戦と国連の無力化の双方を生んだわけであるが,だからこそ起源を論拠に中国の正当性を擁護するのは硬直した思考であり,原理主義的であると言わざるをえない。何せ中国自身が「スーダン国民は反ファシズム戦争で重要な貢献を行っており,バシール大統領の出席は理にかなっている」と意味不明極まりない声明を出しているのだから。
→ いまや国連は憲章通り「基本的人権と人間の尊厳及び価値」の保持に向けて活動する組織であり,ひるがえって潘基文の行動は国連の組織目標に反した行為ではないか。仮にバシールが訴追されていなかったとしても,である(ICCの話は今回の事件の本質ではない。ただし,バシールが南アフリカで逮捕されなかった直後の出来事である点は踏まえられてよい)。
→ なお,この戦勝式典には朴槿恵大統領のほか,欧州からも高官が出席しており(オランダとフランスは外相が出席),なんかもう国際社会ダメだろう。もちろん,冒頭に挙げた本義の意味合いからして,旧連合国諸国は何かしらの代表者を派遣しないわけにはいかないという事情もわかる話であるので,潘基文以外を積極的に批判するわけではないが。本質を鑑みれば態度が察せられる程度の高官にとどめておくべきではなかったか。

国連は「中立性」を放棄したのではないか 潘事務総長が「抗日戦争勝利70周年」行事参加
→ でまあ,日本政府はこの点きっちり追及せぇよと思っていたところで,頓珍漢な抗議をしたらしく,げんなりしている。そりゃ「現在は双方が国連加盟国であるところ,片方の国がもう片方の国に勝ったという過去の戦争の記念式典に参加するのは,中立性に欠く」なんて抗議をすれば,「本義から言って正当な行為に参加しているに過ぎない」って反論されるに決まっているわけだ。本義とはずれた軍事パレードじゃないか,と抗議できないところに今の日本外交の拙さが表れたと思う。


今回の一件,一部の右派からは拙い日本外交の拙さに気づかないまま盲目的に肯定するコメントが見られ(これの愚かさは補足するまでもない),一部の左派からは上述の“原初のねじれ”を用いた中国の擁護や(右派批判のため本質を見失っていないか?),「日本だって人のことは言えない」という相対化が見られ(ダルフール紛争や中国の人権弾圧と比較して本気でそう言ってます?),双方において非常に残念な気持ちになった。人権でも国益でもいいので,自らの党派性よりも思想に自信を持った主張を読みたい。


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