2015年11月20日
謎の用語「アジア系」「アフリカ系」
・社内政治が嫌いな人が、社内政治を作ってしまう(nanapi TechBlog)
→ 極端に言えば官僚主義的になるか社内政治になるか,という。ここでのパターンの場合,実際には部長の意見が正しいこともあるから複雑で,「エンジニアAさんを部長に昇格させればいい」というものでもない。結局どちらにも寄りきらない,というのが硬直化と制度崩壊の両方を防ぐ方法ではあるのだろうなと。
→ ところで,あまり指摘されていないというか,あまりにも島耕作本人の活動が突飛すぎて注目されていない感じがするが,本来『島耕作』のテーマってこれで,島耕作本人はまさに「社内政治が嫌い」だったのにいつの間にか社会政治を作る側の人間になってしまった人である。この点で課長・部長の島耕作はやはりおもしろかったなと。今は見る影ないですが。(と同時に,その程度の読みもできてない人に島耕作シリーズを批判されたくない,という気持ちは否定できない。)
・「ハンガリーHungary」と「フン族」の関係(Togetter)
→ 教科書上はかなり昔からちゃんとフン・アヴァール・マジャールを峻別されている。高校でそう習ったという方がちらほら見受けられるものの,確かによく聞く与太話ではあるのだが,手持ちで一番古い1985年の山川『詳説世界史』と『用語集』を引くと,ちゃんとフン・アヴァール・マジャールで分けて書いてある。要するに,先生独自の教え方か副教材の影響と思われる。
→ 一方,「アジア系」というくくりについては,高校世界史上だと上記の3つに加えて,スラヴに同化する前のブルガールを含めて使われていて,要するに「非印欧語系」の「遊牧民」程度の意味合いになっている。専門家の方に「ウラル山脈の西側が出発点なのだから,厳密には誤り」「ちゃんとフィン・ウゴル系と言ってくれ」と言われたら,確かにそうだなと思うが,では「ラマ教」のレベルで急いで教育現場から追放すべき用語かと言われると,そこまでではないとも思う。
→ ついでなので言及しておくが,「ヒクソス」をアジア系と呼称する是非の方が話としては重いと思う。ヒクソスが「アジア系」であるというのは,実は古代エジプト人の呼称をそのまま引いており,1.「アジア」は野蛮というニュアンスを大きく含んだ呼称であること,2.実際のヒクソスは1民族ではなく混成集団であると現在は考えられていること,3.ヒクソスは一気呵成に侵入したわけではなく,軍人皇帝期のローマ帝国におけるゲルマン人(あるいは後漢末・魏・西晋の匈奴)のような形で「浸透」していたこと(「侵略」は古代エジプト人自身による「歴史修正主義」),などの観点から,ヒクソスをアジア系と呼称するのはけっこう危うかったりする。
・工事中に丸い巨石出現→ご神体か!→違ったけどそれっぽいから祀っとこ!ってなった結果(Togetter)
→ 21世紀にもなって新たなアニミズムを生み出しちゃったところとか,教科書通りな神道的自然崇拝なところとか,いわれはないけどとりあえず祀るだけ祀る流れになっちゃったところとか,展開がいろんな意味で日本っぽくて良い。
→ 場所が場所だけに(長野県茅野),神主がネタにしたらおもしろいな。次の早苗のスペカとかで。
・「カントリー・オブ・マイ・スカル―南アフリカ真実和解委員会“虹の国”の苦悩」アンキー・クロッホ 著(Kousyoublog)
→ デクラークは思い切って国民党を解体するつもりでいれば,こういう形で権力や名誉を失わずに済んだのかなぁと。しかし,それを思い切ってやった感もあるソ連のゴルバチョフも,1990年代はほとんど政治の表舞台にいなかったし,いまだもってソ連を解体した張本人という否定的な評価が保守派からあり,難しい。
・野球で夢つかんだ17歳アフリカ少年(デイリースポーツ)
→ とても良い話。大相撲の大砂嵐もそうだが,こうして縁遠い国々に日本の文化が伝わり,架け橋になっていくのは大変に良いことだ。しかもブルキナファソとは,エジプトよりもまた一段縁遠いし,小国でもある。NPBに入るのを目指しているようで,良いニュースを待ちたい。
→ その野球を教えたと思われる人のブログがあった。
・ブルキナファソで野球しよう!
→ 極端に言えば官僚主義的になるか社内政治になるか,という。ここでのパターンの場合,実際には部長の意見が正しいこともあるから複雑で,「エンジニアAさんを部長に昇格させればいい」というものでもない。結局どちらにも寄りきらない,というのが硬直化と制度崩壊の両方を防ぐ方法ではあるのだろうなと。
→ ところで,あまり指摘されていないというか,あまりにも島耕作本人の活動が突飛すぎて注目されていない感じがするが,本来『島耕作』のテーマってこれで,島耕作本人はまさに「社内政治が嫌い」だったのにいつの間にか社会政治を作る側の人間になってしまった人である。この点で課長・部長の島耕作はやはりおもしろかったなと。今は見る影ないですが。(と同時に,その程度の読みもできてない人に島耕作シリーズを批判されたくない,という気持ちは否定できない。)
・「ハンガリーHungary」と「フン族」の関係(Togetter)
→ 教科書上はかなり昔からちゃんとフン・アヴァール・マジャールを峻別されている。高校でそう習ったという方がちらほら見受けられるものの,確かによく聞く与太話ではあるのだが,手持ちで一番古い1985年の山川『詳説世界史』と『用語集』を引くと,ちゃんとフン・アヴァール・マジャールで分けて書いてある。要するに,先生独自の教え方か副教材の影響と思われる。
→ 一方,「アジア系」というくくりについては,高校世界史上だと上記の3つに加えて,スラヴに同化する前のブルガールを含めて使われていて,要するに「非印欧語系」の「遊牧民」程度の意味合いになっている。専門家の方に「ウラル山脈の西側が出発点なのだから,厳密には誤り」「ちゃんとフィン・ウゴル系と言ってくれ」と言われたら,確かにそうだなと思うが,では「ラマ教」のレベルで急いで教育現場から追放すべき用語かと言われると,そこまでではないとも思う。
→ ついでなので言及しておくが,「ヒクソス」をアジア系と呼称する是非の方が話としては重いと思う。ヒクソスが「アジア系」であるというのは,実は古代エジプト人の呼称をそのまま引いており,1.「アジア」は野蛮というニュアンスを大きく含んだ呼称であること,2.実際のヒクソスは1民族ではなく混成集団であると現在は考えられていること,3.ヒクソスは一気呵成に侵入したわけではなく,軍人皇帝期のローマ帝国におけるゲルマン人(あるいは後漢末・魏・西晋の匈奴)のような形で「浸透」していたこと(「侵略」は古代エジプト人自身による「歴史修正主義」),などの観点から,ヒクソスをアジア系と呼称するのはけっこう危うかったりする。
・工事中に丸い巨石出現→ご神体か!→違ったけどそれっぽいから祀っとこ!ってなった結果(Togetter)
→ 21世紀にもなって新たなアニミズムを生み出しちゃったところとか,教科書通りな神道的自然崇拝なところとか,いわれはないけどとりあえず祀るだけ祀る流れになっちゃったところとか,展開がいろんな意味で日本っぽくて良い。
→ 場所が場所だけに(長野県茅野),神主がネタにしたらおもしろいな。次の早苗のスペカとかで。
・「カントリー・オブ・マイ・スカル―南アフリカ真実和解委員会“虹の国”の苦悩」アンキー・クロッホ 著(Kousyoublog)
→ デクラークは思い切って国民党を解体するつもりでいれば,こういう形で権力や名誉を失わずに済んだのかなぁと。しかし,それを思い切ってやった感もあるソ連のゴルバチョフも,1990年代はほとんど政治の表舞台にいなかったし,いまだもってソ連を解体した張本人という否定的な評価が保守派からあり,難しい。
・野球で夢つかんだ17歳アフリカ少年(デイリースポーツ)
→ とても良い話。大相撲の大砂嵐もそうだが,こうして縁遠い国々に日本の文化が伝わり,架け橋になっていくのは大変に良いことだ。しかもブルキナファソとは,エジプトよりもまた一段縁遠いし,小国でもある。NPBに入るのを目指しているようで,良いニュースを待ちたい。
→ その野球を教えたと思われる人のブログがあった。
・ブルキナファソで野球しよう!
Posted by dg_law at 12:00│Comments(0)│