2015年11月22日

山陰旅行記(後編):出雲大社・美保関・境港・松江市内・玉造温泉

11/8 PM
〔出雲大社〕

特急まつかぜに乗って,鳥取から一路出雲市へ。出雲そばは全然知らなかったのだが,試しに食べてみたら非常に美味であった。

_DSC8069


麺の色が濃く,味も濃い。つゆも非常に濃く,小量かけて食べる。麺をつゆにドボンとつけて食べる信州そばとの最大の違いはここだろう。麺がつゆを吸う力が強く,小量しかかけないためにすぐに吸いきってしまい,麺の濃い味につゆの濃い味があわさって,これでもかというほどそばの味を主張してくる。そばの味が好きな人にはたまらない。なお,日本三大そばというと信州そば(戸隠そば)・出雲そば・わんこそばでほぼ異論がないようだ。三大○○としては珍しい。うどんの方は讃岐・稲庭まで確定で三つ目が定まらないらしく,水沢・五島・氷見・きしめんと意見が割れているようだが,全部食べたことがある経験から言うと,味だけで言うなら五島うどんを推薦する。元愛知県民なのできしめんは大好きだが,お前はうどんじゃない。


腹を満たして出雲大社へ。半年前に参拝して最近彼女が出来た友人が「ここはマジで御利益あるって!」としきりに言ってきたが,別に御利益を求めて参拝に来たわけではないんだよなぁ……むしろ東方と『咲-Saki-』の聖地巡礼という不純な目的の方が強いんだよなぁ……

_DSC8090
 _DSC8095


左(上)が拝殿で右(下)が本殿である。本殿の特徴的な屋根は大社造りと呼ばれ,日本最古の建築様式の一つ。伊勢神宮の神明造り,住吉大社の住吉造りと並び称されるが,共通点として屋根の上に千木(ちぎ)と呼ばれるX字の装飾が載っている。それ以外は比較的単純な造りをしている。

さて,出雲大社は日本最古の神社の一つでもあり,7世紀の創建とされるが,10世紀頃に大造営を行った。その時の記録が正しければ高さ48mの高層建築で,東大寺の46.8mを上回る日本最“高”の建築物であったという。この記録は長らく誇張とされてきたが,15年前の発掘調査によりその最盛期の頃の列柱の跡が見つかり,そこから計測された柱の太さ(約3m)や列柱の間隔からすると,高さ48mもあながち誇張ではないということが判明した。48m説で確定したわけではないが,与太話から真っ当な説に格上げになったということである。00年代前半というと私は中高生であり,すごい勢いで日本史の資料集が書き換わっていったのを覚えている。また,やはり当時の建築技術でこの高さは無理があったらしく,11〜12世紀に幾度となく倒壊しており,13世紀の再建時にあきらめてかなり縮んだらしい。現在の本殿の高さは,最盛期の半分の24mに過ぎない。

その48m説を採用した1/10復元模型や(1/10でも高さ5mなので相当デカい),荒神谷遺跡・加茂岩倉遺跡発掘の青銅器類を大量に展示した博物館が,出雲大社隣接の古代出雲歴史博物館である。古代日本史が好きなら何時間でもつぶせるレベルで展示が充実した博物館だが,もったいないことに今回の旅行ではスケジュールが厳しかったので,2時間ほどで脱出せざるをえなくなった。ハイライトはなんと言っても荒神谷遺跡・加茂岩倉遺跡の青銅器群の一斉展示だろう。



この壮観さはなかなか大したもんですよ。出雲の特殊性は大量の銅鐸と銅剣が同時に発見されたことで,通常銅鐸は近畿周辺,銅剣は北九州と四国で発掘されることが多い。その中間地点の出雲で,そのいずれもが大量に発見されたということ,また出雲からは鋳型が発見されていないこともあり,近畿と北九州に交流があったかどうかという点や,荒神谷遺跡も加茂岩倉遺跡も出雲大社から非常に近い距離であるため,日本神話誕生との関係性など,日本古代史研究の材料になっている。


閉館ぎりぎりまで粘って18時過ぎに出雲市を脱出。そこから特急まつかぜの復路に乗って松江まで戻り,そこからバスを乗り継いで美保関へ。

11/8 夜 〜 11/9 AM
[美保関・境港]

泊まった旅館を福間館というのだが,ここがまたすごい。創業300年,泊まった著名人一覧がこれ。

DSC_0190


個人的には徳川家達と井上準之助に感動した。しかし,加藤寛治ってひょっとして美保関事件の時の滞在なのでは……昭和4年だから違うか。逆に言ってよく泊まりに来たな。(追記)本件についてshigak19さんが調べてくれたのでリンクを張っておく。
・加藤寛治日記と1929年の美保関滞在について(書房日記)

さて,部屋は非常にボロかったが,旅館全体の雰囲気はよく,眼下に漁港と美保神社という眺望,夕飯には山のような松葉ガニ,値段も普通くらいで,十分満足である。

起床後,すぐに美保神社へ。ここも大社造である。神楽を見学。美保神社の祭神は事代主神,いわゆるえびす様である。えびす様は音楽を好むということで,美保神社は拝殿が神楽殿を兼ねていて,しかも音響効果を期待して梁が向きだしになっているのが特徴だそうだ。音楽奉納と称したライブも,かなりの頻度で拝殿でやっているらしい。こうして見るとずいぶんとロックな神社である。名物と言われる醤油アイスを食して,バスで境港に移動。醤油アイスは,バニラアイスに醤油かけたらまあこういう味になるよね,という。ここでしかない食べ物と思っていたが,今ググってみたらけっこうメジャーな食べ物だった。なんということだ……

正午頃に境港に到着。境港は極端な水木しげる押しで,至る所に水木しげるの妖怪たちが描かれていた。しかし,逆に言って水木しげる以外の観光資源が無く,寂れ具合がひどかった。水木しげるしかないならないで,もうちょっと何とかならなかったのか,という。特にJRの駅前はひどく,「閑散」以外の言葉が見当たらない。あれでは本番の水木しげるロードに辿り着く前に観光客が帰ってしまうと思う。

境港から米子までは鈍行,米子からは再び特急まつかぜに乗って松江へ。


11/9 PM
[松江市内散策]

松江はさすがに栄えていて,観光施設もサービスも整っていた。松江城周辺散策というと,
「松江城」
「松江歴史館」
「武家屋敷」
「小泉八雲記念館」
「小泉八雲旧居」
の5点セットだが,注意点がある。まず,共通チケットが販売されているが,なぜか松江歴史館を除いた4カ所の共通チケットである。そして「武家屋敷」は「小泉八雲旧居」の方が優れた屋敷であるために見所がなく,「武家屋敷」を回避するなら,残りの4カ所をバラで買った方が共通チケット+歴史館のチケットよりも安い。しかも松江城はさらに他の施設とのセット割引券が売ってたりするので,観光ルートによってはますます共通チケットの意味が無くなる。結論を言えば,共通チケットは買わない方がよい。

この5つ中では「小泉八雲旧居」が本当にすばらしいお屋敷でお勧め。こじんまりとしたお庭を眺めて,しばし小泉八雲に思いをはせたくなる。「小泉八雲記念館」は小泉八雲の足跡がかなり細かく紹介されており,小泉八雲に興味があるなら,という感じ。興味がないなら無理に行く必要はないと思う。私はまあ,その,東方信者・秘封倶楽部一派なので行く義務が。実際,ギリシア人とアイルランド人のハーフがどういう経緯で日本に来て,妖怪伝承にはまりこんだのか,よくわかっておもしろかった。「松江歴史館」は近世史中心の内容。

松江城はつい先日国宝になったばかりであり,お祭り騒ぎであった。戦国時代の出雲の城というとなんと言っても月山富田城であるが,戦国時代が終わると山城は用済となり,1611年に松江城が築城されて,出雲の中心がこちらに移ってきた。そういうわけで松江城は江戸初期の建築であり,一応防衛施設としての機能は完備で建てられたものの,一度も戦乱を経験することなく現在に至った。国宝指定運動が長期的になされていたが,1611年築城を決定づける史料がなく却下されていたところ,3年前に「慶長拾六年」(1611年)を示した祈禱札が松江神社で発見され,見事国宝指定となったそうだ。

その後,東方風神録1面の聖地巡礼(稲田姫)という理由だけで八重垣神社を訪れて参拝。滞在時間20分で松江市街に戻り,再び山陰本線に乗って玉造温泉へ。


11/9 夜 〜 11/10 AM
[玉造温泉]

この日はかなり奮発して白石家に宿泊。高いだけあってめちゃくちゃ良い旅館であった。で,日本海側に来たからには



新潟旅行に続き,またのどぐろを食してしまった。本当に美味いよこの魚。さらにこの日の夕飯は島根牛と松茸も出てきた。前日のカニと合わせてもう今年の秋の味覚は完璧に満喫しましたわ。

翌日の午前中に,玉作湯神社に参拝し,『咲-Saki-』(『シノハユ』)の聖地巡礼。いろいろ写真は撮ったけど,先人たちには勝てないので,ここでは特に掲載しない。会社へのお土産を買って帰還。


この4日間は非常に濃密な旅行であったが,まとめて振り返ってみると,ハイライトはやはり投入堂登山であったなと。次点で小泉八雲旧居。都市の印象で言うと,島根県は松江にしろ出雲市にしろ整備されていて活気もあったが,鳥取県は鳥取も米子も境港も寂れていて,同じ山陰でもこんなに違うのかと。鳥取県はもうちょっとがんばろう。ご飯で印象に残ったのは出雲そば。のどぐろと島根牛も美味しかったが,こいつらが美味しいのは当然すぎる話であり,新鮮な美味という点では出雲そばの印象が強い。