2015年12月15日

「皇帝教皇主義」という用語について

皇帝教皇主義とは,西欧側から見えたビザンツ帝国の宗教政策(理念)のことである。西欧では皇帝(帝権)と教皇(教権)が並立し,名目上はそれぞれが世俗・教会を統括する分離した存在であると見なされていたが,実際には800年のカール戴冠や962年のオットー戴冠がローマ教皇主導で行われたこと,コンスタンティヌスの寄進状,聖職叙任権闘争の影響などから,教皇の承認がなければ皇帝が成り立たず,教皇が世俗の統治にしばしば介入する構造に移っていく。これに対し,ビザンツ帝国では皇帝がコンスタンティノープル総主教を完全に支配し,世俗・教会の両権において最高権力者であった,というように当時の西欧人からは見えた。その専制性の高さを,半ば侮蔑を込めて「皇帝教皇主義」と呼んだのがこの用語の意味合いである。

さて,近年この用語は批判が多い。理由としては主に以下の3つが挙げられる。
・コンスタンティノープル総主教は「教皇(Papa)」ではないから,内容は捨て置くとしても名称が誤解を生む。
・西欧からの一方的な見方であって,世界史的な見地に立った用語ではない。
・皇帝が教権において,総主教を完全に優越していたわけではないから,概念として不正確であるので,使うべきではない。

最大の論点は3つめであろうから,やや詳細に説明をつける。まず,帝権について。ユスティニアヌス帝の命で編纂された『ローマ法大全』により,皇帝は世俗の統治権について,神にのみ直接責任を持つと規定された。コンスタンティノープル総主教は皇帝戴冠の儀式を行うものの,世俗の統治権には権限がない。あくまで国家儀礼として皇帝に冠を授ける立場であって,任免権は認められていないのである。ローマ教皇のように戴冠式を拒否して皇帝を即位させないというような行動はとれなかった。ただし,幼帝が即位した際に総主教が摂政を務めたり,民衆の生活への影響力を通して反抗するといったことはあったようだ。

このように皇帝は神にのみ責任を負うため,実質的な歯止めが不在の専制を行うことができた。では神から皇帝失格と見なされた場合,それがいかにして現実世界で発現するかという点で,ビザンツ帝国は意外にも儒教に近い考え方をした。すなわち,暗殺・放伐されたら「天命」を失ったと見なすのである。このユーラシアの西側ではいささか奇妙に見える皇帝観が,ビザンツ帝国の内乱癖を生んだ一方で,暗愚な皇帝を排除する実力社会となった。特にマケドニア朝までの皇帝は,キリスト教徒であれば,出身身分や民族を一切問われなかった。臣下・市民たちもあまりにあっさり新皇帝に乗り換えるので,中世の西欧人からは利己主義的・狡猾に映り,ビザンツ帝国のイメージの悪化に一役買ったようだ。ただし,11世紀後半のコムネノス朝以後のビザンツ帝国は身分の固定化が進み,政治も貴族連合体に変化していったため,こうした専制は実態として緩んでいく。

一方,皇帝と教権の関係についてはどうかというと,ギリシア正教会における皇帝の地位はナンバー2であり,総主教に次ぐ地位であった。英国国教会の英国王のような,名目上のナンバー1ですらないのである。そして,皇帝は教会内の人事や教義論争について絶対的な決定権を有していたわけでもない。その辺りはやはりコンスタンティノープル総主教が優越していたようだ。さらに言えば,聖職者としては認められておらず,単独で奉神礼(カトリック用語ではミサに代表される「典礼」)を行うことさえ許されていなかった。よって,少なくとも皇帝が名実ともに教権の首位であったというのは誤りになる。ただし,これを越境しようとした皇帝はいて,その代表例がよりによってレオン3世の聖像禁止令だから(ギリシア正教会内部で教義上の論争があったにもかかわらず政治的見地から介入した事例),高校世界史的には厄介であったりする。その他,自分の都合の良いように総主教を罷免した皇帝は何人かいる。

つまり,帝権と教権は完全に分離しているわけではないが融合しているわけでもなく,皇帝と総主教はどちらかというと皇帝が優越しているものの単純に上というわけでもない,とても複雑な構造,というのがビザンツ帝国における国家と宗教の関係である。山川の『世界史小辞典』には「国家と教会は併存する統一体」と当時は考えられていたから,皇帝教皇主義は誤り,とある。というか,今回いろいろと読んだが,何を読んでも端的に言って「容易に理解できるような単純な構造になっていない」というニュアンスをひしひしと感じる説明になっていて,ビザンツ帝国の政教関係の奥は深い。

さて,このような誤解の生じた要因は,帝権において専制であったこと自体ではないだろうか。神聖ローマ皇帝は,領邦に分裂していく帝国をまともに統治することさえ出来ていなかったのであり,加えて教皇にしばしば口を挟まれた。これに比較して,制度的に専制が確立されており,統治において総主教に口を挟ませなかったビザンツ皇帝は,西欧からの視点であれば,確かに教権さえ支配しているように見えなくもない。また,皇帝が「神の代理人」を名乗っていたことも,ローマ教皇とだぶったのではないか。とはいえ,現代の視点から見れば皇帝教皇主義は確かに概念として不正確であり,使用を避けるべきであろう。

では,これについて現行の世界史教科書はどうなっているかを例によって調査した。以下,全て2015年版。
【皇帝教皇主義】
・山川『詳説世界史B』:用語は無いが,「皇帝は地上におけるキリストの代理人としてギリシア正教を支配」と記述。
・東京書籍『世界史B』:完全に古い学説のまま,「皇帝教皇主義」は太字。
・実教『世界史B』:これに関連する記載が一切無い。
・帝国書院『新詳世界史B』:山川の『詳説』と同じ。用語はないが,本文にて「皇帝は神の代理人としてコンスタンティノープル教会(ギリシア正教会)の総主教を管轄下においた」という記述。
・山川『新世界史』:はしょってはいるが,最も正確な説明。この部分を書いたのは千葉敏之氏か。
・山川『高校世界史B』:同社の『詳説』とほぼ同じ。用語こそないものの,「皇帝は政治と宗教の両面における最高権力者」と記述。
・東京書籍『新選世界史B』:これに関連する記載が一切無い。
なお,山川の用語集上は2013年まで存在,2014年新課程から消滅。つまり,ごく最近まで残っていた。
→ マジャール人のアジア系に比べると,古い学説のまま残っている教科書が多い。特に東京書籍は猛省が必要であり,また,こうした学説の変化に最も敏感である帝国書院が山川と同じ保守的な記述という点も気にかかった。一方,『新世界史』の記述は他と隔絶して優れており,「新」の名に恥じない。

以下は私見であるが,そういう複雑な概念であるなら無理に説明する必要はなく,淡々と用語と説明を削除すればよいと思う。その意味で実教出版の態度が高校教科書的な正解ではないか,と結論づけておく。

ちなみに,ついでに調べてみたところ,論述問題としての出題は2004年の京大で使えるかどうかを最後にほぼ全く使われていないと言ってよく,自分の実感としても2005年頃から私大の入試でも見たことが全くない。特に2009年以降であれば,見つけていたら拙著に収録していたであろうから,ほぼほぼ消滅しかけていると言っていいだろう。意外にも「高校世界史」よりも「受験世界史」で先に消滅したらしい。もっとも,入試問題に出ていないのは根本的にビザンツ帝国史の研究者が少なくて,誰も入試問題を作れないから,という事情かもしれないのが悲しいところではあるが。


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