2016年01月19日

一般教養のラインは難しい

・中国における隠者の伝統をめぐって(Togetter)
→ 確かにこのイメージある。>「後漢時代までの隠者は宗教的な情熱で官僚社会と対峙するけど、時代がくだるにつれて隠逸は官僚社会の文化になってゆくようなイメージ。」「後漢時代までは、隠者の住まう山林は厳しい自然としてイメージされていますけど、晋以降は徐々に風光明媚で俗塵から離れるのに理想的な場所としても捉えられてゆきますね」
→ 士大夫分化の内側に取り込まれてしまったなぁと。悪いことではないんだけど。
→ 歴史的経緯で言えば,指摘されている通り,伯夷・叔斉の故事からスタートして,漢代までに「能力はあるのに政権の主流に加わらず,晴耕雨読する賢者」の構図が固まり,魏晋南北朝期に仏教・道教の影響を受けて桃源郷に逗留する神仙のイメージも付与された,というところなのだろうか。togetter内だと仏教の影響が強く指摘されているが,道教の成立もかなり色濃いと思う。老荘思想と神仙思想が結合したのはあの時代なので。
→ 言われてみると隠者的なるものの伝統は世界割りとどこにでもあるが,私にとっては中国のイメージがある程度強いのは,私が中国美術が好きだからかもしれない。隠者は山水画につきものだ。


・【東方】ゆゆ様のくるくるマークはドリームキャストをイメージしたものだった(2ch東方スレ観測所)
→ これは本当に驚いた。神主,なんて「10年目の真実」を開陳したのか。言われてみると,永夜抄の輝夜のBGMとかあるので,オマージュしててもおかしくはないんだが,あまりにもぶっ飛んでいて,ちょっと想像が追いつかなかった。


・用語の暗記と理論の暗記(再編集済み)(ダオ・チーランのブログ・パシフィック)
→ 1については以前から桃木先生が書いているところで,そりゃそうだろう以外の感想がない。2は論旨自体には完全な同意で,1の話とも関連するが,概念や現象を教えるべきという本義から出発すれば,必要な歴史用語が固有名詞・術語が残るのは当然の理屈だろう。3に至っては異論をつけている側の理屈がむちゃくちゃだろう。
→ ただし,2のこの部分は,実はかなり難しい問題をはらんでいると思う。
>「そうはいってもわれわれは人名や事件を全否定してはいない。その意味で、「百年戦争の記述にジャンル・ダルクは不要では」という意見が出たのは意外だった。「エドワード黒太子」を教える必要はないと思うが、ジャンヌ・ダルクという名前とイメージを知らないと読めない文学や社会的文章がどれだけあるかを考えると、これは「クレオパトラ」などと同様に「現代用語の基礎知識」に入るのではないか」
→ なぜなら,「名前とイメージを知らないと読めない文学や社会的文章」の多様性と,個々人の考える最低限のラインの違いを考えると,おそらく全く共通見解が定まらないからだ。たとえば『市民のための世界史』からはハンニバルと大スキピオが漏れているが,これはどうなのかとか。ルネサンスで挙がっている人名がシェークスピア,チョーサー,ラブレー,レオナルド・ダ・ヴィンチなのは文学者偏重すぎてむしろ旧来の世界史という雰囲気であるし,最低限ラファエロとミケランジェロまでは,私の感覚では「現代用語の基礎知識」だ。なお,書いていて気づいたのだが,モネとゴッホの名前が紹介してあるのに「印象派」という極めて重要な美術史用語は省かれている。これは「現代用語の基礎知識」には当たらないのだろうか……等々,若干意地悪な物言いになってしまったが,別に『市民のための世界史』執筆陣を責める・批判する意図は全く無いし,加えて言えば,「名前とイメージを知らないと読めない文学や社会的文章」という基準の採用自体は妥当だろうと思う。しかし,その基準の難しさは,どうしても指摘しておきたくなった。


徹底解剖!ゴールデンカムイに登場する小樽の風景を解説するよ!(小樽総合デザイン事務局)
→ すでに一度リンクを張って掲載しているが,改めて。まーたそんな私の聖地巡礼先候補地を増やしてくれやがりまして。作者が北海道出身とはいえ,めちゃくちゃ調べて描いてるんだなぁ。アイヌ関連については随所のインタビューで熱心に調べてから描いていると言っているので知っていたけど,小樽市内まで。そしてこの記事の筆者も,聖地巡礼者ガイドの鑑と言えるような,綿密な記事を書いていて,こちらもすごい。
→ 実は小樽,人生で一度だけ行ったことがある。20年も昔で,私はまだ小学生だった。記事中にある通り,「寿司食べて帰ってい」く家族旅行だったけど。今度行くならがっつり聖地巡礼になるだろうなぁ。

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