2016年04月11日

最近読んだもの・買ったもの(『へうげもの』21巻)

・『へうげもの』21巻。方広寺鐘銘事件の勃発,大坂方の決起,片桐且元と織田信雄の脱出,真田信繁参戦,金森重近の出家(宗和),織部暗殺計画始動,真田丸築城,近衛信尹倒れる,京五山大文字焼き計画,柳生宗矩と織部の一騎打ち,大坂冬の陣開戦,織部狙撃失敗,「犬」文字焼,近衛信尹死去,伊賀焼「破袋」誕生。
→ 列挙してみると,展開がかなりめまぐるしい巻。というよりも,方広寺鐘銘事件から大坂冬の陣中盤までの歴史的展開を一気に消化した上に,創作のエピソードも多く入っている。確かに歴史的な展開だけを追うとこの時期の織部は何もしていない形になるので,主人公の見せ場を作ったということであろう。その中でいくつか取り上げていく。

→ 方広寺鐘銘事件は,清韓に「国家安康」のアドバイスをしたのが織部であったのが何かのフラグかと思われたが,少なくともここでは不発のようだ。むしろ織部が自ら豊徳合体計画を破壊する口実を作っていたという皮肉だったとすると,このまま作中で触れられずに終わるのではないか。
→ 織部暗殺未遂事件は言うまでもなく創作だが,柳生宗矩の容貌が魁偉であり明らかに変人なのは何か理由はあるのだろうか。柳生宗矩というと腹黒で描かれることがあるが(史実の彼は実直だが創作上一つの伝統になっている),本作の柳生宗矩は必ずしも黒くなく(まあ暗殺に失敗すると証人になる配下を容赦なく斬殺しているが),これに乗っかっていない。乗っかっていないだけに容貌だけが突出して不可思議である。

→ 本巻123話で片桐且元に見出された片桐貞昌は,後に茶人として名を上げ,徳川家綱の茶道指南役にまで出世した。茶道石州流の祖とされる。茶道の上では重要とはいえ,細かいネタを拾っている。同123話で金森重近が廃嫡され,出家して宗和を名乗っているが,この経緯は史実通り。
→ 真田丸築城は非常にタイムリーだが,本作の連載スタート(2005年)時点では全く予想できなかったタイミングの一致だろう。大河ドラマの方がこれをどう扱うのかは気になるところ,と言いつつ私大河全く見てないのですが。評判が良いので見とけばよかったとやや後悔している。
→ 左門がダヴィンチ式戦車を作っていた……無論のことながら架空だが,この見取り図はスペイン人宣教師→高山右近→左門という経緯になっており,20巻で渡されていた。本来つながりが全く無いはずの二人を何故会わせたのかと思ったが,確かに徳川方でダヴィンチ式戦車は出せまい。

→ 近衛信尹が「大」の字を書きつけたものを見た金森宗和が「当代一の能筆」と褒め称えているが,実際に近衛信尹は「寛永の三筆」の一人として歴史に名を残している。また,近衛信尹が五山送り火の創始者という説は実在し,それなりに信憑性も高いようだ。これは私自身,連載当時に調べてみるまで全く知らず,驚いた。一つだけ突っ込むと,あれは盂蘭盆会の一環であるので,実施は例年8/16であるから(旧暦の頃は7/16だったそうで),大坂冬の陣の最中ということはありえない。そこだけは完全にフィクションである。また,作中では伝達ミスから「犬」文字焼になってしまったが,これは足利義政説もあって近衛信尹説で固まっていないことを逆に利用したものと思われる。推定にすぎないからこそ,大胆なフィクションを混入させられるのだ。

→ 最後に,伊賀焼の銘「破袋」は実際に2つ実在する。ただし,世の中的に1つしか存在していないと思われているのは仕方がないところで,1つは五島美術館の所蔵品で定期的に表に出てくるが(私も見たことがある),もう1つは個人蔵でほとんど表に出てこない(というか今回初めて知りました)。作中で大野治長に贈られた「いかつい方」が五島美術館にあり,弟の治房に贈られた柔らかい方が個人蔵である。なお,元々は柔らかい方のみが銘「破袋」だったそうだが,いろいろあって混同されて両方とも銘が「破袋」になったそうな。作者の山田芳裕があとがきで「ご興味ある方はお調べくだされ」として自分で述べるのを避けているが,なるほどややこしい。





この記事へのコメント
柳生宗矩の容貌はあれ、実在の芳徳寺の木像に忠実に描いたようですよw
へうげではキャラの容貌をときどき忠実に描くから困る
Posted by N at 2016年04月13日 00:04
返事がちょっと遅れましたすみません。
そういう由来があったんですね。情報ありがとうございます。
ググって木像見てみましたけど,それにしてもデフォルメがすごいですね……w
しかし,『へうげもの』らしい話で良いです。
Posted by DG-Law at 2016年04月14日 21:45