2016年05月16日

2016:伊藤若冲

動植綵絵「老松白鳳図」都美の伊藤若冲展に行ってきた。生誕300周年である。実はゴールデンウィーク前に行ったので40分待ちで済んだが,現在は入場までMAX280分待ちだそうで,案の定である。また,私が行った時には入場が40分待ちながら,中は厳しい混雑ではなかったのだけれど,280分待ちまで伸びているとそうもいくまい。


伊藤若冲がブレイクしたのは2000年の京博での大回顧展だそうだが,この時私はまだ全く関心がなかった。その次の波である2006年のプライスによる若冲展は私も行ったが,混んではいなかった記憶がある。その次の若冲の大規模な展覧会は2009年の皇室の名宝展になるが,この時は若冲以外も豪華だったこともあり,めちゃくちゃ混んでいた。とはいえ,この時もまだ入場制限がかかっていなかったと思われる。それからも伊藤若冲展はいくつかあったが,大規模な展覧会はこの2009年以来の7年ぶり,名前にはっきり伊藤若冲と付く大回顧展としては10年ぶりということになる。

この2000年・2006年・2009年・2016年という展覧会の間隔を使って,世間の伊藤若冲受容と,私にとっての伊藤若冲をちょっと振り返ってみたい。2000-2006年の期間だと私はまだ中高生で,この頃の高校日本史での伊藤若冲での出題頻度は低く,早慶上智受ける人ならという扱いだった。加えて言うと,この頃の高校日本史の江戸時代の文化の区分けは「二つ」で,「元禄文化」と「化政文化」であった(無論,「寛永文化」もあったが,あれは安土桃山文化の延長という扱い)。今考えるとこの区分は相当におかしくて,たとえば18世紀の画家である鈴木春信や円山応挙がなんで化政期の文化になるんだよ,とは当時のうちの高校の日本史の教師にもつっこまれていたのだが,よくもまあその区分で戦後何十年か続けていたものだと思う。これはここ5年ほどで急激に改善されて,最新の課程ではおおよそどの教科書でも「宝暦・天明文化」という新区分を作っていて,鈴木春信も円山応挙も与謝蕪村もそこに入っているはずである(この辺がまだ化政文化になっている参考書は古いので破り捨ててよい)。

この高校日本史の急激な変化は,2009年までの社会における「奇想の系譜」受容の影響も背景にあったものと思われる(ただし,伊藤若冲は相変わらず入試でマイナー用語であるが)。2006年頃は私がちょうど大学生で,まじめに日本美術史を勉強したのが2005-6年頃であったが,この頃の美術史の一般書ではすでに伊藤若冲・曽我蕭白は大家の扱いであった。しかし,高校日本史では上述のようなマイナーな扱いであったので,そのギャップに驚くと同時に,改めて真面目に鑑賞した伊藤若冲の緻密な表現に瞬く間に惹かれていった。そこに来た2006年の展覧会は,私に強いインパクトを植え付けるのに十分であった。このギャップを体験した人は,私以外にもかなり多いのではないかと思っている。

そして2009年の展覧会の頃には,現代における伊藤若冲の名声はすでに確固たるものとなっていたし,あわせて長沢芦雪や曽我蕭白あたりの再評価も固まっていたように思う。思えば2009年から今年に至るまで大きな展覧会が無かったのは不思議といえば不思議で,またこの7年の間に,すでに固まっていた名声がより踏み固められていて,溜まっていた熱気がこの展覧会で噴出したのではないか。


さて,展覧会自体について全く語っていないではないかと言われそうだが,逆に問いたい。今更何を語れというのだ。何を見てもすばらしいとしか言いようがなく,それ以外の言葉を持たないのである。今更30幅の《動植綵絵》の超緻密な描き込みを賛嘆すればよいのか。普通には出せない輝きを持つ画面を実現した裏彩色を解説すればよいのか。この世のものとは思えないカラフルさを持った鳥類を賞賛すればよいのか。私自身過去に語ったことがあるし,世の中にあるどの美術ファンのブログでも今回の展覧会は取り上げられ,語られている。これ以上言を増す必要はなかろう。5/24までであるのでもう会期は短いし,長蛇の列は厳しかろうが,見に行く価値は必ずある。

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この記事へのコメント
あ〜こういうのがあったんですねぇ。道理でルノワール展が(比較的)空いていた訳だ。今週末行けたら行ってきます。紹介感謝(^^)
Posted by aruzya at 2016年05月18日 00:16
確かに他の展覧会に影響を与えそうなレベルの行列になってますね……
長蛇の列だと思いますけど,是非是非。
Posted by DG-Law at 2016年05月18日 21:59