2016年06月17日

書評:『まなざしのレッスン2』三浦篤著,東京大学出版会

本書は大学の学部生向けに書かれた西洋美術史学入門書『まなざしのレッスン』の続編である。1巻は私の知りうる限り最優秀の美術史学入門書である。「西洋美術は一種のパズルである」ことを示し,なぜ絵画を見るためには知識が必要なのかを説き,絵画に関する基礎知識について概説している。そこに趣味としての美術鑑賞の,学問としての美術史学の入り口が用意されているのである。入門書であるので平易な語り口であり,また読む上で必要な知識を極力減らしてあり,大学入りたての文系大学生や,西洋美術というものに疑問を持つ社会人がいかにもいだきそうな疑問にちょうどよく答える名著であった。その意味では必ずしも美術史学を専攻する予定の学生の入門書というより,入門する気のない人たちにとっての方が好都合な本だったとさえ言えるかもしれない。知識を覚えるための本ではなくて,「なぜ知識を覚える必要があるのか」という説明の方に徹底しているからである。また,ちょうどグローバル・ヒストリーにおける『砂糖の世界史』のような立ち位置と言えば,本ブログの読者には伝わりやすいかもしれない。

とはいえ,1巻には欠点があった。前近代(新古典主義期)までの西洋美術しか扱っていないので,美術史全体の概要を示しているとは言いがたかった点である。しかし,これには事情もある。西洋美術を鑑賞する上で必要な知識,言い換えれば「パズルの解法」は,前近代と近現代でルールが異なる。それもがらっと変わるというよりは徐々に変わっていくのであり,言ってしまえば近現代の美術史はルールがぶっ壊れていく過程そのものである。だから1冊の本で「ルール自体の説明」と「ルールの崩壊過程」を著すのは,入門書として無理があった。『まなざしのレッスン』が美術史学の入門書として完成するには,どうしても2巻が必要だったのである。しかし,待てど暮らせど2巻は出ない。あまりにも出ない間に,私の方が大学を脱出して就職し,趣味としての美術鑑賞は続けていても,学問からはすっかり離れてしまった。

そして2015年,1巻が出てから約15年経ってようやく待望の2巻が発売された。言うまでもなく近現代美術史編である。著者の三浦篤は専門が近代フランス美術であるが,だからこそ時間がかかったのかもしれない。あるいは1巻を書いた当時よりも先生御自身が随分と多忙になってしまい,研究や授業に忙しく,入門書を書いている時間が取れなかったのかもしれないし,1巻の評判が良かったプレッシャーもあったかもしれない。

2巻もまた近現代西洋美術史の優れた入門書になっている。1巻を読んでいることが前提ではあるが,西洋美術のルールが崩壊していく過程が,やはり平易な説明で綴られている。単純な時代順で,つまりロマン派→自然主義→印象派→……と追っていく美術史ではなく,絵画ジャンルやルール別に「どう崩壊したか」という点に焦点を当てて,前近代のルールと比べながらその変容を述べていくスタイルをとっている。ゆえに,1巻同様に美術史の知識はおろか,西洋史の知識自体も常識的なものしか要求されず安心して読める。非常に基本に忠実で,わかる人に言えばティツィアーノの《ウルビーノのヴィーナス》の前のページに《オランピア》が掲載されているレベルである(しかも口絵にマティスの《バラ色の裸婦》があり本文でそちらに誘導されている)。そして「どうしてこうなっちゃったの」かが説明されている。

おそらく「わからない美術」の筆頭たるカンディンスキーらの抽象絵画もかなり紙面を割いて解説されているので,気になる方は是非。楽しめるようになるかどうかや納得するかは別にして(私自身いまだに楽しくない),こういうものが出てきた経緯や画家の意図はなんとなく説得された“気分”になれるだろう。


なお,繰り返しになるが,本書はあくまで美術史学的な美術作品の鑑賞方法・楽しみ方を提供する意味での入門書であって,知識を提供するたぐいの入門書ではない。有名な作品を1作1作懇切丁寧に説明しているわけではないし,美術史の流れ(様式史)を説明した本でもない。また,1巻を読んでいることは前提として書かれているので,その点も注意を要する。






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