2016年06月24日

書評:『ルワンダ中央銀行総裁日記』服部正也著,中公新書

本書はインターネットで話題となり,再販された。私もご多分に漏れず,このTogetterがきっかけだ。

・「まるで異世界召喚」「内政チートや」…名著「ルワンダ中央銀行総裁日記」は「ライトノベル的に面白い」という切り口に反響(Togetter)

ここでの紹介はリアル世界で本当に起きてしまった内政チート,という雰囲気だ。確かに,第二次世界大戦後の主権国家というものを急に“押し付けられ”,知識も技術も経済力もないが対応していかなくてはいけないアフリカ内陸の小国という究極の状況である。主人公が異世界に飛ばされたのではなく,異世界の側が現代世界に接続してしまったという方が近い。そしてまた,服部正也氏が極めて内政チートの主人公にふさわしい人物であった。内政チート物の(とりわけ異世界物)で指摘される主人公の不自然さをことごとく否定できてしまう。

・ぽっと出の主人公(現代人)がいきなり内政を自由にできる高官に就任できるはずないだろ
→ 日銀を勤めて20年の実績,IMFの推薦で中央銀行総裁に就任。高度経済成長真っ最中の日本の権威はルワンダでも相当効いていた。
・現地の有力者や既得権益層に反対されて改革なんて進むはずがない
→ 服部氏自身が老獪かつ豪腕で,様々な手段で政敵に対抗していく。最終的にはルワンダ秘密警察も行使していたことが本書で語られている。
・現地の事情を知らずに現代の制度や技術を植え付けても上手く行くはずがない
→ 実際にそうした失敗例として他のアフリカ諸国を研究し,さらにルワンダでも慎重に実地調査をしてから改革を実行。

そもそも服部氏は中央銀行総裁として赴任したはずであった。それがなぜチートと呼ばれるほど内政にかかわることになってしまったのか。IMFの指示はあくまで「ルワンダ通貨の安定」であった。しかし,実際に赴任してみると,通貨の安定どころではなかったのである。通貨の安定のためにはどうしてもルワンダの国民経済・国家財政が安定している必要があり,その旨を大統領に告げると「全面的に信頼するから,経済再建計画の立案はお前が全部やれ」と言われた,という経緯である。「大仕事を引き受けてしまったが,不思議と気は軽かった」とは服部氏本人の言である。そして1965年から6年かけて,彼はこの大仕事をゆっくりとこなしていった。


さて,本書は確かに内政チート物として読むこともできる。無い無い尽くしの中,服部氏はルワンダ人の官僚を育成し,農民を啓蒙し,現代的な経済制度とルワンダの実情を着実に接続させ,ルワンダ経済の近代化を成し遂げていく。古代・中世から,近世・近代をすっ飛ばしていきなり現代に接続する直線的な歴史発展の無視っぷりは爽快感がある。しかし,本書を内政チート物として読めるのは4割程度で,読んでみると全く違う読後感の方が強かった。では残りの6割は何なのか。

現実のルワンダと,多くの内政チート物には,前提条件に決定的な違いがある。植民地経験である。ルワンダの経済成長の足を引っ張っていたのは,残存する旧宗主国のベルギーによる植民地主義であった。より具体的に言えば,殿様商売をしているヨーロッパ人経営の商社とそれを保護する制度,ひどく不公正な為替制度,無知なルワンダ人政治家につけこむ怠惰な外国人官僚等である。そしてその背景にあったのは,どうせアフリカ人は永久にヨーロッパから自立できないという根強い偏見であった。というように,服部氏の主要な敵は植民地主義とヨーロッパ人の偏見であって,ルワンダ人の無知よりもこちらの方がよほどやっかいな難敵であった。描写としては,ルワンダ人を啓蒙しているシーンよりも,ベルギー人と戦っているシーンの方が多いのだ。だから,読後感の6割は植民地主義との戦いになる。

服部氏の信念は「経済の安定のためには国民経済の自立が必要で,国民経済が自立するためには民族資本の成長が不可欠である」であった。だからこそルワンダ人農民や商人の資質を時間をかけて確かめ,少しずつ外国人の影響力をそいでいった。終盤,どうせ自立できないと言われ続けていたルワンダ人農民や商人が経済的に自立し始めるのは,なかなかのカタルシスがある。服部氏の改革は,前近代的な国家に現代的な制度を植え付けていくというよりも,ベルギー人に押し付けられた不公正を正していったものという雰囲気の方が強い。なお,具体的にはどういう政策であったのは次の記事で細かくまとめてあり,参考になる。
・服部正也氏の「ビッグ・プッシュ」(「ルワンダ中央銀行総裁日記」より)(himaginaryの日記)


ところで,ルワンダというとどうしても大虐殺については触れざるをえない。1994年に起きた時点で服部氏は存命であり,彼による大虐殺への言及も増補版には付いている。しかし,服部氏は虐殺の約25年前までしかルワンダに赴任していなかったとはいえ,本書は民族問題をほとんど扱っていない。本書だけ読めば,1970年頃にはフツ人とツチ人の対立は無視できる程度にしか存在していなかったかのような印象を受けるが,もちろんそんなことはないのである。少なくともカイバンダ大統領が民族対立の種を育てたのは事実であるが,本書での服部氏の評価は異常なまでに高い。上掲のhimaginaryの日記の記事内にもある通り,これは視点の違いとして非常に興味深い。

さらに言えば,彼が赴任していた当時のカイバンダ政権はフツ系であり,ルワンダ虐殺で虐殺されたのは主にツチ人で,1994年当時の欧米諸国があからさまにツチ人に肩入れしていたという国際情勢もあいまって,この増補部分はあからさまに「ヨーロッパ人にはアフリカ人への偏見が残っていて,フツ人が不当に貶められて報道されている」という決め付けが見られる。服部氏が言うような不当さは確かに存在していたのだろうが(ユーゴ紛争から現在に至るまでの西欧のセルビアへの態度とちょうど重なる気が),この増補は全体としてあまり本質的な指摘ではなかったように思う。

一方で,Togetter内での言及では「もとの中央公論の寄稿の方では大統領のツチ反乱軍に対する差別的な言辞や、親族の不正への関与を匂わせる記述がある」とあり,これがどういう経緯で削られたのかは少々気になる。残っていれば,本書の印象がまた違ったものになっていただろう。






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