2016年07月22日

伊東マンショの肖像画・韓国の半跏思惟像

ドメニコ・ティントレット《伊東マンショ》東博の7月上旬某日に,伊東マンショの肖像画,韓国の半跏思惟像,古代ギリシア展をまとめて見てきたので,ひとまず前2者の記録を残しておく。


伊東マンショの肖像画は以前に発見された時の新聞記事を取り上げたことがあるが,発見されたのはつい2年前のことであり,ある程度の調査が終わったので,東博で特別に展示されることになったようだ(所有者はイタリアの文化財団)。画家は高名なヴェネツィアの画家ティントレットの息子で,正確に言うと晩年のティントレットが請け負ったが老齢であったので,仕事を息子に引き渡したという経緯らしい。いずれにせよよく出来た肖像画であり,さすがは当代随一の画家親子が請け負っただけのことはある作品である。

さて本作と言えば裏面の文面「D. Mansio Nipote del Re di Figenga Ambascitore del Re Francesco Bvgnocingva a sva Santita」の解読で,私は「Figengaの甥,豊後(Bvgno→Bungo)cingva(cingua)の王フランシスコの,教皇への大使」というところでどうしてもFigengaとcinguaの意味がわからず詰まってしまった。そこはやはりプロ,本展のキャプションにて,しっかり解読されていた。それによるとFigengaはFiungaとFigenの混同かつ合体であるらしく,読んだ瞬間思わずそんなもんわかるかい!と心の中で突っ込んでしまった。なるほど,であれば「日向」と「肥前」とわかる。ngは鼻濁音のガ行なのでnは読まない,Fはハ行で読むと大体元の形に復元できる。この失敗合体,当時の一次史料を付きあわせて判明したことがキャプションに書かれていたが,苦労したのでは。また,cinguaはcinguiaのiが欠落したもので,cinguiaは千々石のことらしい。千々石は現在の長崎県島原市にある地名で,天正少年遣欧使節の一人の千々石ミゲルの出身地である。

これでやっと謎は解けた。つまり訳すと「ドン・マンショは日向(または肥前)(の国主)の甥(または孫)で,豊後・千々石の国主フランチェスコ(大友宗麟のこと)から教皇に送られた大使」になる。そうすると,伊東マンショは日向の戦国大名伊東氏の出身であるから,前半の「日向国主の甥(または孫)」は正しいし,大友宗麟の名代としての派遣であるから後半もおおよそ正しく,意外と正確な文だったことがわかる。逆に言って,やはりFigengaはひどい。肥前はおおよそ現在の長崎県・佐賀県だが,日向はおおよそ宮崎県であるから,接してすらいない。また,大友宗麟の領土として豊後は正しいが,千々石は肥前の地名であるし,大友宗麟の領土ではなかったはずである(そんなに戦国時代詳しくないけど,彼の最大勢力圏は筑前・筑後まででは)。一つ考えれるのはやはり千々石ミゲルとの混同である。彼は肥前の戦国大名大村純忠の甥であり,千々石の出身であるから,Figengaが肥前と日向の合体失敗単語であることも踏まえると,この文を書いたイエズス会士の頭の中で伊東マンショから聞いた情報と千々石ミゲルから聞いた情報が混ざってしまい,聞き慣れない日本語の地名もあって,パズルのような文面が完成したのではないか。ともあれ,私にとっては約2年楽しませてくれた難解なパズルであった。


韓国の半跏思惟像は,このたび昨年の日韓国交正常化50周年を記念して企画が立ち上がり,韓国国立中央博物館から貸し出されたもので,日本の中宮寺半跏思惟像と同室で展示されることとなった。悲しいことに警備がめちゃくちゃ厳重で,入り口が空港の手荷物検査のような状態になっていたが,まあ警戒するに越したことはないのは残念ながら同意である。さて,2つの仏像だが,当然韓国の方が制作時期が早く,6世紀後半の百済と見られる。また銅製(鋳造)であり,この時代としては高度な技術をうかがわせる。一方,日本のものは木製で,製作時期もちょうど100年遅れの7世紀後半と見られているが,その分韓国のものよりかなり大きく,同室にあるだけにその大きさが目立つ。また木製で自由が効くためか,衣服の衣紋が立体的な造形となっている。いずれの像も思索にふける姿が美しい。

なお,本展に先んじて中宮寺の半跏思惟像が韓国に渡っており,同趣旨の企画が向こうで開催されていた。韓国の皆さんにお楽しみいただけたなら幸いである。言うまでもなくこの2つの像は東アジアの仏教伝来の歴史を伝えるものであり,造形はよく似ているが差異もあるこれらが並んで展示されることは,両国民にとって喜ばしいことであろう。同時に見られること自体に大きな意義があったように思う。とはいえ,ソウルの国立中央博物館もいつかは行ってみたいものだ(主に朝鮮白磁目的ではあるが)。

ところで本展は7/10ですでに終了しているが,大変な混みようだったことは会期中何度も耳にしており,私が行った時も,伊東マンショ・古代ギリシア展と比較して最も混んでいた。しかも混雑対応から,普段の本館は17時閉館のところ,本企画展の開催期間に限って20時閉館になり,月曜休館のところ会期中無休になったのだから,職員の方々は大変だっただろう。ちなみに伊東マンショの方はめちゃくちゃ空いてて,集客効果はゼロに近かったのでは。まあ,伊東マンショと聞いてピンと来る人口は,確かに「韓国の半跏思惟像」と聞いてときめく人口に比べたら隔絶して少なかろうから,致し方あるまい。

古代ギリシア展については後日,別記事にて。


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