2016年08月22日
『シン・ゴジラ』感想
ネタバレ注意。
もはや言い尽くされているので,2点だけに絞って素直な感想を書いておく。
まず,本作は「巧妙に脱色された透明かつ健全なナショナリズムを非常に喚起される映画」だと思った。偽悪的な書き方をしたのでこう書くとめちゃくちゃけなしているように読めるが,実際のところは正反対で,これは私的に最大限の賛辞である。何より,ナショナリズムというものを巧妙に脱色することが難しい。スポーツにおけるナショナルチームの活躍・応援や大規模な自然災害に対する復興がこれに近いものがあるが,前者は興味が無い国民を阻害する点で必ずしも規模が大きくなく,実際に戦うのは数人から十数人のプレーヤーにすぎない。後者は明確な敵がいない。すると侵略してきた宇宙人か(これは『インディペンデンス・デイ』だ),怪獣あたりが妥当な線になる。もっとも,宇宙人の場合は一国じゃなくて世界で団結しろよ,という話になりかねない。
ゆえにゴジラを出すならこれは良い狙い目になるが,それにしたって不用意に描けば,自衛隊とゴジラの戦いになったり,国家政府とゴジラの戦いになったりと,国民は置いていかれる。本作だってどうしても政府中枢に焦点を当てることにはなったが,政府中枢自体に多様な人間がいることを描いたことである程度緩和されたし,最終決戦の血液凝固剤の生産やら特殊建機部隊やらJR東日本&東海やらを巻き込んだことや,疎開のシーンを入れたことで,総力戦感は確かにあった。日米同盟も日本の実力の内,という意味で米軍の参加も案外と重要な要素だった。そういう大枠だけではなくて,セリフの一つ一つをとっても,実に巧妙に作られていたと思う。多摩川防衛線を突破された自衛隊に「武器がなくてもやれることはある」なんて言わせるのはやりすぎに感じたくらいだ。そうして作られた「それでも“日本”はもう一度立ち上がれるんだ」という青臭いスローガンに否が応にも同意しかできなくなり,素直に感動した。日本人として打ちのめされたので,もう俺の負けでいい。完敗であり,すがすがしい敗北感しかない。そういう力強さと説得力のある映画だったが,それは緻密に脱色された“日本”であり,私はその緻密さに賞賛を送りたいと思う。実は庵野監督ということ以外全く完全に前情報をシャットアウトして見に行ったので,見終わった直後の反応はほんとこれ。
その上で,これは批判ではなくてないものねだりとして聞いて欲しいのだけど,最終的に「日本の最大の武器は工業力と科学技術力」に持って行ったのは,正直に言えば当たり障りがなさすぎて少々残念ではあった。しかし,無色透明なナショナリズムを誇るならやっぱり工業力と科学技術力しかなかろうなとも思う。また,「工業力と科学技術力」に関連する話になるが,「良くも悪くもこれが今の日本」という,悪い面が隠さず出てきているのも,総体としての日本VSゴジラ,という印象に一役買っていたかもしれない。さんざん指摘されている通り,前半の会議でなかなか対策が進まない様子や,初見ではどう見ても頼りない旧来の自民党政治家のような農水相(首相代理),主要人物たちに偏る労働時間,結局のところ特攻隊じみた決戦部隊頼り(それも民間人を含む)等々。しかし,あの冴えない首相代理が頭を下げて核兵器の発射を遅らせたシーンは象徴的で,その日本のあまり褒められたものではないスマートさに欠いた面も本当に全部使ってゴジラと対峙したんだな,と。
また,本作を「何も考えなくても,単純に怪獣映画として楽しめる作品」とも評することができるのは,逆説的に引っかかるようなポイントを工夫して外してきているからではないか。一周回って「ゴジラ超かっこいい,でも東京壊しやがって,行け自衛隊!」「無人在来線爆弾wwwwwwここに来てギャグwwwwwwww」になるのは正しい気がする。(無人在来線爆弾について言えば,もう核兵器を投下される寸前のヤシオリ作戦で,日本のやぶれかぶれ具合を表現するのに一役買ったちょうどいいギャグだったのかなとも。)
もう一つは,作中の登場人物はゴジラを一切知らないが,視聴者の大半はゴジラを熟知しているというギャップをすごく上手く使ったなという感想である。ご多分に漏れず,私もゴジラシリーズはそれなりに見ていて,ジャイアント芹沢博士を知っている程度には詳しい(その割にミレニアムシリーズは全く見ていないのだけれど)。そこまでは行かなくとも,ほとんどの視聴者はゴジラは陸上歩行ができて,核エネルギーで動いていて,熱線を吐くということは知っている。それで作中の登場人物が「陸上に上がるはずがない」とか「核エネルギーで動くなんてありえない」と“フラグ”を立てていくのが軽妙なギャグシーンとして上手く活かされていく。
しかし,そんな中で,既存のゴジラを知っているからこそ視聴者が度肝を抜かれたシーンが二つだけある。言うまでもなく第二形態(通称蒲田さん)の登場シーンと,背びれやしっぽから熱線を吐くシーンである。特に後者のインパクトはすごかった。この感想には全力で同意で,背びれから熱線の「その数秒のためだけに存在する映画だ」と言われても納得する。禍々しい紫色だったこともあって,崇高さしかなかった(カントに怒られそうなことは承知の上で言うと,私には清く正しい力学的崇高に思えた。私の感性は破壊された)。これだけ破壊神と呼ぶにふさわしいゴジラを見ることができたという意味では,本当にこの数秒が見られただけでゴジラ映画としては満足である。
まず,本作は「巧妙に脱色された透明かつ健全なナショナリズムを非常に喚起される映画」だと思った。偽悪的な書き方をしたのでこう書くとめちゃくちゃけなしているように読めるが,実際のところは正反対で,これは私的に最大限の賛辞である。何より,ナショナリズムというものを巧妙に脱色することが難しい。スポーツにおけるナショナルチームの活躍・応援や大規模な自然災害に対する復興がこれに近いものがあるが,前者は興味が無い国民を阻害する点で必ずしも規模が大きくなく,実際に戦うのは数人から十数人のプレーヤーにすぎない。後者は明確な敵がいない。すると侵略してきた宇宙人か(これは『インディペンデンス・デイ』だ),怪獣あたりが妥当な線になる。もっとも,宇宙人の場合は一国じゃなくて世界で団結しろよ,という話になりかねない。
ゆえにゴジラを出すならこれは良い狙い目になるが,それにしたって不用意に描けば,自衛隊とゴジラの戦いになったり,国家政府とゴジラの戦いになったりと,国民は置いていかれる。本作だってどうしても政府中枢に焦点を当てることにはなったが,政府中枢自体に多様な人間がいることを描いたことである程度緩和されたし,最終決戦の血液凝固剤の生産やら特殊建機部隊やらJR東日本&東海やらを巻き込んだことや,疎開のシーンを入れたことで,総力戦感は確かにあった。日米同盟も日本の実力の内,という意味で米軍の参加も案外と重要な要素だった。そういう大枠だけではなくて,セリフの一つ一つをとっても,実に巧妙に作られていたと思う。多摩川防衛線を突破された自衛隊に「武器がなくてもやれることはある」なんて言わせるのはやりすぎに感じたくらいだ。そうして作られた「それでも“日本”はもう一度立ち上がれるんだ」という青臭いスローガンに否が応にも同意しかできなくなり,素直に感動した。日本人として打ちのめされたので,もう俺の負けでいい。完敗であり,すがすがしい敗北感しかない。そういう力強さと説得力のある映画だったが,それは緻密に脱色された“日本”であり,私はその緻密さに賞賛を送りたいと思う。実は庵野監督ということ以外全く完全に前情報をシャットアウトして見に行ったので,見終わった直後の反応はほんとこれ。
「シン・ゴジラ」観る前の僕
— 拝葉雄八 (@HyperOPA) 2016年7月29日
「諦めず、最後までこの国を見捨てずにやろう…って超ダサいコピーだなおい」
「シン・ゴジラ」観た後の僕
「諦めず……最後まで、この国を、見捨てずに………やろう!!!!!」(えぐえぐ泣きながら)
その上で,これは批判ではなくてないものねだりとして聞いて欲しいのだけど,最終的に「日本の最大の武器は工業力と科学技術力」に持って行ったのは,正直に言えば当たり障りがなさすぎて少々残念ではあった。しかし,無色透明なナショナリズムを誇るならやっぱり工業力と科学技術力しかなかろうなとも思う。また,「工業力と科学技術力」に関連する話になるが,「良くも悪くもこれが今の日本」という,悪い面が隠さず出てきているのも,総体としての日本VSゴジラ,という印象に一役買っていたかもしれない。さんざん指摘されている通り,前半の会議でなかなか対策が進まない様子や,初見ではどう見ても頼りない旧来の自民党政治家のような農水相(首相代理),主要人物たちに偏る労働時間,結局のところ特攻隊じみた決戦部隊頼り(それも民間人を含む)等々。しかし,あの冴えない首相代理が頭を下げて核兵器の発射を遅らせたシーンは象徴的で,その日本のあまり褒められたものではないスマートさに欠いた面も本当に全部使ってゴジラと対峙したんだな,と。
また,本作を「何も考えなくても,単純に怪獣映画として楽しめる作品」とも評することができるのは,逆説的に引っかかるようなポイントを工夫して外してきているからではないか。一周回って「ゴジラ超かっこいい,でも東京壊しやがって,行け自衛隊!」「無人在来線爆弾wwwwwwここに来てギャグwwwwwwww」になるのは正しい気がする。(無人在来線爆弾について言えば,もう核兵器を投下される寸前のヤシオリ作戦で,日本のやぶれかぶれ具合を表現するのに一役買ったちょうどいいギャグだったのかなとも。)
もう一つは,作中の登場人物はゴジラを一切知らないが,視聴者の大半はゴジラを熟知しているというギャップをすごく上手く使ったなという感想である。ご多分に漏れず,私もゴジラシリーズはそれなりに見ていて,ジャイアント芹沢博士を知っている程度には詳しい(その割にミレニアムシリーズは全く見ていないのだけれど)。そこまでは行かなくとも,ほとんどの視聴者はゴジラは陸上歩行ができて,核エネルギーで動いていて,熱線を吐くということは知っている。それで作中の登場人物が「陸上に上がるはずがない」とか「核エネルギーで動くなんてありえない」と“フラグ”を立てていくのが軽妙なギャグシーンとして上手く活かされていく。
しかし,そんな中で,既存のゴジラを知っているからこそ視聴者が度肝を抜かれたシーンが二つだけある。言うまでもなく第二形態(通称蒲田さん)の登場シーンと,背びれやしっぽから熱線を吐くシーンである。特に後者のインパクトはすごかった。この感想には全力で同意で,背びれから熱線の「その数秒のためだけに存在する映画だ」と言われても納得する。禍々しい紫色だったこともあって,崇高さしかなかった(カントに怒られそうなことは承知の上で言うと,私には清く正しい力学的崇高に思えた。私の感性は破壊された)。これだけ破壊神と呼ぶにふさわしいゴジラを見ることができたという意味では,本当にこの数秒が見られただけでゴジラ映画としては満足である。
Posted by dg_law at 03:28│Comments(7)│
この記事へのトラックバックURL
この記事へのコメント
シンゴジは見ていないんですが、無色透明なナショナリズムを誇る映画、日本の最大の武器は工業力と科学技術力に持っていった、という表現を見て、ふと三島由紀夫の有名な言葉を思い出しました。
「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」
感想を読むかぎり、映画の中で描かれ登場人物たちが守ろうとした「日本」は良くも悪くも「戦後日本」なんでしょうね。
三島ほどではないにしてもこの戦後日本という時代に生き辛さや閉塞感を覚える人には、受け入れられない映画なのかな、と少し思いました。
「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである」
感想を読むかぎり、映画の中で描かれ登場人物たちが守ろうとした「日本」は良くも悪くも「戦後日本」なんでしょうね。
三島ほどではないにしてもこの戦後日本という時代に生き辛さや閉塞感を覚える人には、受け入れられない映画なのかな、と少し思いました。
Posted by N at 2016年08月25日 00:52
庵野監督にその意識があったかどうかはわからないんですが,無かったとしたほうがかえっておもしろいかもしれません。偶然一致してしまったと言いますか。いずれにせよ
>映画の中で描かれ登場人物たちが守ろうとした「日本」は良くも悪くも「戦後日本」なんでしょうね。
これはその通りだと思います。
ただ,政府が創設したゴジラ対策本部(作中名は「巨大不明生物特設災害対策本部」)に集められた人々は,「そもそも出世に無縁な霞ヶ関のはぐれ者、一匹狼、変わり者、オタク、問題児、鼻つまみ者、厄介者、学会の異端児」が集められたという設定になっており,実際に変わり者ばっかりです。
そうした社会から疎外されている人々が中心となってゴジラ対策が進められていく辺りは,戦後日本社会がしっくり来ない視聴者にとってはかえってカタルシスがあってよいかもしれません。
社会性の有無によらず,日本国民が団結したという点でも,本作は上手くできていたと思います。
>映画の中で描かれ登場人物たちが守ろうとした「日本」は良くも悪くも「戦後日本」なんでしょうね。
これはその通りだと思います。
ただ,政府が創設したゴジラ対策本部(作中名は「巨大不明生物特設災害対策本部」)に集められた人々は,「そもそも出世に無縁な霞ヶ関のはぐれ者、一匹狼、変わり者、オタク、問題児、鼻つまみ者、厄介者、学会の異端児」が集められたという設定になっており,実際に変わり者ばっかりです。
そうした社会から疎外されている人々が中心となってゴジラ対策が進められていく辺りは,戦後日本社会がしっくり来ない視聴者にとってはかえってカタルシスがあってよいかもしれません。
社会性の有無によらず,日本国民が団結したという点でも,本作は上手くできていたと思います。
Posted by DG-Law at 2016年08月26日 03:16
「ナショナリズム」という言葉は「軍国主義」や「ジンゴイズム(排外愛国主義)」の類義語で(「日本語大シソーラス」)
「健全な軍国主義」や「健全な排外愛国主義」が存在するのか、するとしても本当に健全なのか疑問です
「健全な軍国主義」や「健全な排外愛国主義」が存在するのか、するとしても本当に健全なのか疑問です
Posted by at 2016年11月27日 00:13
それに対する私の意見は2つです。
まず,さすがにその定義は狭すぎます。ナショナリズムはもっと多義的です。国家主義・国民主義・民族主義などにも訳されますが,直訳として「軍国主義」と訳す事例はかなり珍しいと思われます。類義語と言ってしまうのも疑問なくらいです。
おそらく『日本語大シソーラス』にも他の類義語が載っていると思いますし,載っていないのなら,はっきりと言えばよくわかりません。
私があえて訳語を当てずに記事中の文言を「ナショナリズム」としたのは,曖昧な語義のまま使ったほうがよいと判断したからです。
2つめは,「透明で健全なナショナリズムなんてそもそもありうるのか」というのは当然ありうる意見で,歴史を勉強したことがある人間なら当然思うことだと思います。その上で,本作が可能な限り“そう見える”努力をしていると思われたので,記事中のようにまとめた次第です。
ゆえに,本作の表現でもまだ「ナショナリズムとして透明でもないし不健全である」という感想はありうると思います。が,重ねて言いますが,それは軍国主義とは関係ありません。
まず,さすがにその定義は狭すぎます。ナショナリズムはもっと多義的です。国家主義・国民主義・民族主義などにも訳されますが,直訳として「軍国主義」と訳す事例はかなり珍しいと思われます。類義語と言ってしまうのも疑問なくらいです。
おそらく『日本語大シソーラス』にも他の類義語が載っていると思いますし,載っていないのなら,はっきりと言えばよくわかりません。
私があえて訳語を当てずに記事中の文言を「ナショナリズム」としたのは,曖昧な語義のまま使ったほうがよいと判断したからです。
2つめは,「透明で健全なナショナリズムなんてそもそもありうるのか」というのは当然ありうる意見で,歴史を勉強したことがある人間なら当然思うことだと思います。その上で,本作が可能な限り“そう見える”努力をしていると思われたので,記事中のようにまとめた次第です。
ゆえに,本作の表現でもまだ「ナショナリズムとして透明でもないし不健全である」という感想はありうると思います。が,重ねて言いますが,それは軍国主義とは関係ありません。
Posted by DG-Law at 2016年11月28日 00:44
DG-Lawさま、お返事ありがとうございます。
『日本語大シソーラス』はナショナリズムの類義語を他にも色々挙げているので、前の書き込みは不適当に狭い例でした。失礼いたしました。他の類義語は、「鉄血政略」「鉄血」「国家主義」「国粋主義」「好戦」「タカ派」「好闘」「弄兵」「忠君愛国」等です(その他に形容詞が挙がっていますが、ほぼ同内容です)。
辞書が一つだけというのも狭いと思い、『The Contemporary Thesaurus of Search Terms and Synonyms』を見ました。ナショナリズム・タカ派・愛国主義・ミリタリズム・ジンゴイズム・戦闘姿勢(War attitudes)・ゼノフォビア等が類義語とされています。
「ナショナリズム」は言葉として、「軍国主義」等に似通った語とされています。ですから、本作の「努力」やそれへの感想を「ナショナリズム」と表現するならば、軍国主義との関係がある、ということになるはずです。
しかしDG-Lawさまは、「ナショナリズム」とはもっと多義的・曖昧な語であり、軍国主義とはさほど関係ないとお考えのようです。私であれば辞書を参照して、”〜イズム(主義)”よりも意味が広い”〜イティ(状態)”の方、つまり「ナショナリティ」を当てはめるところですが…。おそらく辞書的な意味とは違う、DG-Lawさま独自の「ナショナリズム」という語を使ってらっしゃるのだろうと思います。
『日本語大シソーラス』はナショナリズムの類義語を他にも色々挙げているので、前の書き込みは不適当に狭い例でした。失礼いたしました。他の類義語は、「鉄血政略」「鉄血」「国家主義」「国粋主義」「好戦」「タカ派」「好闘」「弄兵」「忠君愛国」等です(その他に形容詞が挙がっていますが、ほぼ同内容です)。
辞書が一つだけというのも狭いと思い、『The Contemporary Thesaurus of Search Terms and Synonyms』を見ました。ナショナリズム・タカ派・愛国主義・ミリタリズム・ジンゴイズム・戦闘姿勢(War attitudes)・ゼノフォビア等が類義語とされています。
「ナショナリズム」は言葉として、「軍国主義」等に似通った語とされています。ですから、本作の「努力」やそれへの感想を「ナショナリズム」と表現するならば、軍国主義との関係がある、ということになるはずです。
しかしDG-Lawさまは、「ナショナリズム」とはもっと多義的・曖昧な語であり、軍国主義とはさほど関係ないとお考えのようです。私であれば辞書を参照して、”〜イズム(主義)”よりも意味が広い”〜イティ(状態)”の方、つまり「ナショナリティ」を当てはめるところですが…。おそらく辞書的な意味とは違う、DG-Lawさま独自の「ナショナリズム」という語を使ってらっしゃるのだろうと思います。
Posted by at 2016年11月30日 12:29
あまり長い定義論をすると本格的にややこしくなる概念なので,こちらもWeb上の辞書(Wikipedia等ではない)を引用します。
https://kotobank.jp/word/%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0-108084
「民族,国家に対する個人の世俗的忠誠心を内容とする感情もしくはイデオロギー。普通,民族主義と訳されるが,国民主義,国家主義あるいは国粋主義と訳されることもある。しかしこれらの訳語はいずれもナショナリズムの概念を十分に表現しているとはいえない。」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』
「かつては,民族主義,国民主義,国家主義などと訳し分けられることが多かったが,最近では一般にナショナリズムと表記される。このことは,ナショナリズムという言葉の多義性を反映し,そしてその多義性は,それぞれのネーションnationや,そのナショナリズムの担い手がおかれている歴史的位置の多様性を反映している。あえて一般的な定義をすれば,自己の独立,統一,発展をめざすネーションの思想と行動を指す。こうしたナショナリズムは,政治的であるだけにとどまらないが,政治的であることなしには成り立たない。」『世界大百科事典 第2版』
この辺でいいでしょうか。私の言っていることがかなり一般的に成り立つことがご理解いただければ幸いです。
ついでに。『The Contemporary Thesaurus of Search Terms and Synonyms』の一部がGoogle Booksで見れたのでNationalismの項目を見ましたが,冒頭に「Patriot(ic,ism).」とありますし,decolonizationやself-determination等もchauvinism・jingoism・Xenophobia等の前に出てきていると思うのですが。
過剰なナショナリズムが発露された形態として,ファシズムや軍国主義,排外主義がありうるということであればその通りですが,それは私の記事で言う「巧妙に脱色された透明かつ健全なナショナリズム」ではないですよね。もろに不健全ですから。
https://kotobank.jp/word/%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0-108084
「民族,国家に対する個人の世俗的忠誠心を内容とする感情もしくはイデオロギー。普通,民族主義と訳されるが,国民主義,国家主義あるいは国粋主義と訳されることもある。しかしこれらの訳語はいずれもナショナリズムの概念を十分に表現しているとはいえない。」『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』
「かつては,民族主義,国民主義,国家主義などと訳し分けられることが多かったが,最近では一般にナショナリズムと表記される。このことは,ナショナリズムという言葉の多義性を反映し,そしてその多義性は,それぞれのネーションnationや,そのナショナリズムの担い手がおかれている歴史的位置の多様性を反映している。あえて一般的な定義をすれば,自己の独立,統一,発展をめざすネーションの思想と行動を指す。こうしたナショナリズムは,政治的であるだけにとどまらないが,政治的であることなしには成り立たない。」『世界大百科事典 第2版』
この辺でいいでしょうか。私の言っていることがかなり一般的に成り立つことがご理解いただければ幸いです。
ついでに。『The Contemporary Thesaurus of Search Terms and Synonyms』の一部がGoogle Booksで見れたのでNationalismの項目を見ましたが,冒頭に「Patriot(ic,ism).」とありますし,decolonizationやself-determination等もchauvinism・jingoism・Xenophobia等の前に出てきていると思うのですが。
過剰なナショナリズムが発露された形態として,ファシズムや軍国主義,排外主義がありうるということであればその通りですが,それは私の記事で言う「巧妙に脱色された透明かつ健全なナショナリズム」ではないですよね。もろに不健全ですから。
Posted by DG-Law at 2016年11月30日 16:28
https://kotobank.jp/word/%E8%B6%85%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E4%B8%BB%E7%BE%A9-568396
「ナショナリズムのなかにも、国家主義と国民主義という二つの思想潮流が存在し、満州事変以後の日本は、「東洋平和のため」という理由の下に、前者の国家主義が極端化して超国家主義となり、「八紘一宇(はっこういちう)」「日本民族の優越性」を旗印にアジア諸国への侵略戦争を行ったのである。ナチ政権が、「血の純潔」「血と大地」「ゲルマン民族の優越性」を掲げて、第二次世界大戦を引き起こしたのも超国家主義的行動によるものであったといえよう。」『日本大百科全書(ニッポニカ)』
端的に言えば
・ナショナリズムが多義的な理由:国家主義と国民主義という大きく二つの流れがあるから
・ナショナリズムの類義語に軍国主義がある理由:国家主義の流れがあるから
・健全なナショナリズムは国家主義か国民主義かで言えば後者
ということかと
「ナショナリズムのなかにも、国家主義と国民主義という二つの思想潮流が存在し、満州事変以後の日本は、「東洋平和のため」という理由の下に、前者の国家主義が極端化して超国家主義となり、「八紘一宇(はっこういちう)」「日本民族の優越性」を旗印にアジア諸国への侵略戦争を行ったのである。ナチ政権が、「血の純潔」「血と大地」「ゲルマン民族の優越性」を掲げて、第二次世界大戦を引き起こしたのも超国家主義的行動によるものであったといえよう。」『日本大百科全書(ニッポニカ)』
端的に言えば
・ナショナリズムが多義的な理由:国家主義と国民主義という大きく二つの流れがあるから
・ナショナリズムの類義語に軍国主義がある理由:国家主義の流れがあるから
・健全なナショナリズムは国家主義か国民主義かで言えば後者
ということかと
Posted by ななし at 2016年12月15日 07:48