2017年02月19日

小田野直武と秋田蘭画

これもとっくの昔に会期が終わっているが,サントリー美術館の小田野直武展。小田野直武は江戸後期に活躍した秋田藩出身の画家で,『解体新書』の挿絵を担当したことで有名な人物である。この展覧会では小田野直武を中心に,彼が滞在していた当時の江戸の蘭画受容やその秋田への伝播,藩主を通じた藩同士の文化交流等に焦点が当てられた。

驚くのは小田野直武の早熟っぷりで,24歳の頃に,秋田藩に鉱山調査に来た平賀源内の紹介で江戸へ。そこで杉田玄白らと知り合って,翌年には『解体新書』の出版に携わっているという。蘭画に本格的に習熟したのはその後になるから,『解体新書』がきっかけだったと言えよう。今回の展覧会では江戸に行く前の頃の作品も展示されていたが,普通に上手い狩野派である。上手いには上手いが,ここから『解体新書』に抜擢された理由は人のつながりとしか言いようがないのだな,と思う程度には特徴がなかった。ともあれ,そこからの小田野直武は蘭画家として大きく開花し,江戸と秋田を往復しつつ作品を増やしていくことになるが,なんと32歳で夭折してしまう。実質的な活動期間が8年間ほどしかないのである。駆け抜けた人生であった。

小田野直武の特徴は,蘭画,というよりも西洋絵画から線的遠近法や陰影の技法を上手く学び取っていることで,全体としては和風・狩野派の作品ながら個別の物体にものすごい写実性や立体感があるという不思議な作品に仕上がっているという点にあるだろう。これは代表作である「不忍池図」を見るとよくわかる。

小田野直武《不忍池図》


かっちりとした堅実な描写はどう見ても西洋画ながら,作品の雰囲気は確かに和風で,ともすれば明治期の絵画に見える。しかし,これが高橋由一の「鮭」のジャスト100年前というのだから,大いなる先駆けと言えよう。連想したのはカスティリオーネこと郎世寧で,あちらは若い頃に西洋画の技法をマスターしてから中国に来て,中国人に受容されるために,嫌われる陰影を捨てた。結果的に高い写実性に陰影のない立体感という不思議な絵画が完成したが,小田野直武などの蘭画と好対照と言えよう。ちなみに,この小田野直武「不忍池図」がサントリー美術館に来たのは約2年半振りで,そう考えると意外と間隔が短い。

小田野直武が夭折したこと,また本拠地が秋田であったこと等からその直接の影響を受けた流派はすぐに途絶えてしまうことになるが,おそらく影響を受けたであろう人物として司馬江漢が挙げられる。司馬江漢の銅版画は高校日本史でも必ず取り上げられるので,一般的にはこちらの知名度の方が高かろう。この展覧会でも司馬江漢を取り上げて締めとしていた。

総じてマイナーではあるが,歴史の一瞬に現れて輝き,輝きが強かったからこそ何とか埋没しきらずに残ったという感じの作品群であり,良い物・珍しい物を見たという満足感が高く得られた。サントリー美術館らしい良い展覧会であったと思う。

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