2017年03月20日

早稲田大17番の再検証

書籍版の改稿のためのメモを兼ねて。思考の垂れ流しなので読みづらかったら申し訳ない。答えが全くわからなかった早稲田大商学部の17番についてである。まず,問題の要件を再確認したい。読者諸氏にとっては申し訳ないことに後出しのようになるが,先の記事よりも少し長めに問題文を引用すると,実は次のようになる。

「前漢の数字(編註:人口約6000万人のこと)は,その最盛期といわれる武帝の時代から約80年後のもので,この数年後に漢は一時中断するが,この時期にあっても帳簿上は十分な数を確保していたことになる。後漢の光武帝時は戸口ともに前漢の約35%程度に落ち込んだが,2世紀に入るとほぼ回復した(編註:人口は約5600万人)。」

そしてこの文章の「2世紀に入るとほぼ回復した」に下線が引いてあって,下線部についての問いとして「その理由として妥当なものはどれか」と聞いているのが問2,すなわちここでいう早稲田大の17番の問題である。整理すると,本問は「後漢の人口が前漢並に回復した理由」として妥当なものを選ばせていることになる。そして選択肢1・2番は論外なので3・4番に絞られるが,3・4番はいずれも決定打になるような情報がどこにもないということで,記事執筆時点では手詰まりであった。


ここで,ブクマにてid:izmiiさんから提示された論文を読んでいたら,ピンポイントな情報が入っていることに気づいた。(本当にありがとうございます!)

・明石茂生「古代帝国における国家と市場の制度的補完性について(2) : 漢帝国」『成城大学・経済研究』第193号(リンク先pdf)

論文の10ページに前漢と後漢の戸数のシェアがあり,人口全体は後漢の方がやや少ないが,ほぼ同じである。ゆえに,ここから発展状況の違いをおおまかに読み取ることができる。そして選択肢の3番・4番はいずれも特定の地域について述べた文であるので,このデータをもって再検証が可能である。

この漢代の行政区分のうち,揚州(おおよそ現在の浙江省・安徽省・江西省・福建省)と荊州(同様に湖北省・湖南省)と益州(同様に重慶市・貴州省・四川省・雲南省)と交州(広東省・広西壮族自治区・ベトナム北部)の4つが長江以南を含んだ長江流域と言える。一方,青州とエン州がほぼ現在の山東省であり,山東地域と言える。それぞれのシェアの動きを見ると,
・長江流域の4州合計:20.6%→43.3%
・山東地域の2州合計:23.7%→15.1%
となり,長江流域は増加しているが,山東地域は減少しているとわかる。よって,「山東地域や長江以南の開発が進展した。」とする選択肢の4番は誤文の可能性が高い。

では消去法により3番が正解と断定してよいかどうかは,実のところ微妙である。黄河の治水工事による流路の固定の恩恵を受けたのは,黄河の中下流域である。当時の黄河中下流域は司隷・冀州・エン州・青州になるが,このうちエン州と青州は上述の通り,人口の減少を確認済みである。そして司隷と冀州は以下の通り,
・司隷:12.4%→6.5%
・冀州:11.3%→9.5%
両州ともに著しく減少していることがわかる。よって,黄河の氾濫減少は人口の回復に寄与しなかったか,寄与したとしても,他の減少理由を押しとどめるような効果にはなりえなかったということがわかる。はっきり言ってしまうと,「黄河の治水工事がどの程度人口の回復に寄与したかは,データ上裏付けが取れない」のである。

してみると,本問は正解がない可能性が浮上してきたと言える。ここに来て出題ミスの可能性が出てきたことを読者諸氏に報告するとともに,興味がある方は私とともにもう少し悩んでみてほしい。

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