2017年04月02日

『けものフレンズ』感想

ご多分に漏れず,私も最初は全くのノーチェックであった。そして本作に気づいたのは,骨しゃぶりさんのこの記事だった。
・アニメ『けものフレンズ』は人類史600万年を探求する
正直,この記事を読んだ最初の感想は「まーた骨しゃぶりさんは大げさに書きおってからにwww」だったのだが,1話を視聴してマジもマジだったので椅子から転げ落ちた。よくもまあ1話にあれだけ詰め込んだものだ。確かそれが1月27-28日頃で,まだ2話と3話の切り替わりくらいの時期だったと思う。3話までは立て続けに見てすっかりはまってしまった。おそらく同じような行動の人は少なからずいて,あの記事は『けものフレンズ』受容史を作るとしたら欠くべからざるものだと思う。世間的に爆発したのが2/6頃だそうなので,自分を含めてあの記事で見始めた勢は比較的アーリーアダプターの部類といえるかもしれない。もちろん,アプリ版からの支持者や1話ですぐ気づいた人たちに比べると遅かったわけだけれども。

本作のどこに惹かれたかと言えば,起点の通りに「動物にヒトの姿と言語能力を与えることで,あえて見えてくるヒトのそれ以外の特性」の見せ方であった。様々なものを擬人化した作品は多数あり,それぞれの作品にそれぞれの美点はあれど,擬人化それ自体にここまで意味を持たせた作品はそうそうない。おそらく今の30代のオタクの共通体験として,小学生時代に『たけしの万物創世紀』や『特命リサーチ200X』あたりを小学生の時に見ていたと思うのだけど,そういう層にドンピシャな見せ方でもあったと思う。サーバルが透明な箱の開け方に気づかないシュールさは,1話の時点では(理由がわかってもなお)若干のホラーであったが,そうした不気味さも本作のポストアポカリプスものとしての不気味さと上手く融合していた。

ある方が「フレンズ化した動物は(じゃぱりまんの存在もあって)食糧確保から解放されて本能的な攻撃性を失っているが,かばんちゃんがヒトのフレンズだとすると(注:12話放送前),他の動物を絶滅させてきた人類の攻撃性も同様に本能として処理されているのがすばらしい」と言っていた。これは公式HPや円盤の特典などにある「けものフレンズ図鑑」でUMA・幻想種以外には全てレッドリストの保全状況が明示されているということ重ねると尚更その通りと思う。事実であるとはいえ,人類側の事情も勘案せずその罪を全部人類に着せておいて「ヒト」の物語もなかろうし,一方で事実を直視しないのもヒトと動物の関係を示す上で必要なものを欠落させてしまう。ということで『けものフレンズ』本体はひたすらに“尊い”作りにになっていて,その背景は周辺情報に置くという配置も良い配慮だった。

なお,最終話の様子を見ると,かばんちゃんはヒトのフレンズからヒトに戻ったというよりは,再フレンズ化しているのではないかと思っている。性格が変わっていないことや,手袋とタイツの回復などから。セルリアンがサンドスターを消化しきる前に救出できたからか,あるいはじゃぱりまんに体内のサンドスターを回復させる効果があるか(じゃぱりまんがパーク内の農園で育った農作物で作られていて,肉食獣もそれで満足していることから推測するに,後者の可能性は高そう)。


そしてまた本作の物語としての美点は,とにかく先が読みやすいことである。あれだけ明確に人類がジャパリパークから姿を消していて,しかも自分探しをするロードムービー,かつあのEDなのだから,まあそういう結末になるのは目に見えていた。いつかは終わる旅に漂う寂寥感が底抜けの明るさとマッチしていた。10話が終わったところで12話の展開までおおよそ読めていた人も多かったのではないか。そして11話が終わったところで「これはOP流しながら全員集合で,セルリアン倒した後はかばんちゃんの旅立ちでEDは2番だな」とか考えていた人は私以外にもいたと思う。あまりにもその通りすぎて泣きながら笑ってしまった(サーバルがついていったのだけは予想外だったが)。しかし,これだけ先が読みやすいからこそ「平穏の中に見え隠れする不穏」に安心して浸ることができたところがあった。不穏さは満遍なく漂っているのに,不穏ではないのだ。『まどマギ』が安全装置の外れたジェットコースターだったのとは好対照だろう(念のため,『まどマギ』の場合は,だからこそ予想外にきっちり決着して神になったので,これは良い悪いではない)。

その他に物語を盛り上げるために張り巡らされた工夫の数々とか,しんざきおにいさん他動物飼育員解説の効果とか,OP・EDの良さとか,3人目の主人公ラッキービーストについてとか最後の「つづく」とかいろいろあるが,すでに世の中に数多くの評論が出ているのでここで書くことはなかろう。いずれにせよ制作陣の努力が素直に視聴者に伝わった,伝わるところまでの幸運があったというところまで含めて,作品の雰囲気同様に幸福な作品であった。