2017年05月23日

戦国時代・関東水墨画の雄

雪村周継「呂洞賓図」芸大美術館の雪村展に行ってきた。「ゆきむら」ではないアピールを激しくしていたが,去年の大河ドラマの影響だろうか。雪村は16世紀前半〜半ばに活躍した画僧で(生没年は1490頃〜1575頃),2つの意味で主流から外れていたという特徴がある。1つは関東・南東北で活動した点。言うまでもなく当時の文化の中心は畿内であるものの,応仁の乱以降は文化が地方に拡散しつつあったという時代の流れがあったから,文化史全体の流れで見れば必ずしもぽっと出というわけでもない。しかし,そうした前提を踏まえたとしても,雪村の出現は周文・雪舟という日本水墨画の流れから明らかに外れていて,画家不毛の地に突如として出現した異変としか言いようがない。

しかも,当時の記録に直接は出現せず,江戸時代になってからの記録や作品のみが残っている。こうした史資料の状況では足跡がほとんど辿れず謎の画家になってしまうことが多いのだが,雪村は残っている作品の量が例外的に多いため,さぞかし研究者にとっては研究しがいのあるテーマだったであろうことが想像にかたくないが,足跡の復元はかなり進んでいる。この辺は私も本展覧会まで知らなかったところで,勉強になった。それによると,現存する代表作の多くは50〜60代の制作であり,80代半ばまで活動したとされているから,大器晩成も甚だしい。逆に言うと,これだけ史資料が残っていて足跡が復元できているにもかかわらず,修行期にあたる前半生は不明な点が多い。この展覧会でも修行期と思しき作品を並べてはいたものの,わからないものはわからないとしか言いようがない様相であった。

もう1つは画風そのもので,雪村の水墨画は激しい動きを感じるものが多い。山水画だったらめちゃくちゃ風が吹いているし,海の波は立っている。人物画だったら仙人が飛び跳ね,布袋はあくびしているし,花鳥画なら竹は折れてるし蔓はわしゃわしゃだし,とにかく画中の物に落ち着きが全く無い。この躍動感は間違いなく当時の畿内の画壇にはなく,どころか狩野派や長谷川派で固まっていく中央では出てこないものだ。本展覧会では「奇想の誕生」というサブタイトルの通り,雪村を奇想の画家の系譜の元祖として位置づけようとしていたが,それも頷ける。ただし,雪村と琳派や岩佐又兵衛の間には直接のつながりはない。一応,尾形光琳や谷文晁が好んでいて,倣った作品もある。

雪村の代表作というと今回の画像の「呂洞賓図」で,これは3作描いている。海から顔を出す龍の頭に乗って立っているが,風は下から猛烈に吹き付け,髭が逆立ち,呂洞賓は上空の龍をにらみつけている。手に持つ瓶は龍が入っていたものとされ,上空の龍とは禅問答をしているとされる(呂洞賓は禅僧としても尊崇があり,雪村自身も禅僧である)。雪村は仙人を画題に好んでおり,呂洞賓以外にも蝦蟇・鉄拐や寒山・拾得,琴高,やや外れると鍾馗や陶淵明,李白の絵なんかもある。禅僧ではあるが,本心では道教に惹かれていたのかもしれない。

なお,雪村の作品なら必ずしも荒々しく,普通ではないかというとそうでもなくて,普通の山水画も本展覧会ではかなり見られ,かえって貴重であった。玉澗に倣った作品がいくつかあり,見事な玉澗の模倣で驚いた。瀟湘八景図も好んでいたようで,いくつか作品があった。こうして並べて鑑賞すると漢画の知識がかなり豊富だったのは間違いなく,鎌倉で修行していたのは間違いないようだけども,そこで全てを学んだのだろうか。ひょっとして畿内に遊学していたりせんだろうか,とこの辺の妄想はつきないが,妄想の域は出ず,記録では箱根より西に出たことはない。ここを上手く補完できれば創作の題材としてふさわしいが,挑戦する人はいないか。佐竹氏とか北条氏とか,戦国大名もいっぱい出せますよ。

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