2017年06月21日

外国人力士枠制限は緩和すべき

・広島大学図書館 教科書コレクション
→ 明治時代の教科書とかまで全部読める。すごい。自分の興味範囲から言えばやはり世界史の教科書になるが,これは偶然にも2巻のコラムに関連する内容であったので,少しそちらの参考にした。何を書いたか興味ある人は読んでみてください(露骨な宣伝)。
→ そこに書いたこと以外で言えば,ある程度の時期まで固有名詞が全部英語由来なので,何のことやら一瞬わからないのがあっておもしろい。たとえば「アゼンの発達,パーシア戦争」(アテネの発達,ペルシア戦争)とか。昭和前半くらいまでくると,かなり今に近い表記に置き換わっていて,戦前でも一応表記を原語に合わせる努力はあったらしいことが読み取れる。


・白鵬 外国人力士枠制限「なくしたい」 留学生らの悩みに心痛(スポニチ)
→ 1部屋1人に制限されている外国人力士枠は,外国人力士は日本人力士よりも(日本語学習や日本の風習の学習などがあるために)手厚い指導が必要で,数が多すぎると親方の指導が行き届かなくなるからという理由があり,この制度が本格化された10年程前まではそれなりに合理性があった。1人というのも,人間2人以上集まると気が大きくなる傾向がある以上は正しい数であった。日本人に帰化しても外国人とカウントして運用していたあたりは,悪気はなくとも人種差別とそしりを免れない制度ではあったがものの,これも無理に帰化させて制度逃れしようとする親方が出現してしまったためと当時説明されており,制度の目的や悪用の防止を鑑みると,当時としてはやむを得ない面があったのは否定しがたい。少なくとも一部で言われていたような「モンゴル人排斥」が目的だったというのは否定される推測であろう。
→ が,さすがにこれだけ外国人力士が増加した現状では不合理であろう。各部屋に対応策がそれなりに蓄積し,やってくる側も日本のことをある程度知ってから来るようになっている。むしろ現在は,有望な若者の外国人力士が入門したがっているのに,空きの部屋がない(あるいは指導力に問題がある部屋しか空いていない)という弊害の方が大きくなっている。日本人力士は部屋を選べるのに,外国人力士は選択肢が非常に狭いという差別の温床になっているのである。
→ 制度創設の目的を鑑みて急な撤廃は無理でも,段階を経るとして以下のような緩和策が考えられる。これだけでも現状の不合理はかなり解消されるように思う。
1.帰化者はノーカウント。
2.5年以上の在籍者や関取はノーカウント。
3.国籍ごとに1人まで可にする。 
4.日本語検定が一定以上,あるいは日本の大学の大卒はノーカウント。


・指導要領改定案の問題点:「厩戸王」は戦後に仮に想定された名、「うまやどのおう」も不適切【訂正・追加】(聖徳太子研究の最前線)
→ 日本史は専門外なので容易には首をつっこめない話ではあるけど,非常に興味深い話だった。
→ 学習指導要領自体は結局聖徳太子を優先する表記に戻った。ただ,文科省の説明も悪かったというか,おそらく説明した役人も今ひとつどこが焦点だったかわかっていなかったのだと思う。これ,私が聞いた話だと「聖徳太子という名は没後になって使われるようになったため」ではなくて「聖徳太子という名称を用いると、後代の伝説化されたイメージが強くなりすぎる」からという,この記事の筆者も懸念しているところが理由であったので,理由としてはそれなりに正当だったはずである。代替候補の「厩戸王」が不適切だっただけで。だから,聖徳太子に戻ったというのは,改悪するよりは随分マシだったにせよ,根本的な解決にはなっていない。
→ ちなみに高校の社会科では,現行の山川の『日本史用語集』では聖徳太子・厩戸王・厩戸皇子・上宮王の4つ併記でこの順番,厩戸王のルビは「うまやとのおう」で清音である。『世界史用語集』は厩戸王(うまやとのおう)のみ。
→ それにしても,
>厩戸王という名は古代の主要資料には見えないという点を報じたのは、私に取材してその談話という形で掲載した産経新聞だけであり
 他のマスコミちゃんと取材せいよ……ただし,産経新聞としては史実がどうこうというよりも「自説の補強に使えるものはなんでも使え」で使ったものと思われる。産経新聞の本音としては筆者の懸念通りであるのだから(後代の伝説化されたイメージの強化)。しかし,だからこそ産経新聞に正しい意見を恣意的に使われる素地を与えてはいけなかったわけで。


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