2017年08月21日
「日本」と「タイ」の交流史
東博のタイ展に行ってきた。日タイ修好130周年記念ということだが,1887年に明治政府とラタナコーシン朝政府の間で国交が樹立されたのを起点としているとのことである。日清修好条規や日朝修好条規と比べて遅いのは仕方がないとしても,1887年とは意外と遅れた印象がある。本展はタイの仏教文化及び日本とタイの交流の歴史に着目し,関連する文物を展示したものである。タイの仏教文化については完全な時系列で,タイ人というよりも現在のタイの地域にフォーカスしたものであるので,スタートはドヴァーラヴァティーとシュリーヴィジャヤ,アンコール朝であった。ドヴァーラヴァティーはチャオプラヤ川下流域に6世紀頃に成立した国家であると言われているが,建国したのがモン人であったということと,東南アジアではいち早く上座部仏教を摂取したということ以外はあまりよくわかっていない。この頃の仏像は艶かしくふくよかでインド的な造形。
次に出てくるのが13世紀に成立するスコータイ朝の時代のもの。ここに来ると次第にほっそりした身体のタイっぽい仏像が出てくる(今回の画像)。その次が15〜18世紀後半のアユタヤ朝。造形としてはそれほどスコータイ朝と違いがあるわけではないが,よく残っていて保存状態がよく,この辺りからタイの仏像は真っ金金である。ここでは日本との交流の歴史も取り上げられていた。朱印船貿易の様子なども展示されていて,同行者に出会貿易の背景とシステムを説明すると「しちめんどくさい貿易やってたんですね……」と言っていた。私もそう思う。山田長政や琉球王国についてはかなり大きく取り上げられていた。
最後にラタナコーシン朝。目玉展示はラーマ2世王作の大扉で,国王自らノミを振るって制作したこと(ノミは完成後にチャオプラヤ川に捨てさせたという),高さが約5.6mあること,2013年に修復が完了したことがトピック的な要素。これは確かに見もので一見の価値有り。ただ,それ以外のラタナコーシン朝の展示はつまらなかった。時代が近すぎるからか。
さて,以下は(高校)世界史的な観点から見た本展について,いろいろと見所があったので。まず,近年では,スコータイ・アユタヤ・ラタナコーシン朝の3つだけを単線的に取り上げて,現在のラタナコーシン朝の中央集権的な意図に乗っかった歴史解釈をするのは好ましくないとされているところ,一方でタイの中心部と言えばどうしたってチャオプラヤ川流域であるし時代区分としては便利という言い訳もある。本展も仏像の様式を分ける意味もあって時代区分的にこの3王朝を用いていたが,一応ラーンナー王国のことも取り上げていたのは多少なりともそういう意識があったのかもしれない。「日本のタイの交流」の部分で琉球王国が大きく取り上げられていたのも示唆的。“日本”とはなんぞや。“タイ”とはなんぞや。
次に,ドヴァーラヴァティーの時代を中心に,ヒンドゥー教の神々の単身の像が展示されており,同行者に「なんでヒンドゥー教の像もあるの?」という質問を受けた。東南アジアの多くの地域は仏教とヒンドゥー教をそれほど峻別しておらず,特に初期にはまるごとひっくるめて「インドの宗教」として受容していた。これは日本でも神道・仏教が,中国でも儒教・道教・仏教が並立していたのだからそう不思議ではないはずのところ,よく考えてみると少し状況が違う。神道と儒教・道教は土着であるところ,仏教だけは外来である。しかし,ヒンドゥー教と仏教はどちらも外来な上に同じ場所を出身とする。その上,日本人に身近な北伝仏教は「ヒンドゥー教の神々を天部として取り込んだ仏教」であるところ,南伝仏教は「どちらが主体というわけでもなく,さりとて完全に混ざっているわけでもなく並立した仏教とヒンドゥー教」という状況である。ゆえに日本人的な宗教観から出発すると,確かに「なんでマハーカーラ像と大国主(not大黒天)像が別に存在するの???」というような不思議さを見い出せ,これはかえって新鮮な発見だった。
3つめ。本展の表示は徹底して「上座仏教」であった。一般に広まっている「上座部仏教」ではないのである。これは部派仏教(初期の仏教)と上座仏教は異なるものであるから「部」が付くのはおかしいという意見があるからで,高校世界史でもまだ定着していない,かなり先進的な表記の採用となる。
最後にシュリーヴィジャヤの扱いについて。これはキャプション間で矛盾があり,ある展示の説明では「7〜14世紀」になっていた一方,別の展示では「7〜11世紀」になっていた。これは極論どちらでも間違いではないのだが,11世紀にしておいた方が無難である。詳しくは拙著の2巻のコラム1(p.69)で取り上げているのでそちらを(狡猾な宣伝)。これはさすがに学芸員間で意見の統一を図っておいてほしかったところ。一方でそれを横において言えば,前述の上座仏教とあわせて,高校世界史でも見られる混乱が高校世界史ではない場所でも表出するという珍しい事例が見られたことになり,これはこれでおもしろかった。
Posted by dg_law at 17:30│Comments(0)